第21話 真の黒幕
夜が明ける。地平線だけが輝くカマルの朝がおとずれる。
ここは、砂漠にそびえたつ物見の塔。戦禍で打ち捨てられた建物だ。あのあと、砂丘を越えてあらわれた人物に、ここまで案内された。その人物は、わたしをシスマに引き渡して、今は姿を消している。儀式の準備だと、そう言い残して。
砂漠が、夜にはらんだ水気を吐き出し、霧を生み出す。
天頂には満月。三日月は不吉の象徴だと、ファーラビーは言った。わたしが捜していた巻き物の紋様も、三日月だった。だとしたら、この満月には、どんな比喩が隠されているのだろう。それとも、ただの迷信なのだろうか。
「ヒナさん、そろそろ時間です」
シスマの声。彼女は、石造りの欄干に立ち、美しく背筋を伸ばしていた。
風に吹かれ、すそがおどる。その勇姿は、あのおどおどしたシスマとは別人だった。
「もうすぐ、あなたを送り返す手はずが整います」
「魔法陣なら、できあがってるじゃない」
わたしは、石畳に描かれた魔法陣をみた。わたしよりもうまく再現できている。
「魔術師が必要です。高等魔法なので、だれでもよいというわけではありません」
「……そう」
「さきほどから、どうも気の抜けたご様子ですね。おびえたり、よろこんだりするのかと思いましたが……ユリディーズさんとの別れが、名残惜しいですか?」
「そんなんじゃないわ……わたしがあれこれしてきたことは、全部ひとり芝居で、なんの役にも立ってなかったんだなって……そう思っていたところ」
階段から足音が聞こえた。
正装のマリクが、朝日のなかへ姿をあらわす。
お別れのときが来たのだ。わたしは自然といずまいを正した。わたしはこの数時間、心の準備に努めていた。もとの世界へもどるのに心の準備だなんて、おかしな話だけれど、さよならの仕方だけは考えておかないといけない。そう思った。
最初にあいさつをしたのは、シスマだった。
「殿下、ご機嫌うるわしゅう」
「シスマ、きみが父王の命を受けていたとは知らなかった。なぜ秘密に?」
「陛下から、そのように仰せつかりました」
「そうか……」
マリクは諦念の表情を浮かべた。わたしのほうへ向きなおる。
「おはようございます、ヒナさん」
マリクは無理に笑おうとしていた。悲しげな瞳だ。
わたしもそれを真似してしまう。
「あなたが、この事件の黒幕だとは、ね……」
「弁明する余地もないかもしれませんが、どうかお恨みにならないでください」
「ユーリはどうなったの?」
「彼には眠ってもらいました。あの指輪は、ゼナさまをお守りするために、特別にこしらえたものなのです。ゼナさまの身に危険が及んだときだけでなく、僕の呪術で遠隔操作することもできます」
「ってことは、わたしが偽物だってことも、早くから気づいていたわけね……それとも、シャムスの大魔術師さんには、変化の術がそもそも効いてなかったのかしら」
「いいえ、ファーラビー殿の魔法は完璧でした。さすがともうしあげるほか、ありません。あなたが偽物だと気づいたのは、指輪の護身が発動しなかったからです」
ということは、馬の暴走で見抜かれたわけだ。
ずいぶんと短い変装だった。
「どうしてこの茶番につきあったの?」
「さきほどももうしあげたように、わたしの目をあざむくほどの魔術が使えるのは、ファーラビーをおいてほかにありません。すると、ユーリもこの件にからんでいるのではないかと思いました。だとすれば、けっきょくはゼナ王女の自作自演ということになります」
そこまで読んでいたのか――わたしは苦笑したくなった。
「わかったわ……どうやら、わたしは最後まで異邦人ってことみたいね」
「あなたを巻き込んでもうしわけなく思っています。もとの世界におもどりください。お詫びともうしあげては失礼ですが、この指輪はやはりあなたがお持ち帰りください」
マリクは指輪をわたしの手のひらに乗せた。
「慰謝料としてもらっておくわ……ところで……ひとつだけ訊いてもいい?」
「質問次第です」
「あなたは、ゼナのことを愛してるの?」
あの秘密の寝室ではなった問いを、こんどはマリクに投げかけた。
マリクは真摯な表情で、
「もちろんです」
と答えた。
「そう……ゼナもそう言ってたわ」
「ゼナさまにお会いなさったのですか?」
「ええ、お城で……彼女は……」
わたしはそこで口をつぐんだ。マリクは、ゼナの余命を聞かされたのだろうか。昨晩、城から連れ出されたあと、マリクとゼナとのあいだで会話があったのかどうか、わたしは知らなかった。ひとつだけ言えるのは、マリクのその悲哀に満ちた瞳からして、事情を察していてもおかしくはない、ということだけだった。
「いえ、なんでもないわ。ごめんなさい。だれかを愛しているかなんて、ほんとうは訊いちゃいけないのよね。さっきの質問は忘れて。わたしもあなたの返事を忘れるから」
「あなたは異国から連れて来られたおひとです。心に重荷を負わないでください」
魔法陣のなかへ入るように、マリクはわたしに命じた。
わたしは耳のイヤリングをはずした。
「これは返しておくわ」
婚約の証しなら、わたしが持って帰るというわけにもいかないだろう。
マリクは両手でそれを受け取った。その恭しい態度から、わたしの嫌な予感がやはり当たっているような気がしてきた。
「マリク、わたしは……」
「ヒナさん、さきほども申し上げたように、あなたは通りすがりの旅人。神も時も異なる場所からいらしたお方です。どうか、よき旅立ちを」
そうだ。わたしは通りすがりの旅人。ただの傍観者。
なにかを伝える者でもなければ、なにかを支える者でもない。あなた、ゼナが余命1年だって知ってるの?――こんなことを訊く資格は、わたしにはなかった。
「あなたって、ずいぶん強いひとなのね。誤解してたわ」
マリクはほほえんだ。悲しみの色はそのままに。
「強くなければ、王族は務まりません」
王宮は蛇の巣のようだと、そんな比喩を読んだことがある。シャムスもまた、そうなのだろう。
「それでは、送らせていただきます」
「ありがとう……それじゃ……」
「俺にはあいさつなしなのか」
わたしたちは、塔の昇降口をみやった。ユーリが右手を壁につき、朝日が作った影のなかでこちらをみつめていた。
「ユーリ、もう大丈夫なの?」
「マリクの手加減のおかげでな」
ユーリはそう言って、陽のあたる場所へと進んだ。だけど、それがウソだというのは、マリクの表情でわかった。マリクは心配そうに、
「ユーリ、あまり無理しないほうがいい」
と声をかけた。ユーリはそれを無視して、今回の事件の真相をたずね始めた。マリクはいつからこの件に噛んでいたのか、シャムスの王の承諾はあったのか、さらに、ほかの国々の介入はあったのか。
マリクは、そのどれにも答えなかった。
「国家機密、というわけか」
「すまない……」
「いや、いい。大事なことは、さっき立ち聞きした」
マリクは顔をあげた。じぶんに失言があったのかと、不安になったのだろう。
ユーリはそれを見てほほえんだ。
「王族がそう顔に出すもんじゃない」
「きみが一番聞きたかったこと? それは?」
「おまえがゼナを愛してるってことだ」
風が吹いた。ユーリの言葉には、うしろめたいことがなにもないと、そう証言するかのように。そして、わたしのなかのわだかまりも、その風に乗って消えた。おそらく、この砂漠のどこかに咲く花の露のように。
マリクはそっと目を閉じた。ただ黙って一礼した。
「もっとヒナみたいに堂々としろ。助けてやったのにお礼の一言もないんだぞ」
いきなりのとばっちり。わたしは腰に手をあてて、
「助けたもなにも、危険な目にあった原因があなたでしょ」
と反論した。
マリクは笑った。わたしは大きく息をついて、
「ま、ユーリには感謝してるわ。あのままだと殺されてたかもしれないし」
「……かもな」
にくたらしい。最後までかわいくない男だ。
同時に、わたしはユーリとはすこし仲を持ち過ぎたと感じた。
急なお別れで平気じゃないほどに。
「では、始めさせていただきます」
マリクは呪文を詠唱し始めた。さきほどよりも真剣な表情で言葉をつむぐ。魔法陣がだんだんと紫色に染まり始めた。
「……ッ!」
わたしは体がすこししびれた気がした。
最悪の事態が脳裏をかすめる。
「マリク、わたしを始末する気なのッ!?」
「ちがいますッ! 魔法陣が崩れてるッ!」
わたしは足元をみた。魔法陣のチョークが、すこしだけ乱れていた。
さっきの風? いや、もっと人為的なものだ。
マリクは叫んだ。
「シスマ! まさかッ!」
シスマは青ざめた顔で答える。
「陛下のご命令です……お赦しを」
わたしは一瞬で事態を把握した。
シャムスの王は、証人が生き残ることを認めなかったのだ。
わたしは魔法陣から脱出しようとする。
「ヒナ、やめろッ! 出るのは危ないッ!」
ユーリがわたしを押し戻しに飛びかかった。
魔法陣の外円のはざまで、わたしとユーリはぶつかり合い、そして気を失った。




