第五十八話
ソーン王国、アトラス王。彼は今非常に困った事態に頭を抱えているところだった。
「私は殺すべきだと思います。確かにさっきは戦ってくれましたしこちらの仲間だと主張しておりますが、やつは敵側として私たちの同法の多くを殺しています。また裏切って多くの味方を殺される前に、ご決断をお願いします。」
そう言って彼の前で指示を待つのは、ソーン国の重鎮達。前の戦争でその数を半分にしたとしても、彼らはやはりその勇ましさを微塵も衰えさせることなく、いまもなおアトラス王にとって頼もしい兵士達だ。彼らはその全てがこの日現れた少年――――――シノトリクツの死を願っていた。無論、アトラス王もその意志を尊重したいし、自身もそうであるべきだと思っている。彼がこれまでしてきたことを考えればそれが至極妥当のことだと、ソーン国民全員が思うことだろう。だが、ことはそう簡単に行かない。この一年の国民すべての恨みのうち、その約半分を集めているであろう男がやっと現れたと思ったら、その手には一枚の手紙を携えていたのだ。もしただの手紙ならば何のためらいもなくアトラス王はシノトを殺しにかかっていたであろうが、その手紙はアトラス王でも無視できるものではなかった。
「そんな書類等偽造に決まってますでしょう!紙切れなどいくらでも作れます!」
勇ましい兵士の声に、大勢が一斉に頷く。だが一人だけ、その場の大勢のように鎧をつけていないものが、その多数決の流れに逆らうように声を上げる。
「確かに、これが偽造された書類なら大したものです。おそらくはそのために、あの悪魔はガルバレイ王国を半壊にまで追い詰めているでしょう。賢明なかの国の王は仕方なく王家に伝わる印を渡すと、労力に見合った結果ですね。」
「貴様、誰の味方なのだ!やつが我らの同胞を多く殺したことは本人も既に認めている、それ以上にやつは我ら仲間同士に不信感を抱かせる種となった人間だぞ!何もなしで済まされたでは、通る法も通らなくなるぞ!」
「私は何も無罪にしろと言っているわけではありません。ただ今すぐはダメです。ただでさえ敵側の大軍がここに押し寄せている最中だというのに、そこに矢も通らず刃も通らない、我ら以上の力を持つ敵までいる。対抗するにも我らの数は少なく、そのなかでいままでこちらに敵軍の位置を教えてくれ、かつ劣勢にも関わらずこの手紙によればこちらに援軍を送ってくれているというではありませんか。さらに前の戦争の悪魔まで、一応こちらがわに引き入れてくれた。これであちら側の意向に背けば、勝てる戦も勝てません。」
そう述べるのは、アトラス王に仕える数少ない文官の一人だ。彼の発言は多くの兵士達とよくぶつかることが多く、黒の民とは思えないような発言も多かったが、中立的な意見が多かったのは確かなことだった。故に彼は多くの兵士と意見が対立するとわかっていても、アトラス王は欠席させようと思うことはない。
アトラス王は、にらみ合う両者の間で一人思考に耽った。簡単にいえば、これはつまり怨恨か、戦争に勝つ確率を上げるか、そのどちらを取るかという選択だ。普通なら色々と考えた末、後者を取るだろう。ソーン国が滅びれば、すなわち黒の民が滅びる。だが―――――――――
「我らが神は、あの男を許さないだろう。我らが神は、罪の神。それを知っているからこそ、我らは罪を犯すことを厳しく禁じそれを破ったものを殺しているのだ。これだけは決して許してはならない。」
「王様!」
文官は叫ぶが、兵士達は歓声を上げた。そう、これでこそ黒の民だ。彼らは絶対に悪を許さない、おそらくシノトにはどうあっても彼らからの罰が降りかかるであろう。しかしアトラス王は、今にも部屋を飛び出そうと殺気立つ兵士達を、その声でもってつなぎ止める。
「ただし、今は殺さない。話によれば、敵のうちかの悪魔と近い力を持つ者は五人はいると聞く。だがそれさえいなくなれば兵の質を考えてこちらが勝つはずだ。・・・・・・やつに罪を償わせるのはそのあとだ。」
アトラス王のその言葉に、兵士達の歓声が応えた。
「――――――というわけで、これから宜しくお願いします。」
「シノト、その働きには期待している。だが同時に疑念が晴れていないことも理解してもらいたい。」
「わかっています。俺のせいだし、結果もなにも出してませんからね。しかし王様手ずから俺を案内してくれるなんて、もしかして王様の信用は得られていると考えていいのですか?」
なるべく相手にいい印象でももたれたいのか、シノトは終始笑顔を崩さなかった。アトラス王は思わずといった調子で一瞬口を大きく開けたが、大きく吸い込んだ息吐く力は出てこない。どういうことかシノトが興味深げに見つめていると、アトラス王はコホント咳払いを一つ、気を取り直す。
「まああなたがもってきたあれは本物のようだし、あなたの実力は聞き及んでいるからね。それにしてもどうだ、これが我が国最大の書庫だぞ。もちろん誰もが入れるわけではないが、本は嫌いではないだろう?自由に見ていっても構わないぞ。」
シノトはそう言われ案内されたが、そこは彼の想像以上に小さかった。あえて言えば、シノトの故郷にあった地方の図書館ぐらいだろうか。もちろん決してシノトがそれを狭いと感じるというわけではないが、一国のそれにしては少々・・・・・・とシノトは思った。おまけに司書らしき人もいないのか、人の気配もまるでなかった。
「あの、戦争が近いんですよね?こんなことしていていいんですか?」
「あなたも知っているだろ、我らの民は非常に優れた肉体と精神を持っている。普通なら一体一どころか2対1でもこちらは負けることはない。もちろん、よほど常軌を逸したことが起こらなければだが。」
それに明日にはガルバレイ軍が来ると聞いているしなとアトラス王は笑ったが、シノトの顔は反して浮かないものだった。
「テクノバーンさん達に対応できる、魔食い石とかいう武器というのは一応ガルバレイのほうから運ばれてきていましたが、対応できますかね?」
「なに、そのためのシノトじゃないか!期待しているよ。」
豪快に笑うアトラス王、その仕草に違和感を感じたシノトは、しかしその出処がよくわからず黙っていた。
ふとその靄を晴らそうと外を見ようとしたが、多くの兵士が訓練しているらしく掛け声は聞こえても、廊下に面する窓は全てカーテンで塞がっている。暗い廊下にそういうものだと慣れていたシノトだったが、気づいてしまえば大きくなってしまう凄まじい違和感に、シノトは手近なカテンをめくろうとした。だが、その手はアトラス王に止められる。
「閉められているのには訳がありましてね。お見せするわけにはいかないんだよ。」
その表情に違和感の正体を見たシノトは、かまわずカーテンを開けた。アトラス王がその力強さに驚く中、シノトも窓の外に広がる光景に少し遅れて理解する。慌てたようにその場から走り出した。
「シノト!」
王様の叫びも、シノトの混乱の前には抑止力にはならない。シノトは廊下を行き交う侍女や騎士をすり抜け、やがて城の中庭に面する場所への入口にたどり着くと、そこから中庭に出る。そこに広がる光景は、窓から見たものと変わらずそこにあった。
「な、なんだこれ・・・・・・。」
シノトは目の前の光景に瞬きすら忘れて、ただここがどんな国だったのか、忘れている自分がいたことを思い出していた。




