第28話 異変
「助かった…のか?」
いや、そうだと信じよう。
空を飛ぶ船からナーサによって突き落とされてしまったが、地面へと衝突する前に、3日間という時間の制約であの世界から弾き出され、運よくそれを回避したのだろう。
ラッキーだったな…。
ナーサは無事だろうか?
きっと彼女も今頃、強制的にログアウトさせられた事に気付いた頃か…。
ベッドの上に座りながら大きく溜息を吐く。
神々の用意したというゲーム、アナザーワールドオンラインでの初めの3日間が終了した。
頭から取り外したVRヘッドギアをベッドの脇に置きながら、スマホを取り外して画面を確認する。
窓から差し込む陽の光を見て、今は昼間なのだとわかったが、今日が何日であるのかが気になった。
画面に表示された日付と時間を見て驚愕する。
異世界で3日間もの濃い時間を過ごしたと言うのに、こちらの世界では本当に時間はあまり進んでいない様子だった。
意味不明な時間経過…。ゲームを始める前の時間を覚えてはいないが、同じプレイヤーの爆発の美男子エリシオスが説明していた通り、現在の世界では本当に3分しか経過していないのかもしれない。
神々の用意したゲームによる異世界転移…。
その異世界転移で体験した出来事を思い返す。本当に様々な事があった。
美しい見た目の貴族令嬢のアシュリーエール・シュミネ、アーシェ様と出会い、腹の突き出た人の良い笑顔の従者のラフール、アーシェ様の付き人の黒猫猫耳メイドのクロネの3人とは、共に仲良くなれた気がする。
同じ異世界転移者であるプレイヤー…光の人達とも出会い、流れに身を任せただけであるが、この俺が異世界貴族のアーシェ様達と協力して彼らの命を救った。そして多くのプレイヤー達の命の恩人であるアーシェ様の貴族家、シュミネ家の盾となりながら、ゲームクリアを目指す為のクランも立ち上げた。
一番印象深い出会いとなったのは、異世界に降り立って初めて出会ったダークエルフのソフィアとの出会いである。彼女は俺の事を心底嫌っている様子で、初めは取り付く島もない程嫌悪されていたが、異世界で過ごした3日間の間に、彼女の中にあったわだかまりが解け、少しは仲良くなれたと思う。
最後の最後には、隣に座って笑い合っていたくらいだ。
こうして現実世界に戻って離れてしまったが、奴隷紋というのも本当は無いらしいので、このまま彼女が死んでしまうような事もないだろう。
しかし、ナーサによって船から突き落とされ、彼女の傍を離れてしまったが、彼女は寂しい思いをしていないだろうか。
この現実世界で3日間を過ごせば、また強制的にあちらの世界へと飛ばされるようなので、そうなったらすぐに彼女の元へと向かった方が良いかもしれない。
ソフィアは初め俺を心底嫌っていたが、暫く隣にいて欲しいと彼女の方から言ってきたのだ。ソフィアを一人にするのはどこか心配だ。
そもそもソフィアが俺の事を嫌っていた理由というのが、俺の異世界でのキャラクター≪ジャック・サイコ・ドラクル≫のせいである。
ジャック・サイコ・ドラクルというのは、俺が異世界に転移した先の大陸で悪名を轟かせる、亡国ドラクル大公国を治めていた、ドラクル一族の一員である。
キャラリンクというシステムのおかげで、大陸中の嫌われ者、最狂最悪マジキチ一族の一員、ジャック・サイコ・ドラクルとなって異世界に降り立った俺は、必要の無い重荷を背負う羽目になった。
ジャックが実の兄によって心を殺された狂った人形であった為か、それともキャラリンクする少し前に一度命を失っていた為か、それとも他に何か起因する理由があるのかは不明だが、俺には他のプレイヤーが言うような、キャラリンクをする事によって得られると言う利点は殆ど無かったように思う。
歌にも歌われる程の戦士であったらしいジャックの技能を引き継いでいる様子もなければ、あの世界でジャックが過ごしていたはずの記憶もない。
本来であれば、意識や記憶を引き継ぎ、その技能までをも手にするという理由から、キャラリンクシステムに当たったプレイヤーは公式チーターとも呼ばれるらしいが、異世界で山道を歩いてみた感じ、俺はポンコツなのでは?
いや、待てよ…。そうか。意識と記憶を統合する事によって技能を引き継ぐ可能性もあるのか…。
その方が腑に落ちる。技能だけが備わった所で、経験による裏打ちがなければそれも宝の持ち腐れになってしまうだろう。
経験のない素人が一流の包丁を持った所で、経験豊富な料理人の様にそれを扱える訳でもないのだろうし。
そうだとするならば、俺は一流の包丁を持った素人の可能性もあるぞ?
何故なら俺には、3人の盗賊を撃退したという事実がある。ナイフや剣など生まれて初めて手にしたが、覚束ないながらもそれを扱えたのである。それにより襲い来る盗賊共を始末出来たのだ。
フムフム…。生き残る為にも要検証だな…。
再びあの世界に戻った暁には、先ずはジャックの身体に慣れる事から始める必要がありそうだ。
そこまで考えて、俺はハッとして息を呑む。
俺が…人を殺した?
あれはゲームでは無く異世界で、そこにいる人々はプログラムでは無くあの異世界にいる人であって…。
掌を広げて、震えるそれを見ながら吐き気が込み上げる。
ナイフで人の頭を突き刺した感触が、剣を振るって人の首を切った感触が、そのままこの手に残っているように感じられた。
青褪め、身体中からブワッと冷や汗が流れ、ガタガタと震える。
とうとう堪えきれなくなった俺はトイレへと走り、便器の中へ嘔吐する。
自責の念が込み上げて、何時間もトイレで吐き続けた。
部屋はすっかり暗くなり、この世界に戻ってからどれくらいの時間が経過したのかもわからない。
あれから色々と頭を巡らせて、あれは仕方の無い事だったのだと自分に言い聞かせ納得させた。
ソフィアを助ける為であったし、殺さなければ俺が死んでいた。何しろあの盗賊達は快楽を得る為だけに、一度ジャックを殺しているのだから、俺とソフィアが助かるにはあれしか方法は無かったはずだ。
今は取り敢えず、これ以上あの事を考えるのをやめよう。
落ち着きを取り戻して吐き気の治まった俺は、洗面台に行って顔を洗ってうがいをし、溜息を吐きながら鏡を見て驚愕する。
顔が青白くなってしまっているのは、今の今まで何時間も吐き続けていたからだろう。
髪が銀色になっている理由は?
精神的に疲れが押し寄せて、一気に白髪が増えた…みたいな?
瞳の色がエメラルドブルーになっている理由は?
顔も青くなるのだし、瞳の色も青くなるのか?
そうか、恥ずかしさで赤面する事もあれば、疲れによって目が赤くなる事もある。あれと同じ原理か…。
「んな訳あるかっ!」
俺が身体全体を使って叫ぶと、鏡の中の美青年も同じように動いた。
高い身長に引き締まった身体。月光を思わせる銀髪に、太陽の光を反射して輝く海のようなエメラルドブルーの瞳。鼻くそをほじってもウットリしてしまいそうな美青年。
俺の姿は、こちらの世界でも《《ジャック・サイコ・ドラクル》》と同じものなっていた。
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