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天涯孤独の、ふたりだから  作者: 640orz
第一部 春から、夏まで
12/74

第十二話 レイアのひかり、私たちのひかり 前編

          第十二話 レイアのひかり、私たちのひかり 前編

 

 

 ドリンクを買ってくる、と言って離れていった姉の帰りが遅くて、歌奈はフードコートのほうに足を向けた。

 パレオのついた、白と翡翠の水着。左腿のガーター。

 売店の並ぶ、人の行き交う中をきょろきょろと見回して、ほどなく詩亜を見つける。

 

「……って、なんてベタな」

 

 五人分のドリンクを載せたトレーを手にして、姉は数人の男性に囲まれていた。

 ナンパか。絵に描いたようなその光景に、ああいうのって実際にあるんだなぁ、と歌奈は苦笑する。

 お人よしの姉だから、言い寄ってくる男たちを振り切れずに戸惑って、困っている。

 仕方ない。ずんずん、そちらに向かって歌奈は歩いて行って。

 

「ねーさん、行くよー」

 

 姉の手を引く。後ろで男たちがなにやら喚いているが、気にも留めない。

 歌奈ちゃん、と安心したように発せられた姉の声が、背中から聴こえてくる。

 

「ありがとう」

「いーえ。ほんと、人が良いんだから、ねーさんは」

 

 あのくらい、力任せ、勢い任せでも振り払ってしまえばいいのに。

 そういうことのできない平和な性格が姉の美点だということも、重々承知してはいるのだけれども。

 ──こんな性格の人が、将来の夢が軍人さん。要するに自衛官とはねぇ。

 姉の進路希望を知る歌奈だから、微笑ましく思う。あちらからは見えないように、くすりと笑う。

 

「歌奈ちゃん」

「うん?」

「しーちゃんたちの様子、どうですか」

 

 いや。こうやってまずほかの誰かの心配ができる、誰かを想えるからこそ、そういう他者のための仕事を目指せるのかもしれない。

 根底には亡き父の就いていた職業を、その背中を追って、という部分があるにしろ。父と同じ仕事を姉は、高校生となった今、目指している……。

 

「うん、楽しんでくれてると思うよ。彩夜と、三人で泳ぎの練習してる」

 

 今日のメンバー、不知火以外全員カナヅチだからさ。まずは雪羽から、ってさ。

 教える側も、教わる側も。

 ふたりとも、切り替えて楽しんでくれてるよ。

 

「せっかくのお出かけだもんね」

「はい。せっかくのお出かけですから」

 

 雪羽たちに元気がなかったことは、歌奈も察していた。穏やかな性格に似合わず勘の鋭い姉ならなおさら、とうにわかっていたのだろう。

 揃って、友の心配をしていたあたり、気苦労を抱えやすい姉妹なのかもしれない。

 

「アタシたちには言えないことなんだろうね」

「仕方ないですよ。そういうものだってあります。誰にだって」

 

 あるいはより深く、姉は知っているのかもしれない。

 たとえそうだったなら、伝えていいと思うことなら姉も歌奈に相談をしているはず。なにも言わないということは、あまり広めるべきことではないと判断しているのだろう。

 だから歌奈も、訊かない。雪羽たちも、姉のことも信頼しているから。

 ゆえに世間話として、話題を変える。

 

「そういえば、不知火って眼鏡なんて使うんだね。知らなかった」

「眼鏡? ですか?」

 

 裸眼だと思ってたから、意外だったな。それは今朝、プールに到着してから抱いた何気のない感想。

 

「うん。かけてるとこ見たことなかったし。今朝、ここの更衣室で着替えるときにタオルやらのバッグの中に眼鏡ケースあったからさ」

「へぇ。それ、私も知りませんでした。授業中もとくにかけてなかったと思います」

「あ、そーなの? 一応持ってるって程度なんかな」

 

 かも、しれないですね。言いながら、姉の手が掌を握り返してくるのを、歌奈は感じる。

 姉が気にしているように、自分も自分なりに、友人姉妹のことを気にかけているのだと思う。知らず知らず、無意識のうちに。

 よく似ているから。うちと、あっちは。

 

「アタシらも不知火に泳ぎ教えてもらう?」

「……う。でも」

「自衛官って泳げないとマズいんじゃないの?」

「う」

 

 か、歌奈ちゃんだって泳げないじゃないですか。姉の口を尖らせる声が、愉快で。

 

「アタシは将来設計とくに決まってないもーん」

「ちゃ、ちゃんと決めないとダメですよっ」

 

 強く握り返しながら、姉と歩く。

 あのふたりもこんな風に、ずっと一緒に歩いて行けたらいいと思う。

 

                  *   *   *

 

「私は反対だ」

 

 プールに行った翌日。不知火は、『白夜』に、白鷺のおじさんを訪ねていた。

 レイアから告げられたこと。その仔細について、相談をするために、だ。

 雪羽も連れてこようかと、迷った。

 部活の帰り道だから、どうしたって遅くなる。そもそも部活のあいだ待たせておくのも申し訳なくって、結局ひとりでやってきた。

 帰りは、少し遅れること。

 夕飯までには間に合わせること。それらだけは、雪羽の携帯へと連絡をして。

 

「そう言われると、思ってました」

 

 険しい顔をして、おじさんが目の前に座っている。

 レイアの持ってきた提案を、その一部始終を話したのだ。普通の反応として、無理もないと思う。

 

「わかってます。私にだって、無茶な提案だってことくらい」

 

 天涯孤独になったふたりが、たくさん、まわりの人たちに──おじさんや、彩夜や。詩亜たちに支えられてどうにかやっていけていて。

 そこに、もうひとり。身寄りのない子を引き取るなんて。

 まだ自分たちだけで自立が出来ているわけでもない。大人ですらない、不知火たちふたりの手で育てるなんて、身の程知らずにもほどがある。

 

「だけどそういう理屈を理解していると同時に、ひかりを受け容れたいと望んでいる自分がいる。それも、事実なんです」

「不知火くん。しかし、それは」

「生意気で、わがままなんだってわかってます。わかってるんです。こんなにもいつも、おじさんや彩夜たちの助けばかり借りていて。現に今だって、こうして相談に乗ってもらっている」

 

 それでも。

 

「──それでも同じ、天涯孤独の子だから。兄さんと、小雨さんが娘に臨んだ子だから。どうしたって、その気持ちは否定できません」

 

 理屈ではない、感情の部分で。

 そうありたいと願うかたちがある。そしてきっとそれは、雪羽もたぶん同じで。

 

「私だって、そう思ってしまうんです。もっと素直で、純粋で。まっすぐな雪羽なら。たぶん、もっとその気持ちは強い」

 

 確信に近いものがあった。

 自分を受け容れてくれた雪羽なら。きっとひかりも、容易く受け容れてしまうだろう。気持ちの上では、間違いなく。

 自分を、抱きしめてくれたように。

 彩夜のために奏でた、心からの演奏があったように。

 

「だからこそ、迷っています」

 

 私にも同じ気持ちがあって。雪羽と重なっているからこそ。

 姉として振る舞う自分が同じように、その気持ちを追求していいのかと。

 立場とか、しがらみとか。冷静に、「ダメだ」って、そう判断するべきなのかもしれないって。自分の中で葛藤をしています。

 

「──不知火くん」

「雪羽に、お姉ちゃん、って呼んでもらえる自分はどうするのが、正しいんだろうって」

 

 掌を、落とした目の先に広げて見つめてみる。

 見えているそれは、どの選択肢を掴むのが正しいんだろうか。

 そうしたいこと。そうすべきことは、常にイコールで結ばれているとは限らない。

 自分にとって。雪羽にとって。支えてくれる人たちにとって、正しいこと。それって、なんだろう。

 

「……いけないな、これでは」

「え?」

 

 そんな不知火に、不意におじさんは、ため息交じりにぼそりと呟く。

 

「きみに、大人をやらせてしまおうとしている──結局」

 

 十代の、子どもの。少女の願望がたどり着く先の選択肢としてではなく。

 今、きみは。雪羽の保護者としての選択を、見出そうとしている。そうさせてしまっているのは私だ。……情けないことに、ね。

 おじさんは、言う。自嘲の色が声音に色濃いのがわかる。

 

「きみや雪羽が、高校生という未成年の立場でこれ以上、余計な重荷を背負うことはない。だからこそ、私は反対をしなくてはならなかったというのに」

「おじさん……」

「いや。しかし、それでも──それほどに、きみはあの子の姉を、やってくれているのだね。それほどまでに、当たり前に、あの子の姉に、なってくれた」

 

 頭を軽く、幾度か振って。やがて穏やかに、おじさんは告げる。

 ありがとう、と。目を伏せて、会釈を向けてくれる。

 

「別に、感謝されるようなことでは。ただ、私は。私にとって雪羽が、大切な女の子だから」

 

 かけがえのない、妹だと思っているから。

 まだたった数か月、たったそれだけの時間しかともに過ごしてはいない姉妹だけれど。でも、今の不知火にはそれほどに、雪羽という女の子の存在は家族として、とても大きくて。

 

「雪羽には、笑っていてほしいんです。私が見る彼女の顔には、笑顔があってほしい。姉として、そのためにどうしたらいいか。私にとってそれはものすごく、大事なことで」

 

 うまく伝えられているかわからない。だけれど、正直な言葉を、まっすぐに聞いてもらおうと、不知火は努めた。

 うん、うん、と、不知火の言葉、そのひとつひとつに白鷺のおじさんは何度も静かに頷いて、最後まで聞いてくれた。

 

「あの子が笑顔でいられなくなるような選択を、私はしたくない」

 

 そう結んだ不知火に、やっぱりおじさんは頷いてくれた。

 ああ、きみの言う通りだね。私たちも、同じ気持ちだよ。そう、言ってくれた。

 

「きみがあの子の姉でいてくれて、よかった」

 

 それは不知火にとって、最大級の賛辞だった。

 誰にも恥じることなく、また雪羽に恥じられることなくそうありたいと、心からそれは思っていることだったから。

 彼女とともに笑いあうこと。

 彼女の笑顔とともにあること。

 それはいつのまにか、不知火の中にあって、とても大きなものとなっていたのだから。

 

                  *   *   *

 

 ヴァイオリンケースを、開く。

 そこにあるのは、懐かしい楽器。海外からの来訪者が届けてくれた、大切なもの。

 あの日、訪問のあとに。もうすぐ届くよ、と伝えてくれた。

 そうやって戻ってきた楽器が、目の前にある。

 

「……うん、同じだ」

 

 雪羽のもとに、ではない。本来の持ち主が、本来いるはずだった場所に、だ。

 

「姉さんのヴァイオリン。ちゃんと、届けてくれたんだね」

 

 それは姉の遺品のヴァイオリン。

 前に手にしたのは、いったい何年前だろう。ずっとずっと、過去のこと。だけれど記憶の中のニスのツヤと、琥珀色をしたその姿はなにひとつ、変わっていないように思えて。

 憧れた楽器のそのかたち、そのままだった。

 雪羽はそっと、亡き人のヴァイオリンを両腕に抱きしめる。

 駒板を倒してしまわないように。

 弦の調律を、狂わせてしまわないように。ゆっくりと、やさしく。けれど全身で楽器を確かめるように、しっかりと。

 このヴァイオリンを、長年にわたって姉は弾き続けていた。

 たしか買ったのは、まだ両親が生きていた頃。雪羽がまだ、ものごころすら宿す前のことだ。

 時折、演奏を聴かせてくれたついでのように、姉は、写真くらいでしか雪羽には覚えのない両親のことを、ヴァイオリンに絡めたエピソードとして語ってくれていたっけ。

 数少ない、それは雪羽にとっての両親の思い出。

 姉にとってもそれは多分同じで。もしかすると、姉がヴァイオリンを続けたのも、そういった理由があったのかもしれない。

 両親と、ヴァイオリンの通じて繋がっていられるから。

 そのヴァイオリンが、帰ってきた。姉さんが帰ってくるはずだった場所に。

 ピアノの前でひとり、雪羽はそれを抱きしめている。今はこのヴァイオリンが、たしかに姉と雪羽とを繋いでくれている──……。

 

「──レイアさん、か」

 

 これはその人が、もたらしてくれたこと。

 義兄を、好いてくれていた人。彼女が、持って帰ってきてくれた。

 感謝の二文字以外なにもない、と思う。

 

「もっとよく、話してみたいな」

 

 お姉ちゃんのこと。あたしが知る前の彼女のことだって、知っているのだろう。

 晴彦さんのこと。断片的にしかまだ知らない、義兄となるはずだった人。

 そして晴彦さんと出会ってからの、姉さんのこと。

 いっぱい、知りたいことがある。聴かせてもらえたら、と思う。

 だがなにより──、

 

「ひかり、って言ったよね」

 

 彼女からもたらされたもので、雪羽たちの生活に最も一石を投じたのはなによりその幼子の存在にほかならない。

 実姉と、義兄が娘として迎え入れるはずだった女の子。

 彼女を、雪羽たちの手で育ててみないか。その提案に、不知火も雪羽も正直、未だ迷い続けている。

 

「お姉ちゃんも、すごく迷ってる」

 

 もちろんあたしもだ。

 幼子のあどけない寝顔を思い出しながら、ひとりごちる。

 あの子もまた、亡き姉と。そして亡き晴彦さんとのつながりのひとつ。ふたりの慈しもうとしていた命。

 

「あたしはあの子と一緒に暮らしたい」

 

 引き取りたいと、思う。

 許されるのなら、今すぐにだって迎えに行きたい。だけど。

 ……きっとお姉ちゃんも同じ気持ちで。でも、そうはできないこともわかっていて。

 雪羽の気持ちも、たぶんもうわかっているのだと思う。叶えたいと、思ってくれているはずだ。

 そう、そのことが雪羽もわかっている。姉の配慮が──だから衝動的にどうしたいとか、気持ちの赴くままの行為は姉を困らせるだけなのだろうと、歯止めがかかっている。

 姉は、『白夜』に寄ってから帰ってくると言っていた。きっと、ひかりのことを相談に行ったのだと思う。

 おじさんは、反対するだろうか? せざるを得ない立場なんだろうな。きっと。

 大人として。雪羽たちを、世界とつなぎとめてくれていたおじさんだからこそ。未成年の雪羽たちにそれをさせたいなどとは思わないはずだから。

 それでも。──それでも、と思う。その気持ちを、雪羽は否定できない。

 

「あたしたちがしてもらったぶん。今度は、ひかりに」

 

 ひかりを、天涯孤独の中から世界につなぎとめてやりたい。

 姉たちがそう望んだことを、引き継いで。姉と義兄の記憶のあるあたしたちが、姉たちの遺した幼い少女にそうしてやるべきだと思うのだ。

 

「レイアさんのところから、引き取って」

 

 鍵を回す音が、玄関のほうから聴こえた。

 遅れてやってくる、「ただいま」の声。

 

「レイアさんに預けたほうが、もっと良くなる選択肢をひかりに用意してもらえるかもしれないけど」

 

 あちらは大人。こちらは子ども。

 用意できる将来に差があるのは当然だ。それでも。

 

「──え」

 

 そう、思っていた。そこで、不意になにかを見落としているような、奇妙な感覚を雪羽は覚える。

 雪羽、どこ。そう言いながら、足音がぱたぱたとスリッパを鳴らして、部屋に近づいてくる。

 

「あたしにも、お姉ちゃんにもこの家がある。姉さんや、お義兄さんとの思い出がそれぞれに残っている。思い出させてくれるものも、たくさん」

 

 やがてノックの後に、扉が開かれる。

 

「雪羽? ああ、ここにいたんだ」

 

 気付いている。聴こえている。だけれど返事すら、雪羽はすぐには返せぬほど、没入していて。

 

「ひかりも、ここに迎え入れたなら繋がっていられる。姉さんと、お義兄さんと」

 

 お義兄さんのことが大好きだったレイアさんが、そうしてくれた。連れてきてくれた。

 この家に、晴彦さんと繋がった、ここに。

 遺された雪羽と、不知火と、ひかりが。故人たちと繋がっていられるように。

 でも。──だったら。

 今、ひかりとともにある繋がりは?

 

「雪羽?」

 

 我に返ったように、雪羽は顔を上げて不知火のほうを見つめる。

 胸元をいくぶんはだけた制服姿の姉は、怪訝そうに首を傾げてこちらを見返している。

 

「お姉ちゃん」

「ただいま、雪羽。そっか、ヴァイオリン」

 

 届いたんだね、レイアからの荷物。小雨さんの──ヴァイオリン。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

「うん?」

 

 雪羽は、亡き姉と繋がっていられる。このヴァイオリンが。家が。思い出の品々がある。同じく遺された、姉にとって妹同然の彩夜がいる。

 

「立ち入ったことになるかもしれないけど。聞かせてくれないかな」

 

 不知火も同じ。亡き兄を思い起こさせるものに囲まれて。この家があって。繋がって、いられる。

 ひかりもきっと、この家にくればそうなれるのだろう。そしていつか大きくなって、そんな彼女に、両親になるはずだったふたりのことを自分たちが語ってやれる。だけど。

 

「晴彦さんと、レイアさんのこと」

 

 そのためには知らなければならないと思った。

 ひかりと、レイアさんのこと。レイアさんと、晴彦さんの繋がりのこと。

 雪羽の言葉に一瞬、姉は息を呑んで。

 ──いいよ。ご飯食べたら、話そう。

 微笑んで、頷いた。

 雪羽の腕の中にはたしかに、レイアさんのもたらしてくれた亡姉の遺品が、そのヴァイオリンが在り続けていた。

 

                  *   *   *

 

「──もしもし?」

 

 昼寝を続けるひかりを背負い、ショッピングモールをレイアは歩く。

 胸ポケットでバイブレーションをした携帯を引っ張り出すと、そこには不知火の名があった。

 夕飯は、買い物で済ませるつもりだった。自分のぶんと、ひかりのぶん。

 料理はしないほうではないが、生憎とこの街にきたばかりでそのような設備も道具も持ち合わせていない。これまで根無し草のような生活だったから仕方がない──それでもその中で、ひかりのために栄養のあるものを、これまでの国々で、マーケットで。日々の中で選んで手に取ってきた。その時間がささやかだけれどあたたかくて。食べてくれると嬉しくて。

 この日本にひかりと来るのが楽しみだった。

 ふたりで過ごす日本での日々を、気に入っていた。

 

「うん? 七月二十日? え、その日って」

 

 きっと不知火たちは、ひかりを受け容れてくれると思う。

 未成年ふたりに無責任だろうか、とも思っていたけれど、訪問の際に聞いた様々な話が、まわりの人々のぬくもりを、懐の広さを伝えてくれていた。だからきっと、大丈夫だと思う。ふたりが、三人になってもやっていけると思う。

 

「不知火の誕生日だろ? その日でいいの?」

 

 結論を急いではいなかった。だからボールを投げて、あちらが答えを出すまではなにもこちらから動くつもりはなかった。

 そして今、不知火からの声を聴いている。

 電話越し。答えを伝えに、ふたりに会いに行くよ、と。

 

「──うん。うん、オーケー。待ってるよ。それじゃあ、その日ならこっちも──」

 

 日取りは、七月二十日。大学時代、晴彦とともに祝った不知火の誕生日。

 その日に、会いに行く。答えを聞かせる。彼女はそう言った。

 

「それじゃあ。ひかりと待ってるからな」 

 

 彼女が、ひとつの記念日を節目として選んでくれたのが嬉しかった。

 電話を切ると、背中のひかりを、あやすようにそっと揺する。

 

「もう少しだよ」

 

 あと、もう少し。ほんのちょっとで。

 

「ひかり、お前のいるべき場所に連れていける。晴彦がお前を連れて行こうとしていた家にな」

 

 山のように積まれた、ぴかぴかと光る真っ赤な林檎を手に取る。

 この子との最後の晩餐も、きっともうすぐ。そう遠いことじゃない。

 だから今は、ふたりでのこの生活を楽しもう。

 晴彦の遺した忘れ形見の義娘を、レイアなりに精一杯愛してやろう。そう、思った。

 

 

                     (つづく)


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