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『皐月』 出会い


 その日は妙に、朝から屋敷中に落ち着きが無かった。


 庭で草むしりをしていると、何やら興奮している『犬ノ神』と『猿ノ神』の会話がこっちにまで聞こえてきた。


「聞いたか?旦那様がまた新しい神を顕現なさるそうだ」

「聞いた聞いた。しかしまさか先代も先々代も、歴代の誰も呼べなかった『彼奴』をねぇ」

「おぬし、成功すると思うか?」

「どうだろう。まぁ確かに今代の旦那様は顔が良いからな、気障な彼奴ならひょっとすると……」


 どうやら、犬猿の仲も良くなるほどの一大事らしい。幽鬼との戦いや顕現に関して、私が蚊帳の外なのはいつものこと。


 それでも新たな神がやって来るのは、少しだけ不安になった。


(どんな神様なんだろう。猫様はもういるから……以外とムササビとか。あとは鋏とか、付喪神系もあり得るね)


 何にしても、よくわからない理由で怒るような方じゃないと良いのだが。


 ◇


「……いっで!?」


 やたらと丈夫な茎の雑草が、軍手越しに右手の人差し指と中指の間に突き刺さった。嫌な予感に怖々軍手を外すと、うっすら血が滲んでいる。一日すれば気にならなくなる程度とはいえ、今は痛くてしょうがない。無駄とはわかっているけれど、胸元でギュッと右手を押さえて、血よ早く止まれ早く止まれと念じる。



 不意に私の全身を覆うほどの影が落ちた。


 誰かいるのか、と振り返って仰ぎ見る。



 知らない顔と目が合った。



「——」

「——」



 逆光の中でも爛々と光る両目と、包み込まれるような薫衣草の香り。


 確かに人の顔、ではあるけれど、首から下はどう見ても鳥そのものだった。


「ご機嫌麗しゅう貴女様!ようやくお会いできましたね!!」

「をわぁっ!?」


 よく通る、男の人の低い声。

 両翼をバッサと広げて、ずいっと寄ってきたその顔に、しゃがんだまま仰け反ったせいで後ろに転んでしまう。


 だが身体が地面にぶつかるよりも早く、柔らかい何かに受け止められた。


「あ!これは失礼、驚かせてしまいましたね。どこか捻ってはいませンか?」

「い、いえ、大丈夫です。私の方こそ、失礼致しました」


 私を受け止めてくれたのは、目の前にいる彼の翼だった。そのまま立ち上がらせてもらい、改めて翼の主の姿を眺める。


 鳥の身体と言っても、並んでみると私より頭二つ分背が高い。

 立派な赤い翼と黒い尾羽には一枚一枚の羽先に金が入っていて、それが日の光を受けて豪華に煌いている。

 顔の方は、羽根と同じ黒と金と赤の入り混じるふんわりとした頭髪。不安になるほど真白い肌には、金のそばかすと黒い紅が引かれた唇がある。長い睫毛に縁取られた白銅色の瞳は、目が合ってから一度もまばたきせずにこちらを見つめていた。


 人の感性としては『異形』に分類されるのだろう。

 でも私の目には、彼の姿はあまりにも美しく感じられた。


「おンやぁ、ならばその手は?」

「これですか?これは雑草を抜いている時にうっかり切っちゃって」

「それはいけません!ささ、どうぞお見せください」

「あ、」


 そっと翼に右手を取られる。引っ込めようにも、手首に巻き付いてきた羽根をちぎってしまいそうで下手に動かせない。


 固唾を呑んで見ていると、傷口に優しく口付けられた。

 その一瞬の柔らかさと生まれて初めての口付けに、私の口が反射的に大きくパッカと開いてしまう。


「はぁいこれで治りましたよ!どうです?一度、握ったり開いたりしてご覧なさい」

「あぁ…お…」

「ン、大丈夫そうですね。いやぁアタクシ治療は得意な方じゃないンですけれどもね、今回はちょいと本気を出してみました」

「ありがとう、ございます」


 なんとか口を開閉させて言えた感謝の言葉に、彼は満足そうに(ただし両瞳はかっぴらいたまま)微笑んだ。


「いえいえなんの、貴女様のお役に立てたのならば何よりでございます。ところでその草むしり、よろしければアタクシにも手伝わせてください」

「そんな、神様のお手を煩わせるほどのことでは」

「ンーフフフまぁそう遠慮なさらず、そうれっ」

「おお凄い!脚を熊手のように!!」

「ホホホ、手が無いので脚で失礼。さぁさ、どんどん抜いてまいりましょう」


 彼が脚で地面を掻いてくれたおかげで、根っ子ごと雑草が回収しやすくなった。


 そうなるとただ黙々と作業をするのも失礼かなと思い、何か話題をと顔を上げる。

 するとまたすぐに目が合った。

 まさかとは思うが、作業中ずっとこっちを見ていたのだろうか。


「ところで申し遅れました、アタクシ『鳥ノ神』でございます」

「私はこの屋敷で女中を務めております。名前はどうか好きなようにお呼びください」


 神様に名前を『真名』を教えることは支配を許すということ。

 だからいくら聞かれても絶対に教えないようにとは、旦那様から強く言われていたことだ。

 神々を使役する力を持った旦那様ならともかく、ただの女中である私の名前を聞かれたところでという話だが、職場の決まりごとならキチンと守らなければいけない。


「ほう、なら他の連中は貴女様のことをなンと?」

「お前とか、おいとか、娘とか」

「ッカァ〜〜〜〜なンと失礼なことか!ならばアタクシからは『お嬢さん』と呼ばせていただきますね。それでよろしくお願いします」

「わ、わかりました。鳥様、こちらこそよろしくお願い致します」


 姿勢を正してお辞儀をする。が、鳥様は何やら不満気に「ン〜ン〜〜〜」と首を傾げていた。


「鳥様、どうかなさいましたか?」

「そンの鳥様という呼び方。なンと申しますか、アタクシの美的センスから外れていると言いますか」

「せ、せんす?」

「そうですねえ……あ、思い付きました!是非、鳥様ではなく『バード』とお呼びください」

「ばーど、様?」

「異国で鳥を意味する言葉です。ああしかし、様というのはどこか距離感を感じて寂しくなりますね〜」

「ならバードさん、と」

「はぁい!良いですねそれで行きましょう!!」


 やっと納得してくれたようだ。鼻歌まじりに再び地面を掻く姿に胸を撫で下ろす。


(それにしても『お嬢さん』か。初めて呼ばれたな。ちょっとむず痒いというか……嬉しいというか……へへへ)


 さっきの口付けと言い、結構気さくな方なんだろう。

 とにもかくにも、怒りっぽい神様じゃなくて良かった。


 ◇


「ありがとうございます。おかげでいつもより早く終われました」

「なンのなンの、また次も手伝せてくださいな」


 焼却炉横に雑草が詰まった袋を置いて、ここから一番近い屋敷の裏口へと向かう。こうして置いておくと『火ノ神』様が毎週の火、金曜日に燃やしてくれるのだ。


「バードさん。一度、そこの洗い場で脚を濯がせてください」

「良いですよ。どうぞお先に——」

「では失礼いたします」


 裏口に入ってすぐ横にある押入れから、綺麗な布巾を二つ取り出して再び洗い場に出る。蛇口を捻って水を出すと、濡らした片方の布巾でバードさんの脚を拭きにかかった。


「……お嬢さん。こういうことは、他の連中にもしてやっているんですか」

「いいえ。草履や靴を履かれている方がほとんどですし、裸足の方も皆さまご自身で拭かれていますよ」

「そうですか!いやぁ良かった、アタクシだけなンですね!!ハッハァ!愉快痛快全快爽快!!」

「はーい、ちょっと右脚を上げてください」


 バードさんの脚は大きな身体に対して、ほっそりとした黒檀のようだが、その先の金色の爪は鎌並みに鋭い。

 うっかり引っ掛けてしまわないよう慎重に拭くと、私の顔が反射して映るくらい爪の輝きが増した。


「ピカピカ!綺麗な爪ですね」

「アタクシの自慢の一つです。と言っても、お嬢さんのその美しい手に比べれば些細なものですが」

「あはは、ありがとうございます。でも普通の手ですよ。なんだったら男の子よりも大きくてみっともないくらいで」


 ちょっと骨太で節々がゴツゴツとした手だ。

 一度に沢山の物を掴めるから仕事上は重宝しているけれど、親戚からはしょっちゅう「見苦しい手」と嗤われて嫌に思ったことの方が多々ある。そんな手だった。


「そうですか。でもアタクシは好きですよ、お嬢さんの手」

「はい、はい。なら私も、この手を今から好きになるようにします」

「それがよろしい。アタクシの美的センスは一流ですからね、美しいものを美しいと思うのは当然のこっっとっ!!」


 バッサァと。両翼を広げ天を仰ぐその大袈裟な姿に、思わず吹き出してしまう。


まだ会って間もないのに、本当に素敵な神様だと心からそう思えた。


「おおっ、おぬし!こんなところにおったか!!」


 左脚を拭き終わる頃に、犬様と猿様が向こうから走って来た。

 その慌ただしい様子に、バードさんの方を伺えば「やれやれ、煩いのに見つかってしまいました」と面倒臭そうに空を仰いだ。


「鳥公め!いつもなら伽羅だの沈香だの漂わせているくせに、今日に限って香を変えていたな?おかげでわしの鼻を持ってしてもすぐに見つけられなんだわ」

「旦那様に挨拶もなしに、顕現してすぐどこかへ飛んで行くとは……やったのはお前ぐらいだぞ」

「犬公、猿公、お久しぶりです。相っ変わらず騒がしいですねぇ貴方達は。もっと鼻息を静めて話しなさいな」

「なんだとう!?」

「落ち着け犬公。それよりも早く鳥公を旦那様の元へ連れてゆくぞ」


顕現したての神様には、旦那様が屋敷を案内することになっている。さっきの会話から察するに、バードさんはまだその案内を受けていないのだろう。


(もう少しで昼餉の準備だし、ここは犬様と猿様に任せて下がろう)


「それでは、私は失礼いたします」

「ああ、お嬢さん。ちょいとお待ちを」


 振り返ると片翼で引き寄せられた。

 少し屈んだバードさんの顔が、私の顔の真横にくる。

 強まる香衣草の香りと羽の柔らかさに、何故か頬が熱くなった。


「——あのっ」

「ン、これでよし。ありがとうございます、貴女のおかげで元気が出ましたよ。ではまた後ほど」


 そう言い残し、バードさんは二柱に連れられ屋敷の中へと入ってゆく。


 早く、早く仕事に戻らないと。

 そう思いつつ熱くなった頬を押さえて、暫くその場から動けずにいた。



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