最終話 クロエ・シャーウッド
頭が痛い。息が苦しい。吐き気がする。
いつの間にかベッドに横たわっている。いつからこうしているのだろう。
最後の記憶では、確か――体調を崩した母のため、汗を拭おうと手拭いと盥を運ぶところだったはずだ。それがなぜか、今は自分が寝込んでいる。
(お母さん、は......大丈夫、かな? まだ苦しい思い、してないかな? 具合......良くなった、かな......?)
心配で堪らない。だが体は鉛のように重く、動けない。
早く体を治して、母の顔を見たかった。だがそんな彼女の願いに反し、快復の兆しがまるで見られない――どころか、体調は悪化の一途を辿っていた。
酷い寒気と、意識の混濁。ぎりぎり命を保っている状態。
そんな状態がいつまでも続くはずもなく――やがて、終わりのときが訪れる。
霞みがかった視界に、今にも泣き出しそうなほど歪んだ父の顔が映る。それがあまりに辛そうで、悲しそうで――自分が父にそんな顔をさせているのだと、そう思うと彼女もまた、辛く、悲しい気持ちになった。
父にそんな顔をしてほしくなかった。そんな顔をさせたくなかった。
父が仕事をしているのが好きだった。真剣に目の前のことに取り組む姿が好きだった。父の手によって、人形が完成していくのを見るのが好きだった。
(ああ、そうだ......)
伝えたいことが一つ、あった。どうしても、伝えたいことが。
(私、も......後を継ぎたいって......お父、さん......みたいに、なりたいって......)
そう言ったら、父は喜んでくれるだろうか? 悲しい顔をさせずに済むだろうか?
懸命に、口を開こうとする。だが、肝心の声が出なかった。どれだけ頑張っても、想いが言葉になることはなかった。
悔しくて悔しくて――涙が目尻から零れる。
(ごめ、んなさい......お父、さ......ごめんな、さ......)
気持ちを伝えることも叶わないまま――無情にも、彼女の意識は闇の底へと落ちていった。
(..................ん)
意識が浮かび上がる。視界が戻ってくる。
(..................?)
何が起きたのか。自分はどうなったのか。頭が上手く働かない。目覚めたばかりのせいもあるかも知れない。
(あ、れ......? 苦しくない......?)
体を苛んでいたはずの病魔が、すっかり消え去っている。
(生きてるの? 私?)
それともここが、いわゆる『あの世』という場所なのだろうか?
ただ自分が今、椅子か何かに座っている――それだけは分かる。
ぼやけていた周囲の様子がはっきりしてくると、
(あ、ここ......お父さんの、仕事場?)
父の工房らしいと判明し、『あの世』の線はなくなる。
ベッドにいたはずの自分が、なぜ工房にいるのかは分からないが――。
(......? 誰か、いる?)
そこでようやく、自分以外の存在に気付いた。ちょうど向かい合う位置に、腰かけている。
(お父さん......?)
そこにいたのは、父だった。だが様子が普通ではない。全身は脱力し、肌は血の気を失い、こちらを向く瞳は虚ろだ。
彼女の父は、事切れていた。
(え......? お父さん? 何で?)
理解できない。頭が真っ白になる。
(何で? 何でお父さんが? え? 嘘だよね?)
声が出せない。体も動かせない。
夢だ。夢に違いない。これが現実なわけがない。
(嘘だよ、こんな......! 違うよっ......! 違うっ!)
父が死んでいるなど、信じたくはなかった。
だがどれだけ否定しても、父の亡骸は変わらず目の前にある。逃れることはできなかった。
(嫌だっ......!! 嫌だよぉっ.....!! お父さん......!! お父さんっ!!)
感情のまま泣き叫ぶことも叶わない。
心がいくら血を流そうと、一滴の涙すら流せない。
何も見たくない。ここにいたくない。
そしてそれは、望み通りになった。
これで第二章完結(全五章予定)です。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。




