レイミア様の恋②
今度はもう口元を拭うことすらせず、大慌てで前に身を乗り出し、わたしは叫んだ。
「王家を離脱っ!? れ、レイミア様が、王女を辞めるということですか!?」
「ええ、そうするしかないのだから、そうなりますわね」
カップを傾けながらあっさりとそういうレイミア様。
「し、しかないって、ええっとでも、方法としては一応、セドリックが上級貴族にまで成りあがっていれば、姫は姫のままでも婚姻は可能ですが! なんならアナスタジアお姉様と同じパターンで、どこかに養子に入るとか」
「……その方法は、セドリック本人からも提案されましたけど……」
そこで、レイミア様はふっと微笑みを浮かべた。
「それでは、セドリックのやりたいことはできないでしょう? 彼は将来、シャデラン領で暮らしたいと願っているのですから」
「それは、そうですが……」
「ルイフォン兄様から聞きました。これからシャデラン領の土地を使って、何か事業をなさるのね。それを、セドリックが積極的に監修しているって」
その通りである。
今、ルイフォン様……というよりわたし達グラナド商会は、シャデラン領の羊牧場を使い、羊毛の産地にしようと計画している。その場にいたセドリックには酪農の知識がちゃんとあった。二年前に男爵位を継いで以来、責任感を持って勉強しているという証明だ。
「そうと知るまでは、セドリックを王宮に招き入れる方向で算段を立てておりました。しかしそれでは、愛妾と変わらぬ身しか与えてあげられない。だだっ広い宮殿にセドリックを閉じ込めて、飼い殺しにするだけです」
「……でも。だからって姫が王家を捨てるなんて」
「わたくしは王女ですが、政略結婚を拒否した時点で、王家に貢献できることは何もありません。それならば、セドリックの夢を応援したいのです。わたくしは妻として、セドリックの生活を支えたい。これは女だから、男に付き従うという意味ではありませんよ」
…………。
言いたいことはある。だけど言う意味が無い。レイミア様の中でもう決まっていることだろうから。
わたしは口を噤み、着席し直した。
「もちろん、遠い未来の話です。もっと良い着地点があるかもしれない。これからお兄様も交えて本格的に相談して行くつもりですの。ですのでこの話はいずれ、また」
「えと……ではレイミア様が本当にわたしに相談したいこととは」
「……わたくし、気付いてしまったのです。こんな風に考えているわたくしは、ただの道化であると」
レイミア様は深い深いため息をついた。
「だってあの子はまだ八歳。わたくしのことを好きだとか結婚しようとか、本気で言っているわけがありませんっ!」
叫びながら、レイミア様は顔を手で覆い、いきなりワアッと泣きだした。
「嗤ってくださいまし! 信じるほうが愚かだったのです。いくらわたくしが修道院育ちで世間知らずだからって、八歳児のいうことを真に受けるなんて、どうかしておりました」
「え、ええと……でも、貴族同士の婚約は、その年頃の内に結ぶのも珍しくないのでは」
「政略結婚ならばそれでよろしゅうございます。でもそうでないなら問題でしょう!? むしろ家柄的には問題山積、それをお互いの恋心と信頼だけで乗り越えていかねばならぬというのに!」
うわっ、レイミア様、本気で泣いてる。青い目からボロボロと大粒の涙がとめどなく零れ落ちていくのを、わたしはぼんやりと見つめてしまった。
まあ、確かに……レイミア様の不安は、もっともだと思う。
成年であっても、男の人の口説き文句なんて信じちゃいけないもの(と、わたしもチュニカから習った)。ましてや子どものセリフとなると……。
だが、わたしは笑った。めそめそと泣き続けているレイミア様の肩にそっと手をやり、落ち着かせるため、ゆっくりと叩く。
「身分より年の差より、それが不安だったんですね、レイミア様。セドリックの言葉が本心かどうか。自分のことを、ちゃんと好きでいるのかどうか」
「ええそうよ、いいえ違います、もうやめてくださいまし。わたくしが一人で盛り上がってしまっただけと、もう分かっておりますから……!」
「大丈夫ですよレイミア様。セドリックの言葉は、すべて真実ですから」
レイミア様はほんの少し指を拡げて、その隙間から、恐る恐るわたしを見上げる。怯える彼女に、わたしはにっこりと笑って見せた。
これだけは実の姉として保証できる。セドリックは絶対に嘘を吐かない。
あの子は確かにお調子者だし、あんまり思慮深い方ではない。それにやはりまだ子どもだから、これから心変わりすることはあり得る。それは成年であっても同じことだ。レイミア様も、永遠の愛を保証してほしいわけではないだろう。ただ今この瞬間、彼の言葉を信じていいか不安なのだ。
「でも……でも、彼は学園でも人気者で、それはもうものすごい数のお友達がいるのです。わたくしより年の近い子も、年上の貴婦人も。その全員に、彼はいつでも好き好きと公言して憚らないの! わたくし以外の女性にも――」
「セドリックはその女性に求婚しましたか? あなたと同じように」
わたしが問うと、彼女は目を伏せた。
「……いいえ。それは、聞いたことがありません」
「なら、あなただけです。セドリックは老若男女、すべての人間のことが好きです。だから好きだと言った。だけど結婚は一人とだけするものと知っています。だから一人にだけ求婚した」
レイミア様が息を呑む。
そう――セドリック・シャデランの言葉は常に真実、本心だ。初対面のクラスメイトに仲良くなりたいと宣言するのも、気難しい教師に懐くのも、王女様への求婚も、全部彼の本心。
「だから、大丈夫です。弟を信じてください、レイミア様」
レイミア様は顔を上げ、またその大きな目に涙をいっぱいに溢れさせる。
そしてテーブル越しにわたしに抱き着いて、ワアワアと声を上げて泣き出した。わたしは王女を抱きしめ、幼い子にするように優しく頭を撫でながら、大丈夫、大丈夫と何度も言い聞かせた。それ以外のこと――弟の人柄や生い立ちを語り尽しなどしなかった。レイミア様がそれを必要としていないから。
レイミア様は、自分で真実を見極められるお人だ。言動は無鉄砲なくらい、幼く無邪気に見えるけど、聡明で、何より前向きだった。自らの強い意思を持って、王族の地位を捨てて田舎の男爵家に嫁ぐ決断と覚悟をしている。彼女はとても強い女性だった。
でも、ちょっと不安になっちゃったんだよね。
信じているけれど、「信じて」という言葉が欲しいよね。
わかるわ、レイミア様。恋ってそういう物だもの。
恋する女の子としてレイミア様に共感しながら、同時に、彼女の強さに憧れる。わたしが彼女と同じ年の頃、この不安に押しつぶされ、耐えきれなくて逃げてしまった。たくさんの人から気づきを与えてもらっていなければ、わたしは今頃ここにいない。
華奢な肩を抱きしめながら、ふとその強さの根幹に思いを馳せる。
強い意志と行動力、自分より相手を優先し、時に自己犠牲すら厭わない。いざという時は自分が全責任を取るという覚悟。それは彼女の兄君にも見られる特徴だった。
……血縁者だから似ているのか。それともこれが強者の責務――ノブレスオブリージュというものだろうか。
わたしも一応、貴族の家に生まれた娘ではあるが、正直言って未だにその感覚は無い。レイミア様やルイフォン様、キュロス様も、わたしには無いものを抱えているのかもしれない。
レイミア様を抱いたまま、わたしは空を見上げた。
そしてほんの数時間前――この王宮を訪ねた時のことを思い出していた。




