第七十六話
その男は、とある牢屋の中にいた。窓から日が差し込んでいるとは言え、その多くの例に漏れずにジメジメとしたその場所の中で、シェルはその男の姿を見かける。成人は超えているであろうが、まだ若いはずであるその男はシェルが近づいているにも関わらず顔をあげようともしない。しかし罪人特有の鬱々とした雰囲気を微塵も出さないところに不思議さを覚える男に、シェルは鉄格子越しに声をかけた。
「どこにいるかと思ったら、こんなところにいたか。」
その声に、男――――――シノトはやっと顔を上げた。その表情にははつらつとした元気は伺えないものの、体調は特段悪いわけでもないのか顔色は悪くなく落ち着き払っている。紫色の手稼がなければ、外を歩いていても何ら不思議なところはなかっただろう。
「その口ぶりだと俺を探してたみたいですね。」
「いや、お前を見つけたのは偶然だ。確かにお前を探している奴は多いが、俺は少なくともそうではない。姿は見ないが、どこかで生きてはいるだろうとは思っていた。」
シェルから見ても、シノトは違和感なくその牢屋の中にいた。おそらくはそれだけ長くいるのだろうというあたりはすぐにつく。まさかとは思いながら、シェルは廊下に気を配りながら牢のほうに顔を寄せる。その声は、自然とささやき声となっていた。
「今日は盛大な祭りがあるそうじゃないか。まさかお前が特別招待されたのか?どういうつもりだ?」
「俺がなにかすると疑っているんですか?大丈夫ですよ、俺は何もしません。」
その言葉が意外だったのかシノトは少し目を丸めていたが、あとに続く言葉の後には少しはにかんでいた。しかしその言葉にもシェルは眉をひそめる。
「嘘だな。それとも今日何があるのか、詳細を知らされていないだけか?」
「それはもちろん知ってますとも。今日これから俺の死刑があります。俺は抵抗せず、直にそこで殺されるでしょう。間違ってますか?」
シノトの言葉に、シェルは表情を変えることなく目の前の鉄格子を掴んだ。直後、シェルが握ったところから鉄格子が嫌な音とともに捻じ曲がる。瞬きする間に、人を閉じ込める檻に穴があいていた。シノトが説明を求めるような視線をシェルに向けても、シェルは以前涼しい顔をしている。
「お前ならこれくらいは簡単にできるだろう?それどころか捕まること自体がまずありえない。いくら恨みを一番受けているお前であっても、勇者の体になってお前より一年も短い、逃亡中の他のやつらより早く捕まるなどありえないだろう。」
「・・・・・・買いかぶり過ぎですよ。こうやって手錠もかけられている以上、俺はここを自力で逃げることはできません。それに俺がここから逃げたら、ここに集まっている人たちの怒りは何処へ行くと思うんですか。」
人が一人通れそうな穴を目の前にして、シノトは少しも腰を上げる素振りすら見せなかった。シェルは長い息を吐き目を細める。その目は、改めて目の前の男を品定めするかのようだった。
「やはりそうだったか。まさかとは思ったが、お前が集めたんだな?それもこの半年中に、信望する神が戦争を止めたことで不信感を持ち、反旗を翻そうとした人間たちを。だがお前が死んだところで、奴らが納得するものか?」
「納得してもらう約束です。それが俺が大人しく捕まる条件でしたから。」
シノトの言葉に、シェルは目をつぶって深く考え始めた。たっぷりと考えることは彼にとってさして珍しくないことだが、再び目を開けたときまだスッキリとしない表情をとることは彼にとって珍しいことだ。それだけ彼にとって、シノトの言葉は予想外のものだった。
「信じられんな・・・・・・以前のお前なら死ぬことだけは拒んだはずだ。事実、あれだけ言われるがままに従っていた王の命令でも、お前は死ぬことだけは拒んだ。この一年で一体何があった?」
「俺が変わったように見えますか?」
シノトの服装は、以前シェルが見たものよりも一回りふた回りみずぼらしくなっていた。だがそんな事を聞いているのではないとわかっていたシェルは、何も言わない。答えがいつまでも来ないのを見て、シノトはどこか懐かしむように口を開く。
「俺は夢を探していました。それも、俺だけにしか叶えられない、俺だけの夢を。ここに集まっている彼らの数は決して少なくない、そしてその流れに便乗するものもいないとは限らない。俺が死ぬことを最後に平和が訪れるというのなら、平和をもたらすという夢は達成されることになりますよね。」
「だがお前は死ぬぞ?」
「いつかは死ぬんです、夢半ばで死ぬよりははるかにいいですよ。」
シノトの言葉に、シェルは開こうとした口を閉じた。なんとなく場の空気が重くなったのを察してか、シノトは一転して明るい口調を作り出す。
「それに前から決めてたんですよね、オレが死ぬならこういう形でって。もちろんこっちで俺は悪くありませんが、生まれた国の影響なのかそれだと納得できてないところがあるみたいなんですよ。だからちょうど良かったのかもしれません。」
「お前は勇者だろう、故郷はいいのか?ソーンの生まれでないのは分かっている、この遠い地で死ぬことになっていいのか?」
「どうなんでしょうね。でも、戻ると俺のやったことは悪いことになるんですよね。だから嫌です。」
シノトの口から突然漏れた子供のような口調に意表をつかれ、シェルは少しだけ笑った。狙ってかそれとも偶然か、ここに来て初めてシェルが見せた笑みにシノトの表情も半ば柔らかくなる。
「自分勝手な奴だな。まあお前の選択だ、俺は何も言わん。」
シェルの表情は、もちろん聞きたいことこそまだあろうが、満ち足りたものになっていた。彼はシノトと抱き合えるというような仲でもないが、それでもシノトの意志が固いことはよくわかっている。だからこそ、それについてこれ以上何も言うことはなかった。
「最後にひとつだけ。あの建物を作ったのはお前だと神は言った。本当か?」
シェルは別れ際、惜しむわけでもなくただ聞きそびれていたことを確認するかのようにシノトの方を見た。何が言いたいのかはシノトにも一瞬分からなかったが、若干傍目から見てげんなりしていたのは気のせいではないかも知れない。
「たとえ俺があれを作ったとして、それがどうしました?俺が死ぬのを止めますか?」
「いや、私にそんなつもりはない。だがあの存在は、神とともにこの世に平穏をもたらすきっかけとなってくれた。もしそうだとしたら、一言言っておきたくてな。――――――ありがとう。」
シェルはそう言うと、さっさとその場を去っていった。足音だけがやけに響く中、へし曲げられた鉄格子を見ながらシノトは廊下の方へずっと視線を向け続けている。
「俺、何も言ってないんだけどな。」
シノトの言葉は、誰にも聞き取られることはなかった。
森の木よりも多そうな人が、波のようにうねっていた。統一性のない会話ばかりが入り乱れている。その全てが黒一色、どこかの世界と同じく誰かを喪っていたためにそうなっているのかはわからないが、その全てがここに集まっている理由は似たようなものだった。
民族の誇りとして、代え難い絶対の秩序として、それを信じ続けていた彼らは、彼らが憎むべき存在の登場を誰かの声によって知る。彼への感情は声となり、初めはまとまりがなかったそれもやがてはひとつとなって、台の上に登った彼へと殺到した。
「やっぱり嫌われてますね。むしろ清々しいくらいです。」
恨みつらみの声を一身に受け止めるシノトは、さっぱりとした表情で目の前に広がる光景を眺めていた。見渡す限りを埋め尽くしたその人という人が全て、シノトの死を望んでいる。その声が、その表情が、いやがおうでもそのことを感じさせるはずがシノトはまるで意に介していないようだった。
「さっさと台についてください。それともこの期に及んで死にたくなくなったとかはなしにしてくださいよ?」
「分かってますよ。でもまさか、ここでシーラさんにまた会うとは思ってなかったよね。」
いかつい男達に導かれた断頭台、そこでシノトを待っていたのは以前シノトと一緒にいたことのあるシーラだった。シーラに言われるまま、シノトが特別製の断頭台に首を据えると人の群れは打ち合わせたかのように静かになる。何が始まるかとシノトが顔を上げると、その横の方でシーラが歌うように声を張っていた。
「今日この日、ようやく私達の家族を奪った本人が死にます。私達の神に誓って、私達は在任を絶対に許せません。なぜなら彼は、私達が最も憎む罪人なのですから!」
シーラの言葉に、その場の全員が賛同するように拍手と歓声が湧き上がった。熱気は既に最高潮、次の瞬間には誰が何を話しているのかもわからないぐらいとなる。目の前の光景にシノトが黙ったままでいると、その耳元にシーラの声が届いた。
「最後に何か、言いたいことはありませんか?」
「もちろん、約束は守ってくれるんだよね?」
「・・・・・・死んだあとの事を話すなんて、相変わらず変わっていますね。」
シーラのため息混じりの言葉も、すぐに人の声にかき消される。それにシノトは答えようとしたが、その前に気配は遠のきそしてその時が近づく。死刑執行まで、もはや秒読み状態だった。
ふと、その時になってシノトを見上げる人の一部に変化が起こった。
見れば、遠くのほうで人々が争っていた。全体のおよそ二割ほどの人間がもみくちゃとなっている。だがそれも遠くのほう、残り八割の人の壁に阻まれてはシノトの死刑は何ら滞りなく行われるだろう。そして、シノトの背後の気配がより一層強くなった。
シノトは、最初何が起こったのかわからなかった。人の声に音がかき消されていたからかもしれない、死の淵にいて自分でもわからないうちに思考が鈍っていたからかもしれない。だが視界がぐるぐると回る間、いろんなことを思い出していた。
家族のこと、友人こと、これまで覚えたこと、そしてこれまでやってきたことの数々。一瞬で浮かんでは消えていくそれが、シノトにはとても懐かしく感じた。
そして最後、こちらに来てからのこと。短いながら、本当にいろいろなことがあった。初めての殺しも、初めて見るものも。そして出会った人たちすべての顔が消えて、そのあとには青空だけが残った。
最後、その目に焼き付けるように映し出した青空も、押し寄せる闇にすべて塗りつぶされそしてシノトの意識も遠のいていった。
終わりかな?今までありがとうございました。お疲れ様です。




