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THE EDGE(ジ・エッジ)  不可視の防壁   作者: sora_op


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1/3

Case 01:静寂という名の悲鳴(The Quiet Scream)

サッカーW杯最終予選の大規模配信を目前に控えた深夜、CDNとセキュリティを担う地味なエンジニア・亀之助は、ログイン画面にわずかな異常を見つける。

それは、配信本体ではなく“入口”を破壊するための、巧妙なボット攻撃の前触れだった。

ハワイの脅威分析官ケアラと連携し、亀之助は本番直前で防御ロジックを実装。

視聴者に何も起こさせないための、静かで熾烈な攻防が始まる。

だが撃退したはずの攻撃の背後には、ただの愉快犯では済まない、さらに大きな脅威の気配が潜んでいた。

第1部:嵐の前の凪


1


東京、港区。深夜2時。


株式会社アイギス・ジャパンのセキュリティ・オペレーション・センター(SOC)は、深海の底のような静寂に包まれていた。


壁一面を埋め尽くす巨大なモニター群には、世界地図と無数のグラフが投影されている。光の粒子が大陸間を結ぶ海底ケーブルに沿って脈動し、インターネットという名の巨大な神経系が、今も休むことなく生きていることを示していた。


エアコンの送風音と、サーバーラックから漏れる低い駆動音ハムノイズ。それがここ、亀之助の世界のBGMだ。


「……キャッシュヒット率、99.8%で安定。オリジン負荷、2%未満」


たい亀之助は、手元のマグカップに口をつけた。中身は冷めきった白湯だ。カフェインはもう摂らない。これ以上神経を尖らせたら、胃に穴が開く。


彼は鼻あてが少し黄ばんだブルーライトカット眼鏡を中指で押し上げ、三枚ある自席のモニターの一点を見つめ続けていた。


つかささん、J-STRMジェイ・ストームの予備構成、CDNの切り替えテストは終わってますよね」


「ああ、昨日の夕方に完了してる。……亀之助、お前まだやってんのか」


背後の席から、当直マネージャーの司が呆れた声を上げた。胃薬の袋をゴミ箱に投げ捨てながら、司は苦笑する。


「明日の19時は、サッカーW杯最終予選『日本対サウジアラビア』だ。J-STRM始まって以来のアクセスが見込まれてる。だが、準備は完璧だろ。帰って寝ろよ」


「眠れませんよ」


亀之助は淡々と返した。視線はログから外さない。


「何も起きないことが確認できるまでは」


亀之助は、自他共に認める「地味な男」だ。


28歳。独身。趣味は貯金と、休日の散歩。


派手な新技術よりも、枯れた技術レガシーを好む。彼の書くコードには華がないが、バグもない。


かつてゲーム会社時代、たった一行の設定ミスで数万人のユーザーを接続障害に陥らせた記憶が、今も彼をこの席に縛り付けている。


『エンジニアが謝罪文を書くのは、敗北だ』


それが亀之助の信条だった。


明日の試合、J-STRMには数千万人規模のアクセスが殺到する。そのすべてを、アイギスの「エッジサーバー」で捌き切る。一瞬の遅延も、画質の劣化も許されない。


「……ん?」


亀之助の指が止まった。


モニターの隅、HTTPステータスコードの推移グラフに、ゴマ粒のようなノイズが走った。


ほんの一瞬。瞬きすれば見逃すほどの、小さな跳ね上がり。


エラーではない。正常なリクエストだ。だが、その「リズム」がおかしい。


「司さん、今の見ました?」


「何がだ? ……オールグリーンだぞ」


「いえ、違和感があります。ログイン画面(/login)へのリクエストが、0.5秒間隔で、きわめて正確に刻まれました。人間なら、こんなに等間隔には叩かない」


亀之助はコンソール画面を開き、ログを叩き出した。


User-Agent(ブラウザ情報)は、一般的なiPhoneやAndroidを示している。IPアドレスも国内の主要なキャリアのものだ。一見すると、ただの熱心なサポーターがログインを試しているようにしか見えない。


だが、亀之助の「臆病な勘」が警鐘を鳴らしていた。


これは、ただのアクセスじゃない。


まるで、誰かがドアノブを回して、鍵がかかっているか確かめているような――。


その時だった。


デスクの上のタブレット端末が、けたたましい着信音を鳴らした。


画面には、極彩色のビーチの背景と、アロハシャツを着た女性のアイコン。


「……出た」


亀之助は眉間を揉みながら、通話ボタンを押した。


2


『アロハ! カメ、起きてるー?』


画面いっぱいに広がったのは、ハワイの眩しい日差しと、それ以上に眩しい笑顔だった。


ケアラ・マカナ。アイギス米国本社が誇る、スレット・インテリジェンス(脅威分析)チームのエース。


背景には本物のワイキキビーチが見えているが、彼女の周囲には不釣り合いなほどの数のハイエンドモニターが並んでいる。デスクの横には、ワックスの匂いがしそうなサーフボードが無造作に立てかけられていた。


「……今は日本時間で深夜2時だぞ、ケアラ。何の用だ」


『用があるからかけたのよ。あなた、今J-STRMのログインAPIを見てたでしょ?』


亀之助は息を飲んだ。


「なぜ分かった」


『波が見えるからよ』


ケアラは手に持っていたアサイーボウルを置き、真剣な眼差しでモニターを指差した。


『ブラジルの廃線になったISPと、ベトナムの地下データセンター。そこでスキャンのパケットが急増してる。相関分析コリレーションにかけたら、送信先が一致したわ。彼らがテスト信号を送った先が、あなたの守っているJ-STRMのログインゲートウェイだった』


「……スキャン増加の相関か。ただのアクセス増じゃなくて」


『ええ、これは「計測」よ。彼らは探ってるの。J-STRMの認証サーバーが、どれくらいの負荷で応答遅延を起こすかをね。……カメ、明日の19時、キックオフの瞬間に来るわよ』


ケアラは声を潜めた。まるで獲物を狙うサメの話をするように。


『試合開始と同時に、世界中のIoTボットネットが一斉にログインを試行する。その数、推定で秒間50万リクエスト(500k rps)』


「50万……!?」


亀之助の背筋に冷たいものが走った。


それはDDoS攻撃としては特大ではない。だが、「ログイン処理」という重い負荷のかかる処理にそれだけの数が殺到すれば、認証データベースは一瞬で溶ける。


「配信サーバー」ではなく「玄関」を壊す気か。


「……対策する。Bot Managerボット・マネージャーの検知レベルを上げる。スコアの高い不審なIPは全部弾く」


亀之助はキーボードを叩き始めた。


『甘い! それじゃ間に合わないわ!』


ケアラが叫んだ。


『敵は「K1D_Zキッド・ゼット」よ。最近ダークウェブで名を上げてる新興のボットマスター。彼が使うボットは、人間の動きを完璧に模倣ミミックするの。マウスの動き、タップのズレ、全部学習済みよ。今のBot Managerのポリシーじゃ、正規のファンとボットの区別がつかなくて、一般ユーザーまで巻き込む(False Positive)わよ!』


「じゃあどうしろって言うんだ! ユーザーを巻き添えにするくらいなら、リスクを取ってでも……」


『検問を増やすの。私が書いたコードを送ったわ。EdgeWorkersエッジワーカーズで展開して』


ケアラが送ってきたのは、JavaScriptのコード片だった。


『ボット特有の「TLSフィンガープリント(通信の暗号化手順の癖)」を見抜くロジックよ。これでBot Managerの前段でフィルターをかける。そうすれば、人間とボットを高精度で分けられる』


亀之助はコードを画面に展開した。


美しいコードだった。無駄がなく、芸術的ですらある。


だが――。


「……ケアラ。このロジック、確かに早いが、例外処理(Exception Handling)が甘い。古いAndroid端末のTLSハンドシェイクでタイムアウトする可能性があるぞ」


『誤差の範囲よ! 99%は救えるわ』


「俺は99.99%を目指してるんだ。……待ってろ。今からこいつをラップする」


亀之助の指が加速した。


ケアラの書いた鋭利なコードの周りに、安全装置を次々と組み込んでいく。


Staging(検証環境)での即時テスト。構文エラーのチェック。


万が一、コードが暴走した場合のフェイルオープン(素通し)設定。


『ちょっと、カメ! 何行書き足す気? 処理が重くなるわよ!』


「ミリ秒単位の遅延なら、静的コンテンツのキャッシュ最適化で巻き取ってやる。ログインはエッジで検問して、オリジンには絶対にゴミを流さない。その代わり、安全性セーフティだけは譲れない」


亀之助は脂汗を拭いもせず、何重もの条件分岐(if文)を構築していく。


司に目配せをする。「変更凍結期間コードフリーズですが、緊急対応として承認を」


司が無言で頷き、承認ボタンを押す。


石橋を叩く。叩いて、ヒビがないか確認する。


それでも不安なら、橋の下に支柱を立てる。


さらに橋の上に屋根をつける。


『……信じられない』


ケアラが呆れたように呟いた。


『日本には「石橋を叩いて渡る」ってことわざがあるけど……あなた、補強しすぎよ。石橋を叩いたあと、その上に鉄骨を組んで、さらにコンクリートで固めてから渡る気?』


「ああ、そうだ。それでも足りないくらいだ」


亀之助は眼鏡の位置を指で直しながら、淡々と返した。


その目は、眠そうな色を消し、職人の鋭さを宿している。


「いいかケアラ。俺たちが守ってるのは、ただのデータじゃない。楽しみにして待ってる視聴者の『時間』だ。俺たちエンジニアが1秒遅れたら、それはただの遅延じゃない。損害賠償であり、失望なんだよ」


エンターキーに指をかける。


StagingからProduction(本番環境)へ。


ッターン! と叩くような派手な音はさせない。


静かに、確実に、深海へ沈めるようにキーを押し込む。


「俺は地味でいい。何も起きないことが、俺にとっての最高の称賛だ。……よし、オールグリーン。適用アクティベート完了」


アイギスの巨大なネットワーク全体に、亀之助とケアラの合作した「盾」が展開された瞬間だった。


『……その「退屈な完璧さ」には、感謝してるけどね』


ケアラは口元だけで小さく笑って、画面の向こうでコーヒーを一口飲んだ。


『さあ、来るわよ。キックオフ(開戦)だ』


### 第2部:不可視の攻防


3


19時00分。


キックオフの笛が鳴ると同時に、グラフが垂直に跳ね上がった。


「トラフィック急増! 想定値の120%! ……いや、150%を超えていく!」


司の声が司令室に響く。


J-STRMのサーバーに向け、日本中から、そして世界中からアクセスが殺到する。


その中には、純粋なサポーターの熱狂と、冷徹な悪意が混ざり合っている。


モニターの数値が赤く点滅を始めた。


『検知開始。……すごい数よ。秒間40万、50万!』


ケアラの声がスピーカーから飛んでくる。


『シンガポール、ブラジル、ロシア、中国……踏み台にされたIoT機器たちが一斉にログインAPIを叩いてる。まるでゾンビの行進ね』


亀之助の目の前で、ログが滝のように流れていく。


本来なら、この膨大な「ログイン試行」によってデータベースがロックされ、サービスは停止するはずだった。


だが――。


「EdgeWorkers正常稼働。Bot Manager連携よし。ボット通信を認識、エッジで破棄ドロップしています」


亀之助は冷静にステータスを読み上げた。


ケアラの「分析」と、亀之助の「実装」が噛み合った盾は、完璧に機能していた。


『K1D_Z』が操る高度なボットたちは、人間のふりをして忍び寄ったが、ケアラが見抜いた「TLSの指紋」と、亀之助が設置した「検問」によって、入口の前で弾き返されていた。


オリジンサーバー(J-STRMの本拠地)のCPU使用率は、わずか5%で安定している。


正規のユーザーたちは、裏側で起きているこの激しい攻防など知る由もなく、高画質の映像で日本代表のゴールに歓声を上げているだろう。


「……キャッシュヒット率、99.9%。ログイン成功率、99.98%で維持」


亀之助の声にも、安堵の色が混じる。


攻撃は15分ほど続いたが、やがて潮が引くように止んだ。


アイギスの盾が分厚すぎると悟ったのか、あるいはボットネットの維持コストが尽きたのか。


「……勝ったな」


司が深く息を吐き、新しい胃薬の封を切った。


4


試合終了後。J-STRMの担当者、阿部あべからの電話が鳴った。


「もしもし、たいさんですか? いやあ、素晴らしい配信でした! 画質も安定してたし、SNSでも『止まらなかった』って絶賛ですよ。さすがアイギスさんだ」


阿部の明るい声。彼は、自分のサービスが数百万のボット軍団に包囲されていたことなど、夢にも思っていない。


「ええ、それは何よりです。……何も起きなくて、よかった」


亀之助は受話器を置き、深く背もたれに体を沈めた。


これだ。この瞬間だ。


「何も起きなかった」という報告こそが、彼にとっての勲章。


だが、ハワイとの回線はまだ繋がっていた。


『カメ、喜ぶのは早いわよ』


ケアラの表情は晴れていない。


『ログを解析したわ。攻撃者の「K1D_Z」……これ、恐らく、いや絶対にガキよ』


「ガキって、本物の子供?」


亀之助は思わず聞き返した。


『ええ。攻撃パターンが教科書通りすぎるの。ネットの掲示板で拾ったツールを、マニュアル通りに繋ぎ合わせただけ。それに攻撃の止め時も「飽きたからやめた」みたいに唐突だった。プロの犯行なら、もっと執拗にデータを盗もうとするはずよ』


「じゃあ、ただの愉快犯か……」


『……違う、不気味なのはそこじゃない』


ケアラは声を潜めた。


『このツール、コアの部分だけ異常に洗練されてる。まるで軍用兵器みたいに。……誰かが、この『K1Dガキ』に、危険すぎる「おもちゃ」を与えたのよ。アイギスの防御力をテストするためにね』


亀之助は、冷めきった白湯を飲み干した。


喉の奥に、苦いものが残った。


終わっていない。これはまだ、これから始まる長い戦争の、ほんの小手調べに過ぎない。


「……上等だ」


亀之助は眼鏡を外し、クロスで丁寧に拭き始めた。


「誰が相手だろうと、俺の補強した石橋は落とさせない」


画面の向こうで、ケアラが不敵に笑った。


『いい心がけね。じゃあ、次の波の予報を送るわ。……次は、もっと大きいの来るわよ』



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