8 苦難の旅路2
「死神の手なんぞ大層な呼び名の割には大したことねぇなぁ」
上座に座ったラグラスは、報告に来た男達を嘲るように見下ろした。ガタイのいい男達はグスタフから貸与された傭兵団の隊長格の男達だった。金次第でどんな依頼でもこなすと言われ、法を犯すのも厭わないという触れ込みだった。
その彼らの力を借り、嵐に乗じてフォルビアの城を制圧したのは昨夜の事。そし過剰とも言える兵力で、不当にフォルビアを乗っ取った罪人の捕縛に向かわせたのだ。
フォルビアはもう自分の物。手を組んだヘデラ夫妻や姉のヘザーと共に祝宴を開いて朗報を待っていたのだが、朝になって戻ってきた彼らが報告したのは肝心の女に逃げられたという報告だった。
「差し向けた300の兵のうち32名が死亡。生き残った者も半数は負傷で戦闘不能となった者は58名……情けねぇなぁ」
報告書を読み上げるラグラスは不機嫌だった。一行の護衛は10名ほどだったはずだ。ほとんどの護衛は反撃の暇すら与えずに潰したのだが、最初の襲撃地ではアスターが粘り、湖畔の小さな村ではエドワルドが孤軍奮闘した結果、ここまで被害が増えたのだ。実際に指揮していた隊長の中には怪我をしているのか包帯を巻いている者もいる。彼等にとってもたった2人にしてやられたのは屈辱だったに違いない。
「既にリラ湖周辺に兵を差し向け捜索を開始しております。残りは女子供だけですし、ほどなく見つかると……」
「すぐに見つけて来い」
ラグラスは報告書を男達に投げつけた。
「あの男は如何いたしますか?」
「まだ生かしておけ。そうだな、あの女を俺様のものにするところを見せつけてやる」
ラグラスは嗜虐的な笑みを浮かべた。
翌日は朝から雨が降っていた。夜明けと共に出発の予定だったが、相談の末にもう一日出発を延期する事にした。激しい雨ではないが、旅なれない彼等には相当な負担になるのは間違いない。焦る気持ちを抑えつつ、それぞれ仕事に精を出した。
ティムは休んでいるように勧められたが、寝ていても落ち着かないので薪割りや家畜の世話を手伝った。手先の器用なフロリエやオリガは縫い物や家事を手伝い、コリンシアも見様見まねで簡単なお手伝いをした。
夕方には雨は止み、明日は出発できそうだと話しながらフロリエとオリガが作業を続けていると、なんだか外が騒がしい。オリガが勝手口からそっと外を覗いてみると、役人らしい服装をした数人の男が取り次ごうとしている村人を押しのけて村長の家に向かって来るのが見えた。胸騒ぎを覚えた彼女は改めて役人の顔を良く見直してみると、中の1人に見覚えがあった。彼女の記憶ではラグラスの部下の1人で、グロリアの元へ彼の使いでよく来ていた。上司同様女好きで、オリガも良く体を触られそうになったので覚えている。彼女は急いでフロリエの元へ戻る。
「フロリエ様、コリンシア様と共にお隠れください。ラグラス卿の部下が来ました」
「え……」
オリガが青ざめる彼女とコリンシアを連れてどこへ身を隠そうか迷っていると、村長夫人が手招きして3人を呼ぶ。
「こちらへ」
こちらの事情を村人へはほとんど話していなかったが、それとなく気付いていたらしい。普段は物置代わりに使用している薄暗い部屋へ3人を招きいれてくれる。
「奥様?」
「しばらくの間、辛抱なさってくださいませ。」
そう言って微笑みかけると、静かに部屋から出て行った。同時に玄関の扉が荒々しく開けられ、数人の男達が村長の館へ入り込んできた。外がざわざわと騒がしいのは、村人達が遠巻きに様子を見ているからなのだろう。
「村長はおらぬか?」
彼等は横柄な態度で村長を呼び出す。
「この村の長は私でございますが、お役人様が一体何の御用でございますか?」
村長がゆっくりとした足取りで奥から歩いてくるのが分かる。3人は部屋の中で息を殺して様子をうかがう。おそらくティムもどこかでこの様子を伺っているはずだ。
「この度、新たなフォルビア家当主になられたラグラス公の言葉を伝える」
「!」
思わず3人は顔を見合す。
「先の女大公グロリア様を殺害した容疑でフロリエという女を捜索している。彼女は更に恐れ多くも夫君であるエドワルド殿下をも殺害し、ご息女であるコリンシア姫を拉致して逃亡中である。兵が追跡したが、リラ湖の北で船を奪って逃げたとの情報があり、沿岸を捜索している」
「……」
役人の信じられない言葉に思わず声がでそうになるが、3人は互いに口をふさぎ、更に暴れようとするルルーを必死で押さえつけた。
「左様でございますか、ご苦労様でございます」
村長は深々と頭を下げた。
「フロリエには共犯者の元侍女とその弟が同行している。3人を捕らえるか、有力な情報を提供した者には報奨金が与えられるだろう。
ラグラス公におかれてはお気の毒なコリンシア姫を一刻も早くお救いしたいと仰せになられ、皆の協力を仰ぐしだいである」
村人達は既に役人が言っているお尋ね者が自分たちであることに気付いているであろう。報奨金がかかっているのならこの場で彼らに引き渡されてもおかしくない。3人は絶望的な気持ちで互いに抱きしめあった。
「お役目ご苦労様です」
「ふむ」
「お上に従うのが我らの務め。今のところその様な者達の噂を聞きませんが、もし見かけましたら、直ちにご報告いたしましょう」
村長の言葉が3人には信じられなかった。
「頼むぞ」
村長の下手な物言いに大いに気をよくした役人達は満足したように表へ出て行く。おそらく同じことをふれて回る場所が他にもあるのだろう。そんな彼らに村長が土産と称してワインの入った皮袋を差し出すと、上機嫌で受け取り村を後にした。
フロリエもオリガも安堵のあまり全身の力が抜けてその場に座り込む。気付けばフロリエは左手で右手首の組み紐を強く握りしめていた。
「もう出られても大丈夫ですよ。さあ、こちらへ」
しばらくして村長夫人が3人を呼びに来た。彼女達が戸惑っていると、床に座り込んでいるフロリエの手を取って立たせて部屋の外へ連れ出し、館の居間へ連れて行く。
「フロリエ様、コリン様」
居間にはティムが待っていた。彼も少し戸惑ったような表情をしている。居間には彼のほかに村長も待っていた。
「こちらへお座りくださいませ」
夫人がフロリエとコリンシアに上座の席を勧める。2人が座ると村長の夫婦は揃ってその前に跪いた。
「村長様?」
フロリエやコリンシアだけでなく、オリガやティムもその行動に驚く。
「一体……」
「匿うためとは言え、女大公様と姫様をあのような薄暗い部屋へ押し込めてしまった事、お詫び申し上げます」
「奥様?」
あわててフロリエは腰を浮かせ、2人の前に膝をつく。
「どうぞお顔をお上げくださいませ、助けてくださった恩人にひれ伏されては身の置き場がございません」
突然の事にコリンシアも椅子から立ち上がり、2人に近寄ってくる。
「どうして謝っているの? お爺もお婆も悪い事してないよ?」
「コリン様の仰せの通りでございます。どうぞ、お立ち下さいませ」
コリンシアだけでなく、オリガにも言われ、2人はようやく頭を上げた。そしてオリガとティムが手を貸して2人を立たせて椅子に座らせると、フロリエとコリンシアも椅子に座り直した。ティムは扉の前に立ち、オリガは2人の側に立ってようやく話を始める体制が整った。
「私達をかくまって頂き、改めてお礼申し上げます。ですが、どうして彼らに私達のことを言わなかったのですか? 報奨金が出れば、村を豊かにする事も出来たでしょうに……」
フロリエが改めて2人に礼をいい、当惑した表情で疑問を投げかける。当然の疑問に村長の夫婦は互いに顔を見合すと、夫が静かに話し始めた。
「フロリエ様はこの村を救ってくださったからでございます」
「猪を倒したのはティムでございます。それに畑は……」
困ったようにフロリエが返すと、2人はゆっくりと首を振った。
「その一件だけではございません」
「私どもには娘がおります。彼女は先代の女大公グロリア様が隠棲しておられたお館の近くの村に嫁ぎ、私達と互いの様子を手紙でやりとりしておりました。」
フロリエもオリガも驚き、言葉が出ない。
「グロリア様がエドワルド殿下のお子をお育てしている事、女大公様がご病気を抱えておられた事、ご親族方の振る舞いに御心を痛められておられた事も存じております。そして、フロリエというお方が女大公様の話し相手として住んでおられることも……」
「目がご不自由にもかかわらず、グロリア様の名代で近隣に出向かれる事があり、娘もねんごろなお言葉を頂いた事がございます。お美しいだけでなく、お優しく慈愛に満ちたお姿は大母様の様だと娘は手紙に記しておりました」
過ぎた褒め言葉に、フロリエは気恥ずかしくなってくるが、オリガやティムは納得した表情で頷いている。彼女を信奉している彼等には村人達の気持ちが良く分かっていた。
「いつも秋ごろには、娘はリューグナー医師が処方してくれる高価な薬を送ってくれるのですが、昨年の秋は貴女様が風邪の予防法や身近にある物での対処法を教えて下さったと手紙を寄越しました。
半信半疑ながらこの村でも試してみたところ、冬に体調を崩すものが減ったのでございます。例年ですと冬の間に体力の無い年寄りや幼子が少なからず命を落としておりましたが、この度はいつもの年よりもずっとその数が減りました。貴女様のおかげでございます」
村長の言葉にフロリエは信じられない面持ちで聞いていた。自分には僅かな事しか出来ないと思っていたが、館から離れたこのような場所にも貢献できた事が無性に嬉しかった。
「春になり、グロリア様の訃報を聞いた後に貴女がエドワルド殿下と結ばれ、更には新たなフォルビア女大公となられたことを知り、私達は大いに喜びました。同時にご親族方がこのまま黙っていないのではないかと案じておったのでございます」
村長が一旦言葉を切ると、夫人が言葉を続ける。
「一昨日の晩、あなた方が現れた時、すぐに何者か分かりました。そしてただならぬ事が起こっていることも。あの夜、あなた方がお休みになられた後、主だった村人達と話し合って決めたのです、何があっても貴女方をお守りすると。この村を救って下さったご恩を今度は我々がお返しする番だと……」
「……」
2人の言葉にいつの間にかフロリエは涙を流していた。
「こういった立場にいる上に、長く生きておりますからな、多少なりとも人を見る目はあるつもりでおります。
一昨夜からのあなた方の行動を見ておりますと、仲間内だけでなく、我々にも気遣っておるのが良く分かります。例え娘からの手紙での先入観が無くとも、役人達の話を到底信じることは出来ません。もし、彼等の言う事が真であれば、あなた方は我々を利用しようとした筈です」
「私どもが見る限り、フロリエ様が姫様を慈しみ、姫様がフロリエ様を慕う様は実の親子のようであります。これだけをとっても、あの話は真とは思えません。
我らペラルゴ村の者達は貴女様の無実を信じ、フォルビアの真の主として遇し奉る所存であります。どうぞ明日の出立は見合わせ、お味方が到着なさるまでこの村にてお待ち頂きたく存じます。」
村長の夫婦は椅子から立ち上がると、フロリエの前に跪いた。彼女は驚き、困ったような表情を浮かべたが、やがてゆっくりと首を横に振ると2人に静かに答える。
「せっかくのお申し出ですが、お受けするわけにはいきません」
「フロリエ様」
何か返そうとする村長の夫婦を制し、彼女は何かを決意したような表情で言葉を続ける。
「小竜を連れ歩く私とこの子の髪の色はごまかしようが無く、目立ってしまいます。ましてやあのように役人が触れ回っていれば、いくら村の方々がかくまって下さっても遠からず私達のことは外に漏れることになりましょう。もし、迎えが来る前に知られればこの村もあなた方もただでは済みません」
「そうなるとは限りません。それに、万が一の覚悟は出来ております」
フロリエは寂しそうに首を振り、手首の組み紐にそっと触れる。
「このリラ湖の北では、おそらく私達の逃げ場を封じる為だけに村が一つ犠牲になりました。あなた方はこのフォルビアの……タランテラの財産です。もうこれ以上、私達のためにもう誰かが犠牲になるのを見たくは無いのです」
フロリエが膝の上で握り締めている手は小刻みに震えている。
「母様……」
その手にそっとコリンシアが触れると、彼女は娘を抱きしめた。
「ずっと付き従ってくれるオルガとティムの2人には申し訳なく思っています。ここにいれば楽なのでしょうが、それでも明朝、この村を発とうと思います」
フロリエの決意にオリガもティムも静かに頭を下げる。
「フロリエ様、我々は貴女様と姫様にどこまでもお供させていただきます」
「自分にはお2人を安全な場所までお連れする義務があります。お供させてください」
そう申し出る姉弟に彼女は静かに頭を下げた。
「ありがとう」
彼等の決意を目の当たりにした村長夫婦は一行を引き止めておくことを断念せざるを得なかった。
「ご決意は変えられぬようでございますね」
「はい。お心はありがたく思いますが、行かねばなりません」
「そうですか……では、出来うる限りの事をさせてくださいませ」
「もう充分にしていただいております。これ以上は村に負担となりましょう。お気持ちだけ頂戴いたします」
フロリエがそう言って頭を下げると、村長の夫婦はもうそれ以上言う事が出来なかった。
フロリエは懐かしい風景の中に立っていた。丸太作りの家々が立ち並び、それぞれの家に続く小道の脇には優しい香りのする小さな花が咲いている。そして村の向こうには山々が連なり、夏にもかかわらず雪が残る一際高い山が目に映る。
『クーズ山……』
知らずに山の名前を呟いていた。
『お帰りなさい、嬢様』
振り返れば年配の夫婦が笑いかけている。
『バトス……マルト……』
『お帰り』
白髪の威厳のある老人が目を細めて迎えてくれる。
『お祖父様……』
『なんだ、本当に来たのか?』
生意気な口調は弟のものだ。
『来たら迷惑だった?』
変わらない口調に安心して微笑みながら言い返すと、彼も笑いかえした。
『そんな事は無いさ。おかえり、フレア』
翌日、4人は夜明け前に起きて出立の準備を整えた。これから先の事を考え、オリガはその豊かな黒髪をバッサリと切り落として男装する。コリンシアもその目立つ髪を短く切り、手に入った渋草の染料で黒く染め上げた。そして姫君も念のために男の子の服装に着替える。もちろんフロリエも腰のあたりまで伸びていた髪を背中の辺りまでで切り落とした。
決意を新たにした4人が階下に降りると、村長夫婦も既に起きていて、居間で彼らを待っていた。
「お世話になりました」
フロリエが彼らに頭を下げると、村長はそっと何かの包みを取り出した。
「どれだけ役に立つか分かりませんが、これをお持ちになってください」
代表してオリガがそれを受け取り、中を見てみると4人分の通行手形が入っていた。
「村長様……」
「村や町を出入りする際にもしかしたら必要になるでしょう。どこまで通用するかわかりませんが、お役立て下さい」
「何から何まで本当にありがとうございます」
村長の心遣いにフロリエは深々と頭を下げた。そして懐からハンカチに包んだものを取り出すと、夫妻の前にそっと置く。
「気持ちばかりですが、宿代として受け取って下さい」
2人が包みを開けると、数枚の金貨が入っている。これはエドワルドから別れ際に渡された巾着に入っていた金の一部だった。これからの旅にも金は必要であるが、世話になったこの村の人達へ出し惜しむ理由は無かった。
「こんなに……いただけません、フロリエ様」
驚いた2人は金を返そうとするが、フロリエはそれを押し留めた。
「私達は命を助けられました。そのお礼に比べると本当に僅かではありますが、お受け取り下さい。それに……畑があのような惨状では冬を越せるだけの収穫が望めるとは思えません。どうか村のためにお使い下さい」
「お爺、お婆、ありがとうね」
コリンシアが2人に抱きつくと、感無量の2人は声も出せず、金を返せなくなった。
「もし……もし、私たちの行方を尋ねて竜騎士のルーク卿が来られたらこれを渡してもらえますか?」
オリガは手にしていた包みを差し出す。中には切り落としたフロリエとオリガ、コリンシアの髪が入っている。オリガの髪は昨年皇都のお土産としてもらったレースのリボンで束ね、コリンシアの髪はフロリエのものと一緒に姫君のお気に入りの青いリボンで束ねてある。彼が見れば誰の髪かは一目瞭然だろう。ちなみに余った青いリボンはルルーの首に巻きつけてある。
「分かりました。お預かり致します」
村長は恭しくそれを受け取った。
「村長様、準備が整ってございます」
そこへ中年の男が遠慮がちに声をかけてきた。村でも体格のいいこの男は、近くの町まで村での必需品を買いに行く事になっていた。フロリエ達は村長の計らいでそれに途中まで同道させてもらう事になったのだ。男に従って表に出ると、2台の荷車が用意されていた。
1台は買い出し用に用意されていた物。もう1台は子供を連れていては旅がはかどらないだろうからと、村長が彼らに譲ってくれたものだった。古びた荷車には年老いた驢馬が繋がれている。歳はとっているが、フロリエとコリンシア、そしていくらかの荷物は充分運んでくれるだろう。このこともあってフロリエは大金を2人に手渡したのだ。
「それでは村長様、奥方様、本当にありがとうございました」
最後にもう一度フロリエはそう言って2人に頭を下げると、他の3人もそれに習って深々と頭をさげた。
「道中のご無事をお祈りいたしております」
村長の夫婦も頭を下げる。名残惜しいが、譲ってもらった荷車にコリンシアとフロリエが乗り込み、オリガとティムはもう一台に乗せてもらう。途中まではどちらの驢馬もティムが操る事になっていた。
気付くと白々と夜が明け始めている。村長夫婦だけでなく、他の村人達にも見送られながら荷車はゆっくりと村の門をくぐり、登り始めた太陽に向かって街道を歩み始めた。
ご都合主義ですみません。