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転生人形クロエ  作者: 黒砂糖
第二章
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閑話 シアン

 父に蹴られた背中が痛みを訴え、シアンはなかなか寝付けなかった。ただひたすら、夜が明けるのを待つしかない。

 

目を閉じたまま、痛みに呻きそうになるのを堪える。隣で寝ている弟を心配させるわけにはいかない。

 弟を守るのが、兄である自分の役目だ。他に頼れる者はいない。自分がしっかりしなければ。


 二人の父親は気性が荒く、すぐ家族に手を上げる男だった。

 それまで兄弟を庇ってくれた母親は、家を出たきり戻らない。自分たちを置いて逃げたのだとシアンは悟ったが、弟は今でも母がいずれ迎えに来てくれると信じている。


 自分たちを捨てた母親への怒りはなかった。その代わり、もう母親とも思っていない。どこで何していようと、生きていようと死んでいようと興味はなかった。無関係な人生を歩む、無関係な他人だ。


 酒に溺れ暴力を振るう父のことも、当然ながら血の繋がった肉親とは考えられなかった。そもそも父の方も、彼らを実の子と思っているか怪しいくらいだ。憂さ晴らしの道具としか見ていないかも知れない。


 何にしろ意志疎通をする気がない時点で、獣と大差ない。成人男性の皮を被った獣と、同じ屋根の下で暮らしているわけだ。気が休まる暇など、あるはずもない。常に怯えながら日々を過ごしていた。


 このままでは命の危険すらある。だが家を出ようにも行く当てがない。頼れる者などいない。

 孤児になれば飢餓に苦しむ運命が待つのみ。自分一人ならともかく、弟はそんな生活に耐えられるだろうか? そんな過酷な環境へ道連れにするのに、シアンは抵抗があった。


 そう悩み続ける日々は、唐突に終わりを迎える。


 この日の夜もまた、弟の盾となり酔った父の前に立った。弟の代わりに、父の気が済むまで苦痛に耐える。いつものことだ。


 だがこの日は運が悪かった。父が手に持つ酒瓶の一撃を、頭部へまともに受けてしまい――シアンは昏倒した。頭から生温かな血が流れてくるのを感じる。

 父は、そんな彼を踏みつけ怒鳴る。ま呂律が回っておらず、まるで聞き取れない。


 弟が叫び、父の足にしがみついた。それで逆上した父が、その頭に何度も酒瓶を振り下ろす。

 

 弟を助けなければ――そう思っても、頭を殴られた影響か体が痺れたように動かない。


 酒瓶が割れると、父はようやく手を止めた。肩で息をしながら見下ろす先に、ぐったりと横たわる弟の姿があった。


 「――――――ッ!」


 倒れ伏す弟を目にしたとたん、視界が赤く染まる。血が目に入ったからではなく、激しい怒りで。


 手に残った酒瓶を投げ捨てると、父はどこかへ行こうと歩き出す。外に出て、また酒でも買いにいくのだろう。

 シアンはふらつきながらも立ち上がり、足元に転がる割れた酒瓶の首を掴んだ。父への憎しみは、いまや荒れ狂う暴風のように制御不能の状態にまで至っていた。

 酒瓶を構え、己の激情に身を任せ――シアンは父の背中へと突進した。

 尖った酒瓶の先端は、振り返った父のでっぷりと太った腹に突き刺さった。


 「がっ……!!」


 苦痛の呻き声を漏らし、父はシアンの髪を鷲掴みにする。力ずくで彼を引き剥がし、そのまま床に叩きつける。


 「このっ……クソ……やりやがったなっ……!」


 鳩尾を蹴られ、呼吸が止まる。それから父は腹に刺さった酒瓶を握り、何とか抜こうと試みる――が、自らの血で手が滑り、上手くいかないようだ。


 「クソ、が……クソ……クソ……」


 悪態を吐きながら、父はシアンに背を向けた。医者にでも診てもらうつもりだろうか?


 そんな父の両足を、シアンは手を伸ばし、掴んだ。


 「うおっ!?」


 父が前のめりに倒れる。刺さったままの酒瓶が腹に埋もれて、迸った血が床に広がっていく。


 それでもなお父は身を起こそうとするも――やがて力尽き、両手足を床に投げ出して動かなくなった。


 (()った……ついに()ったな。俺)


 怒りが冷めていくと、己が人の命を奪ったという実感がわいてきた。だが罪悪感はない。死んで当然の男だと思った。

 このときシアンが感じていたのは、ただ一つ。


 (早く……もっと早く、こうしてりゃ良かった……)


 そうすれば、弟は犠牲にならずに済んだのに――という、後悔の念だけがあった。


 家族を皆なくし、シアンはこうして孤児として生きることになる。


 いつか、もしまた自分に大切な存在が出来たのなら――彼、あるいは彼女を守るためなら――その身を脅かす敵を排除するのに、一切の躊躇はしない。

 

 この手はすでに血で汚れている。今さら迷う理由はないのだから。

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