Part33「被襲撃者」
目が覚めると、白い天井があった。
長細の電灯が見える。意識が覚醒してくると違和感が襲ってきた。部屋の天井はあんなに白くない。そもそもベッドは壁沿いだし、天井の電気の形だって丸型だ。
「えっ、ここどこ⁉」
だんだん意識が覚醒してきて……飛び起きた。
「正多くん!」
声のする方に首を動かすと、ベッドの脇に今にも泣きだしそうな顔の伏見がいて、その横にはシュミットの姿もあった。
「ふしみさ──ぐうぇ」
声を出そうとする前に、お腹に向かって勢いよく伏見が突っ込んでくる。驚きながら引きはがそうとするが、しがみつく力が強くてぜんぜん離れない。
「うああああ、心配したんですよおおおお!」
伏見は掛け布団に顔をうずめながら叫んでいる。いったん彼女の対処は諦めることにして、何が起きたのか説明を求めてシュミットの方を見た。
「キミ、目が覚める前の事、思い出せるかい?」
最後の記憶は自室のベッドで眠った時のもので、何か事件が起きた様な記憶はない。
いま分かることと言えば、ここが病院であることぐらい。視界の隅で看護師が病室を後にするのが見える。それに続くように怪しげな黒い背広姿の男も部屋を出て行くのが見えた。
「あの……もしかして、もう何日も眠ったままだったとか……」
「いや、実に健康的な睡眠時間だよ。ただ、あんなことが起きたのに眠ったままだったから、もしやこのまま目覚めないのかもと心配していたんだ」
「あんなことって?」
シュミットは手元のデバイスを操作するとその画面を見せる。
「事件だ。危うく外交問題だよ」
画面にはニュース記事が映し出されていた。
《国連警察〝大失態〟──国連警察アジア局(IPAS)が誤報により無関係なアパートの一室に突入したことが会見で明らかに。カルロス・アヴリル長官含む、幹部が謝罪。当時、室内には日本国民の少年がいたとの情報があるが詳細は不明。在札幌日本政府代表部は事実関係を確認中としながらも、事態に厳重に抗議すると──》
「キミは部屋に特殊部隊が突入したというのに眠っていたんだ」
シュミットは顔色一つ変えずに、平然とそう述べた。
しばらくの間、正多は自分の身に起きたことを理解できなかった。そんな記憶はまったく無いし、どれだけ熟睡していたってそんなことがあれば流石に目が覚めるはずだ。
混乱していると病室の中に何人かの人が入ってきた。サングラスをかけた背広姿の男が二人と荒川理事長、そして医者。医者は軽い問診が終わると逃げるように素早く退室する。
「無事でよかったわ。お父上が心配していたから」
荒川理事長は両親から保護者代理に指名されてこの場に来たという。
じゃあ残り二人はどういう立場でここに居るんだろう?
そんなことを考えていると、男が荒川に何かを耳打ちする。よく見ると、男の背広、その胸元には国連旗のピンバッチが付いていた。国連の、おそらくは国連警察の職員だった。
間もなく、病室の入り口が急に騒がしくなる。
警官が扉を開けると、杖を突いた男が入ってきた。
正多は目を疑った。そこにいたのは国連警察アジア局長官『カルロス・アヴリル』だったのだ。
西欧を統一した男。欧州連邦の建国者。欧州連邦軍の元帥。国連軍創設者の一人。そして、ラティスボナ市で傭兵アダム=ユリウスを討伐し、世界大戦を終わらせた英雄……。
少し前まで、テレビニュースで何度も見た顔だった。
威厳のある顔立ちはそのままだったが、実際に会ってみるとテレビで見た時よりも、ずいぶん老け込んでいるように見える。まるで、牙を抜かれた獅子のようだ、と正多は感じる。
その雰囲気からは軍人らしい猛々しさは失われており、白髪交じりの髪と顔に刻まれた深いしわが、この数年における彼の老いを強調していた。
カルロスは不自由そうに足を引きずりながら、杖を突いてベッドの傍までやってくると、緊張した面持ちの正多にスペイン語で語りかけた。
「この度は我々の国連警察の『間違い』により、多大な迷惑をかけたこと国連警察を代表して謝罪する。怪我はないと聞いたが、大丈夫だったか?」
隣に立つ通訳がそれを日本語に訳していく。
「え、えぇと、はい。大丈夫です」
カルロスは頷くと、ほんの軽く見舞いの言葉を告げてから立ち去ろうとする。
「Es muss schwierig sein, inkompetente Untergebene zu haben」
その背中に向かってシュミットが何か言った。
すると、周囲の警官たちが一斉にシュミットのことを睨みつけ、室内は一瞬で緊迫した空気になった。正多は彼女が何を言ったのか分からなかったが、あまり良い意味ではなさそうだった。
カルロスは少しだけ足を止めていたが、すぐに杖を突いて病室を後にした。
***
何が何だか分からぬままに検査と退院の準備が終わる。
ここにいたってなお、正多は自分がなんでそこまで熟睡していたのかも、まして特殊部隊がどんな『間違い』の末に自室に突入してきたのかも、知らぬままだった。
少しすると正多は、荒川、シュミット、伏見という、保護者枠であるらしい付き添いの三人と共に院内の小会議室に呼ばれた。
会議室には、国連警察の職員と日本政府代表部の外交官が待っていた。そこで行われた話の内容は、正多の部屋は現場検証中で入ることができない。治療費含め経費はすべて警察が持つ。日本政府としては国連との関係を考慮して事件を不問にする。と、これぐらい。
既に新都にいる両親とも話は着けているそうで、事件はこれで終わりとするそうだった。国連絡みなこともあって報道にも強い検閲が入るそうで、世間に名前が出ることもないらしい。
そして最後に、しばらくは指定するホテルに滞在してほしいとお願いされた。特殊部隊が突入したのだし、修理が終わるまでアパートには戻れないことについては仕方ないと思っていたのだが、何故かこれにだけ荒川とシュミットが反対した。
外交官と荒川理事長のしたたかな舌戦が続く中、「少しいいかな」とシュミットが呟いて、正多と伏見を会議室の外に連れて行った。
「キミさえよければだが、しばらく僕の家に泊まっていかないか」
「えっ、どうしてですか」
「キミは本当に『間違い』が起きて特殊部隊が部屋に突入したと思うかい?」
「本当に事件があったか、あるいは別の『何か』があったか。どちらにせよ、正多くんは巻き添えを食らったと、シュミットさんはそう言いたいんですよね」
そう言う伏見の口調は、いつになく冷静なものだった。
「これからのことも考えると、キミの周りに常に誰か人が居た方がいい。少なくとも警察だけに任せるべきではない。キミの味方とは限らない」
正多はシュミットの危惧をよく理解できなかったが、今はその言葉を信じることにした。
会議室に戻りそのことを伝えると、当然ながら相手には難色を示されたが、最後には荒川が無理やり押し通した。院内で荒川と別れると、人がまばらなロビーを通って外に出る。その頃にはすっかり暗くなっていて、病院の広大な駐車場には電灯がぽつりぽつりと灯っていた。
「今日は美味しい物を食べましょう!」
正多が気疲れしていることに気が付いてか、伏見は気遣うように明るく言う。
「シュミットさんの料理はどれも絶品なんですよ!」
住宅地を三人で少し歩いていくと、やがてシュミットと伏見の住む家に着いた。
そこは、ごく普通の見た目をし二階建ての戸建て住宅で、小さな庭とガレージが付いていた。居候の伏見を除けば一人身なのにシュミットが結構いい物件に住んでいることに驚く。高校教師ってそんなに給料いいのかな、と思いながら正多はおずおずと家に上がった。
シュミットが夕食の支度をする中、正多は手伝いを断られてしまったのですることがない。人の家で身をどこに置いたらよいのかも分からず、とりあえずソファーに座ることにした。
「トランプします? あ、それともボードゲームでもしましょうか。チェスと人生ゲームがありますよ」
テレビを見ていると二階から伏見が降りてきて、色々な物をリビングに広げた。今日の伏見はなんだかいつも以上に元気であり、シュミットからは休ませてやれと度々叱られている有様だ。
「まぁ、なんだ。悪く思わないでくれ。アレは心配の裏返しなんだ」
叱られた後、すっかり落ち込んだ様子の伏見には聞こえないぐらい小さな声で、シュミットが補足する。あれが彼女なりのフォローであることには正多も気が付いていたので小さく頷いて答える。
せっかくだし、夕食後にチェスを一戦ぐらいは相手をしてあげようと思った。
***
やけにチェスの上手い伏見にボロ負けした後、正多はシャワーを借りた。
伏見の私服である『鯖缶(SABACAN)』と書かれた独特なセンスのTシャツに着替えて風呂場を出る。その足でリビングに行くと、やや甘いバニラのような香りが漂っていることに気が付いた。
それは煙草から昇る紫煙だった。
「先生、たばこ吸うんですね」
シュミットはリビングにある大きな開口窓に腰を掛けて、体を半分ぐらい外に出しながら煙草をくゆらせていた。手元には白いパッケージに錨のマークが書かれた箱が転がっている。
シュミットはふぅーと庭の方に息を吹いて灰色の煙を夜空に伸ばすと、正多のことを見た。
「なぁ、ナミキ。伏見には止められていたが……」
手元の灰皿にさっと灰が落ちる。
シュミットは左手で自分の右腕に触れ、正多はそのジェスチャーに顔をこわばらせた。失念していた。病衣では傷跡のある腕も、手首も、隠しきれていなかった。
「これは……その……」
「伏見は優しすぎる──」
「シュミットさん!」
こつん、とテーブルを爪でたたく音がする。
リビングに響いた声に驚きながら振り返ると、食卓の横に伏見が立っていた。
「……正多くんのいる間は禁煙って、言ったじゃないですか」
その声音には僅かに怒りの感情が乗っている。
正多の状況には一切触れなかったが、彼女はただ不満げな表情を浮かべていた。




