第20話 追走劇
一頭の馬が闇夜を疾走する。兵士の喧騒。女の悲鳴。
わたしはシスマの背中にしがみつき、彼女の荒々しい手綱さばきに恐怖をおぼえた。
兵士たちの群れをたくみにかわしながら、わたしたちは城門を抜けた。
「シスマ! どこへ逃げるつもりッ!?」
「砂漠へ出ます」
「馬じゃ砂漠を越えられないわッ!」
足もとの悪い砂漠に、馬の蹄は耐えられない。このまま逃げ切れるのは城下町まで。それとも、どこかに匿ってもらうつもりなのだろうか。
町の住人たちも、この騒ぎに気づいたらしい。あちこちの窓が開いた。シスマの操る馬の姿は一瞬の影となって、家々のまえを通り過ぎる。地面に放置されていた桶を蹴り飛ばし、馬は小さくいなないた。
「ゼナ王女、いえ、ヒナさん、そこで止まりますゆえ、手をはなさないように」
言うが早いか、シスマは手綱をきつく引いた。馬が後ろ足で立ち上がる。急ブレーキのかかった絶叫マシーンのようだ。ショックが強すぎて、悲鳴をあげる暇もなかった。
シスマはすばやくとびおり、わたしを馬から降ろした。
「ここは? まさか、そこの掘っ立て小屋に隠れるつもり? すぐ見つかるわよ」
シスマはわたしの質問を無視した。小屋のうらてへ回る。そのスキを突いて逃げようかとも思った。でも、目的地がない。ユーリのところへもどるのが正解なのだろうけれど、途中でガシェの配下に捕まらない保証はなかった。
そうこうしているうちに、シスマは小屋のうらてからもどって来た。
ダチョウのような生物が2頭、くつわをはめられた状態で出てきた。
それは、市場で商人たちが飼っていた動物だった。
「これは……サフィー?」
「ご明察。これで砂漠を渡ります」
シスマはわたしを1頭に乗せ、自分も残りの1頭に飛び乗った。
「ちょ、ちょっと待ってッ! わたしが操るのッ!?」
「ご安心を。こちらへついてくるように調教されています。手綱だけは決しておはなしになられないように……むッ」
背後で声がした。一般住民のものでないことは、わたしにもわかった。
馬とは異なる、パタパタとした足音。
「敵も用意していましたか……ヒナさんッ! 出発しますッ!」
シスマが鳥の腹を蹴ると、毛のない足が大きく前に出た。硬い大地を助走し、そこからふわりとした砂へと踏み入れる。速い。思った以上に。
「シスマ! もっとゆっくりッ!」
「追っ手が来ていますッ!」
「このスピードなら逃げ切れるわよッ!」
「あいては軍用サフィーですッ! おそらく追いつかれますッ!」
わたしはふりかえった。おなじ動物が数頭、遠方にみえた。
最初は豆粒ほどだったけど、だんだん大きくなっている。
「話がちがうじゃないッ!」
「この速度なら、後方から止めることはできませんッ! スピード維持をッ!」
わたしは心配になって、なんどもふりかえった。
みるみるうちに距離が縮まる。男たちは、ターバンに白い上下を着ていた。兵士にみえない。それに、先頭の男には見覚えがあった。カイードだ。
わたしはシスマに声をかける。
「シスマ! 王宮の兵士じゃないわッ! 盗賊団よッ!」
「なるほどッ! ガシェは、わたしたちを裁判にかけずに殺すつもりのようですねッ!」
「なに呑気なこと言ってるのッ! これなら城で捕まったほうがマシだったわッ!」
「わたくしにお任せをッ!」
砂漠のレースが始まった。
わたしのサフィーは、シスマの動きに忠実に従った。
シスマは大きな砂丘を左方に旋回する。敵の陰になったところで、シスマは大きな球を砂丘に向かって放った。ドンと大きな音がして、砂丘が崩れた。後方で悲鳴。わたしにも砂がふりかかり、片目の視力を一時的にうばわれた。
「なにかするときは、するって言ってッ!」
ヒュッと風を切る音が聞こえた。転倒音。
ふりかえると、1頭が砂漠に倒れていた。なにが起こったのか理解できない。
「ヒナさん、あまり上体をブラさないでくださいッ! 的になりますよッ!」
わたしは前方にむきなおる。シスマの指に、なにか光るものが握られていた。
ナイフだ。それに気付いたわたしは、サフィーの細い首のうしろに隠れた。
ヒュッと風を切る音。ふたたび1頭が転倒する。
のこり2頭。わたしは歓喜して叫んだ。
「シスマ! ナイス! 残りのふたりも……きゃッ!?」
サフィーが大きくはばたいた。わたしは手綱を握ったけど、暴れるサフィーに振り落とされた。砂に尻もちをつく。あっという間に、2頭のサフィーに囲まれた。
「ヒナさんッ!」
シスマはこちらへもどろうとした。
けど、それよりも早く、わたしの頭上に剣があてられた。カイードの剣だ。
カイードは、シスマにむかって声を荒げた。
「動くなッ! もうすぐ後発隊が来るッ! 勝ち目はないぞッ!」
「……」
シスマはサフィーを2、3歩さがらせた。
わたしを置いていくつもり? 背筋に冷たい汗が走る。
数秒ほど沈黙がつづき、シスマがようやく声を発した。
「盗賊団よッ! 政への介入は、諸国の王がお認めにならぬぞッ!」
「語るなッ! 女狐ッ!」
カイードは論戦を張るつもりなどないらしい。
シスマを罵倒し、残った最後の団員に合図をした。
それは顎髭のある男で、いかにも残忍そうな顔をしていた。
「この偽王女を、おまえのサフィーに乗せろ」
団員はサフィーから飛び降りて、わたしの肩に手をかけた。
わたしはそれを振り払おうとしたけど、手首を押さえ込まれた。
「はなしなさいよ」
「おかしら、こいつ暴れますぜ」
カイードはめんどくさそうな顔で、
「偽王女、ここに置き去りにされても、のたれ死ぬだけですぞ」
と言い、剣をちらつかせた。わたしはくちびるを噛む。
「あなた、わたしをどうするつもり?」
「縛って乗せろ」
団員はわたしの手首をしばって、サフィーに乗せた。
うしろから抱え込むように座られて、わたしは気分が悪くなった。
殺されるかもしれない。それとも、拷問にかけられる?
舌を噛み切って死ぬ勇気はない。代わりに涙があふれてきた。
「もどるぞッ!」
カイードは鳥のわきばらに蹴りを入れた。
一転、王都の方角へむかう。ふりかえっても、男の体でシスマの姿は見えなかった。
「ちょろちょろするな」
団員の一喝で、わたしはまえを向いた。
どうやって逃げる? そればかり考えていた。中途半端な地点で逃げても意味がない。砂漠の餌食になる。だとすれば、王都と砂漠の境界線、あるいは、すこし中に入ってから逃げるのが最善だと思った。
でも、それより手前で、ガシェの手下と合流されたら? 万事休す。
「ガシェとは、どこで落ち合うつもりなの?」
わたしはカイードに尋ねた。
「……」
「ユーリは今ごろ、ハサラ王に援軍を要請してるわよ」
「……」
カイードはなにも答えなかった。聞こえないふりをしている。
わたしは団員のほうに意識を移した。小声で話しかける。
「ねぇ、取引をしない?」
「あん?」
「わたしをユーリのところへ連れて行ってくれたら、お礼を弾むわ」
「おまえ、奴隷かなんかだろ。金があるようにみえないぜ」
「わたしは……」
「おいッ! 話をするなッ!」
カイードの叱責。団員は口をつぐんだ。
お手上げだ。なにかほかの手を――
「おいッ! どこへ行くッ!」
カイードの声に、わたしはビクリとした。
でも、それは、わたしにではなく、髭の団員にむけられていた。
「どこへ行く。王都はそちらではない」
団員は、おいおいという顔をした。
「カイードさま、バカ言っちゃいけません。そこにサフィーの足跡がありやすよ」
たしかに、団員の言うとおりだった。
鳥の足跡が、月明かりに照らされて、大股で続いていた。団員の男は、その足跡の続いている方角へと、サフィーを進めようとしていた。
「ちがうな」
「なにがですか?」
「それは我々が乗ってきたサフィーと歩幅がちがう。それに、星の方角もちがう」
カイードは、サフィーのうえで剣を抜いた。
「きさま、何者だ?」
「……」
カイードはサフィーを前進させた。剣が振り下ろされる。
金属音とともに、団員の男は華麗に宙を舞った。
彼の顔は、曲芸の数瞬で、ひとりの美少年へと変わる。
わたしは思わず名前をさけんだ。
「ユーリ!」
「チッ! 変化の術かッ!」
カイードは、砂漠に降り立ったユーリめがけて、サフィーを操った。
ユーリもまた剣を抜き、カイードの一撃を受け止めた。
さらに手綱を切り、カイードのバランスを崩した。
カイードはサフィーから転がり落ちる。彼の顔面に、ユーリの剣先が突きつけられた。
「盗賊団の幹部といえども、親衛隊相手では分が悪かったようだな」
「くッ……俺を殺したら、ガシェと折り合いをつけるチャンスがなくなるぞ」
「悪いが、劇は終わりだ。ゼナ王女は、ハサラ王に真相を話した」
カイードは唖然とした。
「ば、バカなッ! そんなことをしたら、おまえたちの計画は……」
「ゼナが、おまえや大臣の動きを計画に組み入れていないと思ったのか?」
カイードはしばらく言葉を失い、それからニガ笑いを浮かべた。
「砂漠で雨を恐れない者は滅びる……か。俺の負けだ」
「すなおでけっこう」
ユーリはカイードの首筋を剣で叩いた。
撥ねたのではなく、気絶させたようだ。血しぶきはあがらなかった。
ユーリはカイードの右手を持ち上げる。
「どうりで見つからないわけだ。こいつが嵌めていたのか」
ユーリは、カイードの中指からリングを抜き取った。
そして、わたしのほうへ歩み寄る。手首のいましめを解いてくれた。
わたしは恐怖から解放され、ユーリの胸もとにもたれかかる。
「怖かった……」
「心臓に毛が生えたような態度だったけどな」
わたしはユーリの胸を右手でたたいた。びくともしない。
その憎まれ口も、今となってはわたしの心に平穏を与えてくれた。
「……ところで、さっきの指輪は?」
「これか?」
ユーリは現物をわたしにみせた。わたしは、そのかたちに見覚えがあった。
「それって、わたしが拉致されたときに盗まれた……」
「そうだ。マリクからの贈り物だ」
「ガシェのやつ、カイードに持たせてたのね」
「いや、カイードはガシェに指輪を渡さなかったんだろう」
わたしは理由をたずねた。ユーリはこう答えた。カイードたちは、ガシェに協力しているとはいえ、盗賊団だ。いつガシェから裏切られてもおかしくはない。だから、万が一のときの保険として、指輪を引き渡さなかったのだろう、と。
「わたしの正体を見抜いているわりに、ガシェの行動が消極的だったのもそのせい?」
「おそらく、な。指輪の現物があれば、俺たちをもっと早く追い詰めていたはずだ。それをしないということは、盗賊団から肝心の指輪を受け取っていなかったんだろう。ゼナも俺も、そう読んでいた。今回はカイードの用心深さが裏目に出た」
わたしはユーリの説明を聞きながら、べつのことを考えていた。
ゼナは、どうなったのだろう。あの問答は、まだ終わっていない。余命短い王女に伝える言葉を、わたしは頭のすみで紡いでいた。
「ねぇ、ユーリ、もしできるなら、ゼナのところへ……ユーリ?」
わたしは異変に気付いた。ユーリの顔色が悪い。苦しそうに心臓を押さえていた。
「ユーリ? どうしたの?」
「これは呪い……なぜ……」
ユーリはその場に倒れた。わたしは呼吸をみる。
息はある。だけど、なぜ倒れたのかわからなかった。
発作? 呪いってなに? まさか、まだ敵がどこかに隠れて――
「死んではいません」
砂丘の向こうから聞こえた声の正体に、わたしは息を呑んだ。




