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THE EDGE(ジ・エッジ)  不可視の防壁   作者: sora_op


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7/12

Case 06:疑わしきは罰せず(The Hardware Hack)



第1部:完璧な証拠


1


水曜日の午後。アイギス・ジャパンの会議室は、裁判所のような冷たさに包まれていた。


「……以上が、監査ログの分析結果だ」


地下のラボから上がってきた**十凍(ソゴル)**が、プロジェクターに決定的な証拠を映し出す。


* X月X日 03:15:権限昇格(root)の実行。実行者 ID:Tsukasa.H


* X月X日 03:18:バックドア付き更新ファイルのアップロード。実行者 ID:Tsukasa.H


* X月X日 03:45:操作ログの消去コマンド実行。実行者 ID:Tsukasa.H


「言い逃れはできない」


十凍の声には感情がない。


「バックドアを仕込んだのも、その痕跡を消そうとしたのも、すべて司(つかさ)、アンタのIDで行われている。IPアドレスも社内LAN、MACアドレスもアンタの業務用PCだ」


長机の向かい側に座る司は、顔面蒼白で俯いていた。


いつもの胃薬の袋を握りしめているが、その手は震えている。


「……やってない。俺は……その時間は仮眠室にいた」


司が絞り出すように言う。


「PCは画面をロックして席を離れた。俺が戻るまで誰も触れないはずだ……信じてくれ……」


「信じる?」


**湊(みなと)**が冷ややかに眼鏡の位置を直した。


「司さん。セキュリティ企業において『信頼』とは感情ではありません。『認証ログ』こそが信頼のすべてです。あなたのIDで行われた行為は、あなたが責任を負う。それがこの世界のルールです」


湊は手元の書類に視線を落とした。


「司さん、即時に全システムへのアクセス権を停止します。本日付で自宅待機。PCとスマートフォンは証拠保全のため没収します。……その後、正式な聴取を行います」


「そ、そんな……」


2


「ちょっと待ってください!」


亀之助が立ち上がった。


「司さんがそんなことするわけないでしょう! 動機がない!」


「動機ならあるわ」


窓際で腕を組んでいたケアラが、悲しげな目で告げる。


「……調べさせてもらったわ。司さんの奥さん、重い病気で長期入院してる。治療費、保険適用外で毎月すごい額なんでしょ? ……以前、守凪さんにも漏らしてたって聞いたわ」


「……ッ!」


司が息を呑む。図星だったのだ。経済的に追い詰められていたことは事実だった。


だが、だからといって国を売るだろうか? あの、部下のために頭を下げる司さんが?


「カメ、目を覚まして」


ケアラが亀之助の肩に手を置く。


「ログは嘘をつかない。……これが『事実(ファクト)』よ。悲しいけど、彼が私たちの石橋を壊したの」


亀之助は言葉を失った。


技術屋として、ログという絶対的な証拠を突きつけられては、反論できない。


感情論でセキュリティは語れない。それがプロの流儀だ。


だが……本当にこれでいいのか?


第2部:アナログの逆襲


3


その時だった。


会議室のドアが乱暴に開け放たれた。


「……くだらねえ」


ドカドカと入ってきたのは、作業着姿の**磯部(親方)**だった。


手にはプラスドライバーと、汚れた軍手を持っている。


「お、親方? 今は重要な査問会議中で……」


「うるせえ! ログだのIDだの、インテリどもは画面の中ばっかり見やがって!」


磯部は司の前に立つと、胸ぐらを掴む……かと思いきや、司の肩をバンと叩いた。


「おい司。アンタが裏切るタマじゃねえことぐらい、俺が一番知ってる。先週の障害対応の時、アンタ一番最後まで現場に残って、俺たちにコーヒー配ってたじゃねえか」


「……磯部さん……」


司の目から涙が溢れる。


「湊、十凍、ケアラ。お前らの目は節穴だ」


磯部はポケットから、小さな黒い部品を取り出し、テーブルに放り投げた。


コロン、と乾いた音が響く。


それは、一見するとただのUSB変換アダプタのように見えた。


あるいは、PCの背面に溜まるホコリの塊のようにも。


「……なんだこれは?」


十凍が眉をひそめてそれを拾い上げる。


そして、顔色を変えた。


「……まさか。これはただのキーロガーじゃない。『USBインプラント』……!?」


4


「司のPCの裏側、キーボードのUSBケーブルと本体の間に、こいつが挟まってた」


磯部がニヤリと笑う。


「掃除のおばちゃんが見落とすような隙間だ。だがな、俺は『線一本またぐな』が信条だ。配線の取り回しに違和感がありゃ、すぐに気づく」


十凍が震える手でそのデバイスを分解する。中から極小のチップが出てきた。


「……HIDエミュレーション機能付きだ。こいつは司のキー入力を盗聴するだけじゃない。OSに対して『自分がキーボードである』と偽装し、事前にプログラムされたコマンドを自動入力(インジェクション)できる」


からくりはこうだ。


司がパスワードを入力した時、このデバイスがそれを記録した。


そして深夜3時、誰もいないオフィスで、デバイスが自動的に「司として」ログインし、目にも止まらぬ速さでバックドア設置コマンドを打ち込んだのだ。


PC側から見れば、正規のキーボードから入力されているため、ウイルス対策ソフトも検知できない。


「司さんのPCには正規のリモート管理ツールが入っていた。こいつはそれを悪用して、ログ消去まで自動でやったんだな」


亀之助が青ざめる。


「じゃあ、犯人は……ネットの向こうじゃない。……このオフィスに入ってきた誰かだ」


「清掃業者、自販機の補充、あるいは宅配便……」


湊が悔しそうに唇を噛む。


「入館ログを確認しましたが、該当時間に怪しい人物はいません。……カメラの死角か、あるいはログ自体が改ざんされているか」


第3部:見えない侵入者


5


司への疑いは晴れた。


だが、会議室の空気は、先ほどよりもさらに重く、不気味なものに変わっていた。


APT-Dragonは、ネット経由の攻撃がアイギス(亀之助やケアラ)に防がれると知るや、戦術を切り替えたのだ。


デジタルが駄目なら、フィジカルで。


工作員を物理的に日本へ送り込み、オフィスに潜入させ、物理デバイスを仕掛ける。


それはもはやハッキングではない。**「スパイ活動(エスピオナージ)」**だ。


「……全員、聞け」


沈黙を破ったのは、**猪熊社長(ヒグマ)**だった。


社長室から出てきた彼は、テーブルの上の小さな黒いチップを見つめ、静かに言った。


「敵は、我々の喉元までナイフを突きつけてきている。これはもはや、一企業のセキュリティ問題ではない」


猪熊の目が、野生のヒグマのように光った。


「湊くん。警察公安部に連絡を。これはスパイ事案だ」


「承知しました」


「そして……磯部くん」


「おう」


「今日から全フロアの物理セキュリティを最高レベルに引き上げろ。LANポート一つ、USBポート一つに至るまで、物理的に封印(ロック)しろ。……ネズミ一匹通すな」


「任せときな。物理層(フィジカル)なら俺の庭だ」


最後に、猪熊は亀之助とケアラを見た。


「デジタル部隊もだ。敵は物理と論理、両面から攻めてきている。……ここからが本当の戦争だ」


6


その夜。


司はデスクに戻り、泣きながら業務に復帰した。


守凪が「お祝いのケーキです!」と買ってきたショートケーキを、全員で無言で食べた。


亀之助は、自分のキーボードの配線を確認しながら、隣のケアラに話しかけた。


「……悪かったな。ログは絶対だなんて言って」


「ううん。私も間違えた」


ケアラはツナマヨおにぎりを齧りながら、窓の外の東京の夜景を見つめた。


「デジタルの波ばかり見てて、足元の『リアルな波』が見えてなかった。……親方(Oyakata)がいなかったら、私たち、大事な仲間を切り捨てるところだった」


亀之助は、遠くの席でLANケーブルの爪をチェックして回る磯部の背中を見た。


無骨で、口が悪くて、デリカシーがない男。


だが、彼もまた、アイギスを守る欠かせない「エッジ」なのだ。


「……頼もしいな」


「ええ。……でもカメ、気をつけて」


ケアラが声を潜める。


「キーロガーを仕掛けた犯人。……まだ、日本のどこかにいるわよ」


(第6話 完)


亀之助の技術日誌(Technology Log)


【今回の使用ウェポン:USB Implant (USBインプラント)】


* これはなに?(敵の武器)


* **「物理的な寄生虫」**です。


* USBメモリのような形をしていて、キーボードとPCの間に挟むだけで使えます。


* キー入力を盗聴するだけでなく、**「自分がキーボードのふり」**をして、人間には不可能な速度でコマンドを打ち込む(Keystroke Injection)ことができます。


* 恐怖ポイント: OSから見ると「正規のキーボード入力」なので、ウイルス対策ソフトでは検知が難しい。発見するには、磯部さんのように「目で見て触って探す」しかありません。


* 亀之助のボヤキ


* 「『多層防御』って言葉があるが、サイバー空間だけ守っててもダメなんだな。


* オフィスの入館証、来客の管理、清掃員のチェック……。


* セキュリティの最後の砦は、高度なAIじゃなくて、親方の『目視確認』だったとは。……頭が上がらねえよ」


【導入あり vs なし 比較】


物理チェック(磯部)なしの場合


* 結果:


* ログだけを信じて司を追放。無実の罪を着せ、家庭を崩壊させる。


* 真犯人(インプラント)はそのまま放置され、次の担当者のパスワードも盗み続ける。


* 組織は内側から崩壊し、APT-Dragonの思う壺。


物理チェック(磯部)ありの場合


* 結果:


* 司の無実が証明される(ただし胃痛は治らない)。


* 物理的な侵入経路が発覚し、オフィスの警備レベルを強化できる。


* 敵が「物理スパイ」を使っている事実が判明し、警察(公安)と連携するきっかけになる。


ケアラの占い部屋(Security Fortune)


【今回のキーワード:インサイダー・スレット(内部不正)と物理セキュリティ】


* ケアラの解説


* 「一番難しいセキュリティは『仲間を疑うこと』よ。


* 内部不正(Insider Threat)は、企業の死因トップ3に入るわ。でも今回みたいに、犯人が『内部の人間のふり』をしている場合もある。


* 昔、CIAのスパイ映画で見たでしょ? 清掃員に化けてゴミ箱から機密書類を拾ったり、デスクの下に盗聴器を仕掛けたり。


* サイバーセキュリティの時代になっても、最後は『物理』がモノを言うの。


* あなたの会社のPCの裏側……変なアダプタが刺さってないか、今すぐ見てみて?」


* 用語集(Termpedia)


* HID(Human Interface Device): キーボードやマウスのこと。インプラントはこれを偽装する。


* ソーシャル・エンジニアリング: 人間の心理や隙を突いて情報を盗む手口。清掃員に変装して侵入するのもこれの一種。




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