第三話
その国の国民大半の特徴から、黄金の国とも呼ばれるニイド帝国。先の戦争で勝利を収めたこの国は、今やほかのどの国よりも強大な力を持っていた。そしてそのニイド国の首都セカンズのそれも王城セテルス城の壁の中で、異国の暗殺者はとても不機嫌そうに目の前の男を睨みつけている所だった。
「あれ、なんだか機嫌が悪いね。眠らなかったからかな?それとも食欲がないだけかな?一晩中俺と一緒に起きてたもんね、普通はそうなるよね。」
「・・・いえ、そういうわけではございません。どうぞお気づかいなさらずに。」
こじんまりとした簡素な作りの小屋とは言え、王城の敷地内に建つ建物。その中で朝食を取ろうとしていたのは、黒い髪を肩まで伸ばした少女―――ちゆのと、その向かいに座るシノトだった。ちゆのの言葉に、シノトは朝日が差す食卓を前にしてその表情を曇らせる。
「体調が悪いとか、もしかして嫌いなものがあったかい?我慢せずに、気になることはなんでも聞いてくれよ?」
「毒は・・・いえ、何でもないです。しかし囚われの身である私にこれだけの食料を出すことが出来るなんて、やはりこちらはかなり豊かになってますね。」
並ぶ食事を見てまだ顔をしかめたままのちゆのは、木皿を持ち上げてその重さを確認している。唸ったり、眉間のしわをさらに深くしてそれを何度も繰り返すちゆのにシノトは可笑しそうに笑った。
「これだけでよくわかるね、この国が豊かかどうかなんて。あ、でもここに来るまでに街を通ったはずだし、それくらいは知ってても不思議じゃないかな?」
「私は基本夜に行動したので、街がどうなっているかはあまり知りません。それにしてもやっぱりといいますか、何も知らないんですね。」
ちゆのの目は相変わらず、冬の川より冷たい視線をシノトに向けていた。まるでそのことが悪いことだというかのように、今の彼女は前面に敵意をにじませている。しかしこれでも彼女もある方面の教育を受けた身、本人からすればこれでも抑えている方であった。シノトがその視線の意味に気づかず頭に疑問符を浮かべたとき、ちょうどちゆのはため息をつく。
「・・・豊かになったと言いましたが、それはソーン国と比べた時の話です。あの国はそれまでは比較的に豊かだったんですが、敗戦国となった今ではそれはもうひどい有様ですよ?それこそ、その日の食卓を一目見ればわかるくらいには。」
「それは知らなかったな。どうも教えてくれてありがとう、ちゆのさん。俺もしばらく街に行ってないからね。以前は結構何度も行ってたけど、どうも嫌われているみたいで、そのうち行かなくなったんだ。今はたまに指示を出されて、用事が出来た時ぐらいだね。ちなみにこの国以外の街にはいったことがないよ。でも、そんなに格差があったんだね。知らなかったよ。」
笑顔でそう告げるシノトの顔を見て、ちゆのは握った拳を強く握り締めていた。まるで手のひらで掴んだ怒気を無理やり押しつぶすようなそれは、今にも暴れようともがくが、ちゆのはそれでも理性を総動員して食卓の上では平静を装う。
「こんなところにいないで、たまには自身が生み出した現状を一度見られたほうがよろしいですよ。まあ、この国がそうやすやすと見せてくれるとは思いませんが。」
「まあそれはそれとして、早く朝食を食べようか。話の続きは食後にでもね。」
そう言って、シノトは手を合わせると食事に手をつけ始めた。ちゆのは気をそらすことができたため幾分気が晴れたのか、少し間を空けてから自分の食事を深く噛み締めた。
「・・・お前、それは誰だ?」
それが、食事の後片付けをシノトがしていたとき、小屋の戸を叩いた人間の第一声だった。金髪金眼の男は、見るものに威圧感を与えるような大柄な体格を若干かがめ、ちゆのから視線を外さずに篠戸にそう問う。シノトは急いで手に持ったものを置くと、男に対して警戒心を顕にしているちゆのと間を取り持った。
「ちゆのさんです。これから連絡を入れようと思ってたけど、ちょうど良かった。ちゆのさん、こちらはシェルさん。―――比較的によく話す人だよ。」
シノトがそう言うと、シェルと紹介された男はため息を一つ付き、小屋の中へ入ってきた。その行動にちゆのはさらに警戒心を強めたが、シェルは長居する気はないらしくドアを潜ったその場から動こうとはしなかった。
「お前が報告もせずに外に出たことは問題だが、ここでとやかく言ってもどうにもならんだろうな。明日仕事だ、移動手段はこちらで用意しておく。詳しくは担当の者に聞くんだな。」
「あはは、ありがとうございます。後で行きますんで、その時によろしくお願いします。」
眉をひそめてシェルが用件を伝えると、シノトはいつも通りの返事をする。なれた受け答えをしたあと部屋をぐるりと見回したシェルは、用は済んだとばかりに再び小屋を潜るため頭をかがめようとした。が、何かを思い出したように急に動きを止めると、ちゆのに振り返り篠戸を指さしながら質問する。
「こいつが誰か、もちろん知っているよな?」
その言葉に一瞬、ちゆのは確かに体を固くした。しかしそれは反応に困ったからではなくて、自然と体が拒否する行為だったためである。しかしそれがこの場で必要な行為であると彼女自身が思っていたためか、傍から見ればその動きに違和感は出なかった。
「私のご主人様です。これからここでお世話になりますが、どうぞよろしくお願いします、シェル様。」
ちゆのはそういい、シェルにお辞儀をした。シェルはその様子を見て深く息を吐いたが、そのあとは黙って小屋を出ていく。シェルの足音が遠くに過ぎていくのをすかさず耳で確認するちゆのに向かって、シノトはどこか呆れたような口調で声をかけた。
「ちゆのさんどうしたの、突然口調を変えたね?」
「どうしたって、こうするつもりだったのでしょう?私はあなたが奴隷商から買った戦争奴隷、身の回りの世話をさせるためにここに置く。これが一番、無理なく私をここに留めることのできる理由なのでは?」
当然のようにそういうちゆのに、思いがけない返答を受けたためかシノトは意外そうな顔をした。考えるようにうつむきながらも、確認するように会話を続ける。
「俺は別に、拾ってきたってことにしようと思ってたけど。もしかしてこっちって、思ってたよりも孤児は少ないのかな?前に見たときはいないとまではいかないけど、そこそこ見かけたと思ったんだけどな。」
「本当に何も知りませんね、いいですか、ここは金人の国ですよ?金人の子供ならともかく、私のような黒人が孤児として生きていける環境でないことぐらい明白ではないですか。奴隷商に捕まるか、もしくはどこかでなぶり殺されるだけです。それはもう、あなたが私を見つけるよりも早く、奴らはそれを実行するでしょうね。まちがいなく。」
ちゆのの言葉には、シノトへの呆れと金人への憎しみが含まれていた。どうしたものかと言いたげに頭を掻いたシノトは、ひとまず中断していた食後の片付けに戻るのだった。