Case 02:操り人形の糸(The Puppet String)
第1部:地下室の解剖
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J-STRMへの攻撃から一夜明けた、アイギス・ジャパンのオフィス。
朝のニュースが、横浜市在住の高校生「K1D_Z」への家宅捜索を報じていた。
「……犯人、子供だったんですねぇ。まだ任意同行みたいですけど」
能天気な声がした。
営業部の守凪だ。少し大きめのスーツを着た、人好きのする男。手にはコンビニの差し入れ(大量のシュークリーム)を持っている。
「亀之助さん、昨日はお疲れ様でした! いやぁ、あのお客さん、僕が『絶対止めませんから!』って約束しちゃってたんで、ヒヤヒヤしましたよ〜」
亀之助は呆れ顔でシュークリームを受け取った。
「守凪さん、あんたねぇ……。『絶対』なんて言葉、SLA(品質保証)契約にないですよ。現場がどれだけ胃を痛めたか」
「あはは、すみません! でも、亀之助さんなら何とかしてくれるって信じてましたから!」
守凪は悪びれもせず笑う。
この男はいつもそうだ。ITリテラシーは低い。
「DDoS」を「ドス攻撃」と読んでドヤ顔をするレベルだ。だが、顧客への愛だけは異常に深い。
今日も「お客さんが不安がってるから」という理由だけで、始発で出社している。
その時、亀之助のスマホが震えた。ケアラだ。
『カメ、シュークリーム食べてる場合じゃないわよ。……「地下」に行くわよ』
2
アイギス・ジャパンの地下2階。通称「モルグ(死体安置所)」。
そこは、氷のように冷房が効いた、薄暗いラボだった。
「……光を入れるなと言ったはずだ」
部屋の隅、青白いモニターの光に照らされた男が、不機嫌そうに呟いた。
十凍。マルウェア解析のスペシャリスト。元ハッカーとも噂される、アイギスの「危険な懐刀」だ。
「ソゴルさん、ケアラからの依頼です。昨日のガキが使ってたツールの解析、終わりましたか」
亀之助が尋ねると、十凍は無言で画面を指差した。
「……ガラクタだ。表面上はな」
十凍の声は乾いている。
「だが、皮を剥いだら中から『軍用品』が出てきた。カーネルモードに寄生するバックドア。このコードを書いたのは、あの高校生じゃない」
画面には、複雑怪奇なアセンブリ言語が表示されている。
「こいつは攻撃ツールじゃない。『ソナー』だ。アイギスの防御壁にボールをぶつけて、その跳ね返り方を計測するための観測機。……誰かが、あのガキにおもちゃを与えて、俺たちの出方を探らせたんだ」
その時、守凪の社用携帯がけたたましく鳴った。
「はい、お電話ありがとうございます! アイギス営業の守凪です! ……えっ? 帝都大学病院様?」
守凪の表情が、一瞬で凍りついた。
いつもの柔和な笑顔が消え、受話器を握る指が白くなる。
「……電子カルテが開かない? 『身代金を払え』という画面? ……手術前のお子さんがいる!? 検査結果が見れないと執刀できない!?」
守凪は電話を切ると、亀之助と十凍を振り返った。その目には、鬼気迫るものが宿っていた。
「亀之助さん。……今すぐ、帝都大学病院を助けてください」
「おい、病院はウチの契約外だぞ。契約書も巻いてないのに動けるわけが……」
亀之助が言いかけると、守凪はバン! と机を叩いた。
「契約とかどうでもいいんです!!」
普段の彼からは想像もできない怒号が、地下室に響いた。
「今、手術室の前で待ってる家族がいるんです! 投薬履歴も分からなくて現場がパニックになってる! ……見捨てるんですか! 後でいくらでも始末書は書きます! 僕のボーナスも全部カットでいい! だから……行ってください!!」
これが、守凪の「特攻」だ。
顧客(というより人命)のためなら、社内ルールも採算もすべて無視して突っ込む。
亀之助はため息をつき、十凍と顔を見合わせた。
「……やれやれ。営業がここまで言ってるんだ。やるしかないでしょう」
「フン。……半年前のPoC(概念実証)で入れたエージェント、まだ残ってるはずだな。誰も使いこなせず眠っていた奴が」
十凍がニヤリと笑った。「検体が新鮮なうちに狩れるなら、悪くない」
第2部:身代金
3
帝都大学病院。
守凪が当直責任者を怒鳴りつけるように説得し、強引に取り付けた「緊急対応承認」。
それと同時に、法務部の湊が光の速さで作成した「緊急支援同意書」のPDFが飛び交い、法的なクリアランスがギリギリで成立した。
『カメ! 相手の正体が割れたわ!』
ハワイのケアラが叫ぶ。
『シグネチャが一致。「DarkLedger」。東欧の犯罪組織よ。昨日の高校生のPCを踏み台にして、父親のIDで病院のイントラに侵入したのよ!』
「父親のIDか……」
亀之助が呟く。
「過去に漏洩したIDの使い回しか。まさに『クレデンシャル・スタッフィング』の餌食になったわけだ」
画面上の地図で、病院を示す点が赤く染まっていく。ランサムウェアが電子カルテを次々と暗号化していく。
「情シスと連絡つきました! 『止め方が分からない、金で解決するしかないのか』ってパニックです!」
守凪が電話口で叫ぶ。「お金なんて払っちゃダメだ! 私たちが今、止めますから!」
「……止める? 甘いな」
十凍が冷たく言い放つ。
「奴らは既に管理者権限を奪ってる。LANケーブルを抜いても、内部で増殖するだけだ」
「じゃあどうするんだ!」
『Guardicore』だ。半年前に埋め込んだエージェントを叩き起こせ。病院のネットワークを論理的に切り刻んで、ウイルスのいる部屋のドアを溶接して、酸素を絶て」
亀之助の指が走る。
アイギスの「マイクロセグメンテーション」技術。
従来のファイアウォールが「城門」なら、これは城内の「全室のドア」を一斉にロックする魔法だ。
「全エージェント、起動! ポリシー適用! ……手術室セグメント、および検査データサーバー、孤立化! 通信ポート全ブロック! 許可するのは心拍モニターと画像参照のみ!」
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それは、時間との戦いだった。
守凪は電話口で、泣きそうな声の病院スタッフを励まし続けている。
「大丈夫です、うちのエンジニアは世界一です! 子供の手術、絶対に止めさせませんから!」
その声を背中で聞きながら、亀之助はキーを叩く。
手が震えそうになる。だが、隣の画面で十凍がウイルスの通信パターンを解析し、ケアラが敵のC2サーバー(司令塔)を特定している。
そして、後ろには「特攻野郎」が立っている。
『……DarkLedger、通信停止! 撤退していくわ!』
ケアラの勝ち誇った声。
「……侵食、止まりました」
十凍が呟く。
「電子カルテサーバー、生存。画像参照システム、レスポンス回復。……我々の封じ込め速度が、奴らの暗号化速度を上回ったな。これじゃあ金にならないと判断して逃げたか」
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数時間後。
DarkLedgerは完全に手を引いた。
病院からは、遅延していた検査データが参照できるようになり、手術が無事に開始されたという連絡が入った。
「……よかったぁ〜……」
守凪はその場にへたり込んだ。スーツは汗でぐしゃぐしゃだ。
「亀之助さん、十凍さん、ケアラさん……。本当に、ありがとうございました……!」
亀之助は白湯を飲みながら、このお人好しの営業マンを見下ろした。
「守凪さん。今回の件、タダ働きどころか、本来なら大問題ですよ。湊さんが裏で書類まとめてくれなかったら、俺たち全員クビでしたね」
「えへへ……。でも、子供が助かったなら、僕がクビになるくらい安いもんですよ」
そう言って笑う守凪の顔を見て、亀之助は毒気を抜かれたように肩をすくめた。
この男には敵わない。技術も論理も通じないが、この「熱」だけは本物だ。
『ねえ、カメ』
ケアラが画面の向こうで、真剣な顔をしている。
『DarkLedgerが捨て台詞を残していったわ。「我々の雇い主は、金なんかじゃ満足しないらしい」って』
「雇い主?」
『そう。高校生を操り、犯罪組織を動かす。……そんなことができる奴らがいる。守凪さんが守ろうとしたこの日常の裏に、もっと巨大な闇がいるわ』
亀之助は、へたり込む守凪と、不敵に笑う十凍、そして画面の中のケアラを見た。
個性も役割もバラバラな、アイギスの面々。
だが、この「エッジの効いた奴ら」がいれば、どんな闇とも戦える気がした。
「……上等だ。次はどいつだ」
(第2話 完)
亀之助の技術日誌(Technology Log)
【今回の使用ウェポン:Akamai Guardicore Segmentation】
これは何?
「マイクロセグメンテーション」という技術。
従来のセキュリティは「城壁(入口)」を高くすることに集中していたが、一度侵入されたら中は無防備だった。
Guardicoreは、城の中の「部屋ごと」「廊下ごと」に頑丈な扉をつける技術。たとえウイルスが侵入しても、隣の部屋に移動できず、そこで干からびて死ぬことになる。
亀之助のボヤキ
「『ランサムウェア対策にはバックアップ』とよく言うが、復旧には何日もかかる。病院や工場みたいに『今止まったら人が死ぬ』現場では、バックアップから戻す時間なんてないんだ。感染しても『広げない』ことが一番重要なんだよ。……ま、今回みたいにPoC環境が残ってなきゃアウトだったがな」
【 導入あり vs なし 比較】
導入なし(死亡フラグ)
感染発生:
父親のPCから院内全域へ、数分でウイルスが拡散。電子カルテ、検査機器、会計システムがすべて暗号化され、「身代金を払え」の画面が出る。
結末:
手術延期、救急受け入れ拒否。数億円の身代金を支払うか、数ヶ月かけて紙カルテで運用するか。地獄絵図。
Guardicore 導入あり(生存)
感染発生:
感染は「父親のPC」と「接続されたハブ」だけでストップ。重要なサーバーへ飛び火しようとしても、通信が許可されていないためブロックされる。
結末:
感染PCを初期化して終了。病院機能は通常通り継続。「なんかパパのPCだけ壊れた」で済む。
ケアラの占い部屋(Security Fortune)
【今回のキーワード:サプライチェーン攻撃(Supply Chain Attack)】
ケアラの解説
「正面突破が難しいなら、裏口から入ればいい。それがハッカーの思考よ。
今回は『セキュリティの堅い病院』を直接狙わ職員の自宅PC(高校生の息子)』を経由した。
これを『サプライチェーン攻撃』って言うの。大企業を狙うために、その下請け会社や取引先を狙うのも同じ手口。
今回はさらに、第1話で言った『IDパスワードの使い回し』が原因で、父親のアカウントがあっさり突破された。……パスワード管理、ちゃんとしないとあなたの会社も危ないわよ?」
用語集(Termpedia)
C2サーバー(Command & Control): 感染したボットやウイルスに命令を送る司令塔サーバー。これを突き止めて遮断するのが、ケアラの仕事の一つ。
ラテラルムーブメント(Lateral Movement): 侵入したウイルスが、組織内のネットワークを横移動して、より重要なデータを探す動き。カニ歩きみたいに横へ横へと広がるからこう呼ばれる。これを止めるのがGuardicore。




