エピローグ
エピローグ
一つの決着を迎えて気が抜けていたせいか、五日という時間があっという間に過ぎ去っていった。世間はゴールデンウィークを迎え、気温は夏を感じさせるほど暖かくなり、旅行やデートに適した日が続いている。相乃の友人である左和子氏は彼氏とその両方を楽しんでいるそうだ。
しかし俺と相乃といえば、旅行カバンをえっちらおっちら引きずってはいるものの、向かう先は豪邸跡地。豪邸の本当の持ち主の女優・深田美知子氏が仮設住宅を用意してくれたため、見てみたいという相乃を引き連れ引っ越しに来たのである。
「わぁ、すごい! 随分こじんまりとしちゃったけど、お城みたいで可愛いじゃん!」
「といっても、煉瓦も大理石も本物そっくりのパネルやタイルで、中身はログハウスなのだがな。元通りにしたければ、後は自分で稼いで直すしかない」
「い、いやぁ、この家もすごい立派だと思うよ、うん! むしろ私が引っ越したいぐらいだよ!」
それから俺たちは中へと入り、左手側の陽当たりの良い部屋へ。内装は安っぽくなったものの、それでも我が家へ帰って来たと思えた。
「えーっと、これは……ここに置けばいいんだよね。よし、整理は終わり!」
「荷物運びだけでなく、片付けまで手伝ってもらってしまって悪かったな。昼前だというのに半分も終わらせることができた。感謝する」
「いいんだよ、こちらもいっぱいお世話になったんだから。結局食事を用意してくれたの愛多知君だったし、部屋の掃除もしてくれたし、寝坊しそうな時は起こしてくれたし、お風呂も沸かしてくれたし……あれ、私なにもしてない? むしろ快適に過ごしていた?」
「思えばそうだな。むしろ俺は感謝される立場なのでは……?」
俺は執務机の椅子に座り、机越しにじろりと睨みつける。「いやぁ、それは……ね! そういう一面もあるかなぁ、アハハハハハ!」と相乃は笑うしかないようだった。
しばらく汗を垂らしながら笑っていたが、不意に止めると、
「今日まで本当にありがとう。依頼通り背中を押してくれたこと、心から感謝します」
相乃はそう口にして深々とお辞儀した。
話し合った結果、相乃の家を出る今日をもって契約関係を終了することになっていた。俺は桃地ヶ丘さんに想いを伝え切るまで協力するつもりだったが、「元々『告白まで後押しして欲しい』という依頼だったんだし、それ以上のことをしてもらったから」と相乃が言い張るので、そういう運びとなったのだ。
「君にしてはえらく殊勝だな。しかし……俺は君の覚悟に気づかず、自分の理想を押しつけていただけだった。頭を下げる必要はない」
「そんなことないよ。あの時あそこで励ましてくれていなかったら、今頃自分の部屋にこもって泣いていたと思うもん。私の心は救われたんだよ」
「そう言ってくれるのはありがたいが、この一件でつくづく自分が未熟だと感じさせられたよ。いつかまた君の力になれるよう精進するつもりだ。ということで君にこれを返却する。そろそろ顔を上げろ」
ん? 返却? と体を折り曲げたまま相乃は顔を上げる。ずいぶんと間抜けな格好だが戻す気はないようなので、そのまま俺は机に札束を置いた。
「えーっと、これなに? 私が依頼料として払った三百万に見えるけど」
「その通り、君からもらった三百万だ。これを君に返そうと思う」
「ええっ? まだ私ともっちーをくっつけられなかったこと気にしてるの? 仕事に誇りを持つのはいいと思うけど、感謝を無碍にするのはいかがなものかと思うよ?」
「確かにそういう一面もあるのだが……ほら、これから君も大変だろうし、バイトで時間を潰してもいられないだろうと思ってな」
「んん? 大変って、何のこと?」
「桃地ヶ丘さんを遊びに誘ったり、誕生日プレゼントを買ったり、色々と入用になるだろ。バイトをしなくて済むように、と思って……まあ、なんだ。友としての餞別ってやつだ」
何だか照れ臭く感じながら言うと、相乃はぽかんと口を開けてこちらを見つめてくる。
それから破裂するかのように笑い声を上げ、腹を抱えた。
「アッハハハハハハハ! 餞別に札束って、マフィア映画じゃないんだから! こういう世間離れしたところはほんと愛多知君って感じだね!」
「そんな笑うことか? 俺は仕事ばかりで同い年の友だちなどいなかったのだ。応援の仕方が分からなくても、その、仕方がないだろ?」
「友だちとはいえライバルにここまでするなんて、きっと上杉謙信も困惑するよ! 君はほんっとに真っ直ぐなんだから!」
相乃が涙まで浮かべて笑うので、さすがにむっとした俺は言い返してやろうと口を開く。
だがその直前で、
「でも、そんな清々しい君が好きだよ!」
彼女は涙を拭いながら、青空のような晴れ晴れとした声でそう言った。
『好き』、というワードにドキリとしてしまい、でかかった言葉が引っ込んでしまう。
実はあの告白の日から、このように相乃を意識してしまうことがあった。
原因はもちろん、あの日、彼女の笑顔に胸を打たれるのと同時に服がびりびりに弾けたことにある。
あの時、俺は一体どういう心境にあったのだろうか。考えても分からず、相乃に訊ねるのは何だか気恥ずかしくて、答えを見つけられないまま今日まで来てしまった。
あれ以来一度も服は弾けてないし、ドキリとした今も変化はない。そのことにほっとするのと同じくして、真逆の抵抗を感じてもいる。
俺の想い人は桃地ヶ丘さんで間違いない。でも、相乃の笑顔で服が弾けたあの瞬間を忘れてはならない気がしていた。とても重要で、大切なもののように感じていた。
「ね、愛多知君。ねえってば。何考え込んでるのよ?」
思考に耽っていたところ、突然相乃が覗き込むように顔を近づけてきた。触れてしまいそうなほどの距離間だったため、心臓が胸を突き破り旅に出てしまいそうになる。
「おわっ!? ……コホン……どうした、相乃?」
「あのさ、このお金をもう一度君に渡したら、『友だち』プラス『愛の伝道師 DE☆N☆MA』のダブルパワーで私に協力してくれたりしない?」
新しい遊びを思いついた子どものような顔で言う相乃。どこか無邪気さを感じる表情だ。そんな彼女を前にして、しかし俺の体に変化はない。うぅむ……やっぱり彼女の前で服が弾けたのは、何らかの偶然や力のコントロールミスによるものだったのだろうか?
「む、なにその呆れたような溜息! 今、欲張りなやつめと思ったでしょ!」
「い、いや、今のはそういうつもりではなく……はぁ。しかしなぁ、確かに俺は自分の恋より君の恋を優先すると言ったが、神から授かったこの神秘の力を二人分も得ようなど傲慢が過ぎるぞ」
「ご、傲慢って……それはちょっと言い過ぎじゃないかな! 冗談で言ってるって分かってるくせに!」
「ほう、冗談だったのか? てっきり本気なのかと」
「むぅぅ……確かに、あわよくばという気持ちはなくはなかったけど……でもそこは察してよ! 数週間一緒に過ごした仲じゃん!」
無茶言うな、とツッコミを入れながら、俺は心の中で微笑んだ。そう、これが俺たちの関係。俺たちは友だちなのだ。それが全てなのである。
色々あったが、今思えば愉快な日々だった。家を爆破され、何度も服を吹き飛ばされ、恋愛相談のはずなのにバトルまで行って――
そして痛々しくも清々しい、崇高な恋に出会えることができた。きっと、俺の中に良い思い出として残り続けるだろう。
だが、そんな日々とは今日でお別れである。これからは元の暮らしに戻るのだから。
何だか寂しさを感じ、「ねえ聞いてる?」と顔を近づけてくる相乃を無視してしみじみしていると、部屋の扉がコンコンとノックされた。
「こんにちはぁ。誰かいませんかぁ?」
この声は……! と俺は相乃と顔を見合わせ、二人で急ぎ扉を開ける。
するとそこには麦わら帽子を被り、こんがりと日焼けして、花柄のワンピースに身を包んだ桃地ヶ丘さんが立っていた。
「お邪魔しまぁす。インターホンが鳴らなかったから勝手に入って来ちゃった」
「おお、一檎さん! どうしたんだ急に、俺のもとを訪れるなんて!」
「まなみんからお家が建ったって聞いて、そのお祝いに――あ、まなみんだぁ! 偶然ねぇ、同じ時間に訪れるなんてぇ!」
「う、うん、私は引っ越しの手伝いとか、片付けとか、協力してたもんで」
「ちょうど良かったわぁ! これからまなみんの家にも行こうと思ってたのぉ! 渡したいものがあったのよぉ!」
桃地ヶ丘さんはゴールデンウィークに入ってすぐ、一足先に楽しんでいた両親と合流して二泊三日の家族旅行に出かけたと聞いていた。その間、会えなかったせいだろう。相乃は喜びのあまりだらしない顔をしている。
「……おい、相乃。顔が溶けているぞ。嬉しいのは分かるが、桃地ヶ丘さんにそんなだらしない顔を見せていいのか?」
「……でもぉ、もっちーの日焼けが凄いセクシーなんだもん! 顔も溶けちゃうよ、そりゃ!」
まったく、すぐにこれだ……こんなスケベを桃地ヶ丘さんに近づけて良いのだろうか?
などとやりとりしている間に、桃地ヶ丘さんは執務机の上に荷物を置いてゴソゴソとやり始めた。「ああ、すまない! すぐにお茶を用意しよう!」と俺は慌ててポッドを取りに行こうとするが、「ううん、お構いなく。まだ片づけ終わってないみたいだし、これを渡したらすぐに帰るよぉ」と桃地ヶ丘さんは何かを差し出してくる。
「はい、これ! お祝いにしては安っぽくて申し訳ないんだけど、お土産だよぉ!」
「ほほう、カステラか! 俺の大好物だ! ちょうどおやつ時なのだし、帰るだなんて言わず一緒に食べようではないか!」
未だに俺の中で輝き続ける桃地ヶ丘さんへの想いが少しだけ揺れ動く。
やはり俺は彼女のことが好きだ。笑顔に心は震え、優しさや気遣いにときめき、想いが溢れそうになる。
だが、彼女の後ろにいる相乃の羨ましそうな顔が目に入ると、その気持ちは驚くほど静かに収まった。
ふぅ、と息を吐き、「仕方のないやつだなぁ」と頭を掻くと、相乃へと視線を投げかける。お茶するチャンスだぞ、と。
はっとした相乃は、「そ、そうだよ! 一緒に食べようよ、もっちー! 今にも涎垂れそうなんだし……あ、垂れた」と桃地ヶ丘さんの口を拭く。
「そう言ってくれるなら、そうし……じゅる……そうしよかなぁ。でもまなみん、その前にこれ受け取ってぇ」
次に桃地ヶ丘さんが取り出したのは、ピンクゴールドのブレスレットだった。彼女はそれを相乃の手首につけ、自分の手首を見せた。
そこには、相乃につけたものと同じブレスレットが輝いていた。
「ど、どどどど、どうしたのこれ? お、お揃、ペアルックって……ええ!?」
「これはこの前いっぱい飴細工を食べさせてくれたお礼だよぉ。そして親友の証なのぉ。どんなことがあっても、どんなに歳を取っても、ずっと一緒だよって意味なんだよぉ」
それから桃地ヶ丘さんは、そっと相乃の顔に自分の顔を近づけ、
「チュッ! だぁい好きだよ、まーなみん!」
と頬にキスをしたのだった。
告白に失敗し、彼女の中には友情しかないのだと思い知った後である。驚きはしたものの、海外の人が挨拶にするチークキス程度の意味だろう、と俺はすぐに落ち着いた。
……が、相乃は目を見開き、電気でも浴びせられたかのように直立すると、
「は、はあああああああんっ!?」
驚愕なのか歓喜なのか分からない声を上げ、轟々と『愛の波動』を噴き出した。コンマ数秒で室内は波動で満ち、台風のように激しく荒れ狂っている。
「相乃、落ち着け! それは親愛の証だ! ただの挨拶程度の意味だぞ!?」
呼びかけても返事はなく、「あ、あ、駄目っ、頭が痺れて立ってられない……!」と相乃は言い、こちらへ倒れ込みそうになった。
「なぜわざわざこっちに向かって来るのだ!?」
ふらふらと予想のつかない動きで迫る相乃。しかし数週間ともに過ごした俺である。彼女のバランス感覚や筋肉量を計算し、桃地ヶ丘さんに酔っている時の動きのパターンをあてはめ、ギリギリでぶつかるのを防ぐ。俺は壁に張り付き、相乃は手を壁について接触するのは防いだ。
いわゆる『壁ドン』の状態――
俺たちは鼻が触れそうな程の距離でしばし見つめ合う。彼女の息遣いが良く聞こえ、彼女のきらきらとした眼が俺の視線を捉える。
パァン! と俺の服がびりびりに弾けた。
「えっ、どうしたの愛多知君? 私たち、今回はぶつかってないよね?」
「あ、ああ、そうだな。そのはずなのに……これは一体……」
壁から離れた相乃のもとへ桃地ヶ丘さんがやってきて、不思議そうな顔で俺を窺ってくる。
並び立つ、麗しき乙女たち。
俺は桃地ヶ丘さんが好きだ。でも……何というか、相乃にもすごく魅力を感じている自分がいる。
「な、なんだこの気持ちは……もしかして俺は二人とも……いやいや、それはいかんだろ! 相乃を応援すると決めただろうが! だけど心は――うおおおおおっ‼」
心配する相乃と桃地ヶ丘さんに見守られながら俺は頭を抱えて転げ回った。せっかく二人の心が接近したのだから、この感情は邪魔以外の何物でもない。でも悩めば悩むほど服が弾けて全裸寸前である。
これが、恋に悩むということなのか?
それが分からないだなんて恋愛カウンセラーの名折れである。せっかく相談所ができたが、仕事を再開するには時間がかかりそうだ……。




