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魔術院を出ていない俺が、王立魔術法務団のエースに拾われて法務官になった件  作者: 御蔭
魔術法務官の条件

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1-1

 王都の夜はとうに明けていた。けれど王立魔術法務団の本部は、朝から落ち着く気配がない。


 廊下を行き交う法務官たちの足音が重なる中、ヴィクトル・ゼーリヒは手にした書類に目を落としながらセレナの執務室へ急いでいた。銀縁の眼鏡の奥の目は、常に何かを値踏みしている。痩身の体に纏った制服には皺一つなく、神経質そうな顎の線が廊下の明かりに浮いていた。足音だけが、他の法務官たちより速かった。


 扉を開けると、王女は窓辺に立ったまま、こちらを見なかった。金髪を低く束ね、装飾の少ない王族の正装。20代前半とは思えない威厳が、その背中にある。セレナ・アルディス。王立魔術法務団を束ねる王女だった。窓の外には王都の朝靄が広がり、遠くに王宮の尖塔が霞んでいた。


「殿下。アルシュ伯爵の件、報告が上がりました」


 ヴィクトルは書類をテーブルに置いた。指先が書類の角を正確に揃える。無意識の癖だった。


「屋敷の使用人3名に、外部マナへの長時間曝露と見られる症状が出ています。手の震え、視覚の混濁、記憶の欠落。私的な魔術行使の疑いが濃厚です」


 セレナは窓の外に視線を向けたまま、短く言った。


「レオンを呼んで」


 ヴィクトルの指が、今度は書類の角を掴んだ。揃えた指が、わずかに白くなった。


「……私が対処できます。証拠の構築なら誰より確実にやれると、ご存知のはずです」


 セレナがようやく振り向いた。穏やかな、しかし動かない目だった。感情を映さない目。ヴィクトルを見ているようで、その向こうにいる別の人間を見ているような目だった。


「知ってるわ。だけど、レオンを呼んで」


 ヴィクトルは何も言わなかった。顎の筋肉が一瞬だけ引き攣り、拳が微かに握られた。一礼して退室した。扉を閉める手だけが、丁寧すぎた。


 ---


 裏通りの賭け場は、朝でも煙と怒声が絶えない場所だった。


 壁には蝋燭の煤が染みつき、天井の梁から安い灯りがぶら下がっている。空気は煙草と安酒と男たちの汗が混じった匂いがした。テーブルの上に札が散らばっている。向かいの男たちは険しい顔で手元を睨んでいたが、一人だけ退屈そうに指先を動かしている男がいた。黒髪をオールバックに流した長身。仕立てのいい外套をわざと崩して着ている。この場に似合わない身なりだったが、本人はまるで気にしていなかった。むしろ、この場を楽しんでいるようですらあった。


「悪いな」


 声に謝意はなかった。最後の札がめくられると、男たちは舌打ちをして席を立った。一人が椅子を蹴り、もう一人が何かを呟いたが、レオン・ヴァルクは気にも留めず散らばった硬貨をかき集め始めた。


「朝から景気がいいのね」


 振り向かなくても声でわかる。栗色の髪をまとめた女性が、賭け場の入口に腕を組んで立っていた。ディアナ・フォーセット。表情の動きは少ないが、目だけが鋭い。実務的で無駄のない佇まいは、この場の空気とは完全に異質だった。煙に目を細めもしない。もう慣れているのだろう。こういう場所にレオンを迎えに来ることに。


「才能があるからな」


 レオンは硬貨の枚数を数えもせず、まとめて掴んだ。


「殿下はあなたを待つ時間がお好きじゃないわ」


「待たせてない。今から行く」


「賭場帰りで?」


「結果が出れば経路は問われない」


「その台詞、ぜひ殿下にも」


 レオンは薄く笑って、硬貨をポケットに押し込んだ。椅子の背を蹴るようにして立ち上がる。ディアナは呆れた顔すらせず、先に歩き出していた。レオンがその後ろに続く。二人の間に言葉は要らなかった。何年もこうしてきたのだと、その背中の距離が語っていた。


 ---


 本部の廊下で、ヴィクトルが壁に背を預けて待っていた。腕を組み、眼鏡の位置を直すでもなく、ただ廊下の奥を睨んでいた。


 レオンが悠然と歩いてくるのを見て、壁から背を離す。背筋が伸びた。無意識だったかもしれない。


「今が何時か、誰か教えてくれなかったのか?」


「賭場に時計は置いてない」


 レオンは歩調を緩めなかった。ヴィクトルの目が、レオンの外套の襟元に一瞬だけ向いた。崩した着こなしが目障りだと言いたげだった。


「品のいい朝だな」


「お前には似合わない場所だ」


 ヴィクトルの目が細くなった。けれど声は落ち着いたままだった。声を荒げないのは、この男の矜持だった。


「アルシュ伯爵の件は俺が詰めていた。証拠もあと少しだ」


「じゃあ話が早い」


「お前がやるなら、記録は渡さん」


「紙の束より早く終わらせる方法がある」


 ヴィクトルの眼鏡の奥で、何かが動いた。怒りだったかもしれない。あるいは、もっと別の何かだった。レオンは立ち止まらなかった。ヴィクトルの横を通り過ぎ、そのまま廊下の奥へ消えていく。ヴィクトルは振り返らなかった。振り返れなかったのかもしれない。


 少し遅れてディアナが通り過ぎる時、小声で言った。


「あとで受け取っておいたほうがいいわ。どうせ使うハメになる」


 前を歩くレオンが、背中を向けたまま答えた。


「そこまでの案件じゃない」


 ヴィクトルの耳にその声が届いていたかどうかは、わからなかった。


 ---


 セレナの執務室に入ると、王女は席に着いていた。手元の書類に目を落としたまま、入ってきた二人を見上げない。


「遅い」


「ディアナの案内が遠回りだった」


「私のせいにしないで」


 ディアナが即座に否定する。声に怒りはなかった。何百回も繰り返してきたやり取りの温度だった。セレナはどちらも見ずに書類を一枚滑らせた。


「アルシュ伯爵の件、任せるわ」


「概要は?」


「使用人への私的な魔術行使。証拠はヴィクトルが揃えてるはずよ」


「聞いた。俺には渡さないそうだ」


 レオンの声には苛立ちがなかった。困ってもいなかった。セレナはようやく顔を上げ、レオンを見た。


「なんとかしなさい」


 その一言に、信頼と命令が同じ重さで乗っていた。レオンは書類を手に取り、一度だけ目を通して懐にしまった。ディアナが半歩先に扉を開ける。2人が出て行くと、執務室には静けさだけが残った。セレナは窓の外に視線を戻した。朝靄はもう晴れていた。


 静けさは長くは続かなかった。


 扉を叩く音がした。ノックの仕方でわかった。二度、等間隔、正確な力加減。ヴィクトルだった。


「どうぞ」


 ヴィクトルが入ってきた。制服の皺一つない姿勢で、デスクの前に立った。セレナは書類に目を落としたまま、顔を上げなかった。


「殿下。一つお聞きしてもよろしいですか」


「手短にね」


 ヴィクトルは一呼吸置いた。言葉を選んでいるのではなかった。何度も選び終えた言葉を、もう一度確認しているようだった。


「アルシュ伯爵の件。証拠を揃えたのは私です。調書も、使用人への聞き取りも、魔力残留の記録も。すべて私が詰めました」


「知ってるわ」


 セレナの声は穏やかだった。穏やかなまま、何も譲らない声だった。


「では、なぜ私ではなくレオンなのですか」


 セレナが書類から目を上げた。ヴィクトルを見た。まっすぐに。


「証拠を揃えることと、それを使って相手を落とすこととは、別の仕事よ」


 ヴィクトルの顎が僅かに引かれた。眼鏡の奥の目が動いたが、声は出なかった。正論で返せなかった。正論を返されたからだった。


「あなたの仕事は無駄になってない。レオンはあなたの証拠を使うわ」


「……証拠が欲しいんじゃない」


 ヴィクトルの声が、少しだけ低くなった。制服の下で、拳が握られているのがわかった。


「自分で対処したかった」


 セレナが一瞬だけ、ヴィクトルをまっすぐに見た。目の奥に、何かが揺れた。この男の気持ちを知らないわけではなかった。知った上で、レオンを選んでいた。何かを言いかけた。けれど、言葉にはしなかった。


「下がりなさい」


 ヴィクトルは一礼した。今度は丁寧すぎなかった。丁寧さの余裕すら残っていなかった。扉が閉まった後、セレナは窓の外に視線を戻した。空は晴れていた。晴れているのに、部屋の空気だけが重かった。



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