21 暗躍するエルメス
パガン王国の中でも五指に入る大都市であるワールは、王族の領地である。
海に面しているという交通の便もあるため、大規模な騎士団が在中し、その団長ともなれば単純に家柄だけではなく実力も考慮される。
なにしろ在職期間中は伯爵扱いであり、一代限りではあるが名誉子爵の爵位まで授けられ、本人の死後には陞爵や叙爵が行われるというほど、その職責は大きい。
現在のワール駐在騎士団団長エイルは、平民の出である。
富裕層の出身ではあるが、兄弟が多く遺産相続に問題が起きそうであったため、自ら軍人の道を選んだ。
能力的に優秀であり、精神的にも他の騎士の模範となる高潔な人物であり、まさに騎士といった感じの男である。
40代半ばの肉体は全盛期の若さはないかもしれないが、その分技は円熟味を増し、まさにワールの街では最強の戦士と言っていいだろう。
その日もエイルは公務を終えると、従者もなくただ一人で帰路を辿った。
日によっては部下と共に街へ繰り出したりもするが、家庭を持つ父親としては、やはり家に待つ妻子を優先する。
帯剣はしているが他には武装もなく、人通りがそれなりにあり道を辿る。
そんなエイルが意識を戦闘状態に移したのは、角を一つ曲がったところであった。
脇道ではあるがいつもは人通りがそれなりにあるが、その日はエイル一人以外に人影はなく、気配も感じられない。
何かの魔術か、とエイルはすぐさま抜剣した。
街中でこんな魔術を使うなど、まともなものではない。おそらくすぐに魔術師団が気付くだろう。
だがそれまでにどんな動きがあるか。それにこの様子では、人払いの魔術は自分を狙ったものだと思える。
「ワール騎士団団長エイル様ですね」
背後から声が聞こえた時、エイルは動揺を隠せなかった。
その男には気配がなかった。声をかけられるまで、いや声をかけられた今も、気配が全く感じられない。
エイルを相手に勝負を挑んでくる剣客や冒険者は、それなりにいる。
腕試しや、もしくは名を上げるための者が多く、大概は他の騎士が対応するが、中にはこうやって相対する状況を作り出す者もいる。
それにしても、目の前の男は異質であった。
腰に剣を帯びてはいるが、暗殺者の類かもしれない。
魔術らしき結界を思えば、その可能性は高い。
ほとんど冗談のような、あの噂を聞いた直後だけに、エイルは警戒感を増した。
顔は仮面で隠しているが、格好は冒険者を思わせる。
地味な革鎧に、手には剣を持っている。体軸を見る限り、素人ではない。
「お話がありますが、それをちゃんと聞いてもらうために、一手お手合わせお願いします」
声は若い。それに話の持って行き方が、無謀な挑戦者とは違う。
「話なら、先に聞いてもいいが」
「真剣に聞いてもらうために、こちらの力を見てもらいたいんです」
ふむ、とエイルは剣を構えた。
何やら事情がありそうだ。単純な腕試しなどではないのは分かるが。
それにしても、この程度で自分に挑んでくるのか。
声も若いし、必死ではあるのだろうが、どういう理由があるのか。
「それと、こちらは魔術で防御力を強化してあるので、遠慮なく打ち込んでもらって大丈夫です。こちらの剣も魔術で殺傷力は落としてあるので、遠慮はしませんが」
魔術。相手に魔術師がいる。分かっていたことだが、人払いの結界に武器への付与。かなりの大物の魔術師だろう。
あの噂に対して、魔術師たちが動いているのだろうか。
少なくとも騎士団直下の魔術師団には、何も知らされていない。エイル自身にもだ。
動いているとしたら、学院の魔術師たちだろうか。
あの連中は戦闘向けの魔術師ではないが、生み出した魔術は立派に戦闘向けのものだ。
何はともあれ、今は目の前の相手に集中すべきだろう。
エイルは剣を保持しながらも脱力し、本気の体勢になった。
リックは正直、帰りたかった。
エルメスの言葉を信じないわけではない。信じてはいるが、だからと言って目の前の男と戦うのは、この少年にとってはあまりにも酷なことだった。
だがエルメスの説明を聞き、そしてこの役割を果たせるのが本当に自分以外にいない以上、戦わないという選択肢はなかった。
一応エルメスも、リックでさえ勝てるだけの手は打ってくれている。
監獄の中のエルメスのためにも、戦う必要はある。
しかし、目の前の男。
ワール騎士団の団長エイル。ワール一の戦士として、冒険者の間では当然のように知られている。
その剣術スキルはレベル9。レベル10というのがスキルの上限であるので、その実力は疑うべくもない。
レベル10のスキル持ちというのは、下手をすれば同じ時代に世界に一人もいない場合さえあるのだ。
対するリックの剣術スキルはレベル5だ。
この年齢にしてはそれでも驚異的なのだが、もちろんエイルの相手にはならない。
そもそも剣術スキルが9にまで達していれば、そこから派生スキルとして肉体強化系のスキルも持っているだろう。
何より冒険者のリックに対して騎士のエイルは、対人戦闘のスキルを高いレベルで持っているはずだ。
つまるところどんなインチキをしても、どんな魔術の付与があっても、対決出来るようなものではない。
普通ならば、だ。
そもそも目の前のエイルが、あのダンジョンの牛鬼よりも強いだろうか。
騎士はその職業柄、白兵戦では対人を想定して訓練をしている。魔物などが相手の場合、魔術師などと連携して戦う。
だからおそらく、エイルは牛鬼よりは弱い。
しかしながら対人戦闘の経験において、リックが戦うのには無理がある。
だが監獄の中からエルメスがリックに与えたのは、その差を上回るものであった。
『発動』
キーワードに従い、エルメスが監獄から送ってきた呪符がリックの肉体を包む。
圧倒的な防御力、圧倒的な身体能力の向上、そしてその身体能力を処理する神経系、さらにはある程度の時間の加速。
これだけやられたなら、そこらのチンピラでも騎士に勝てるだろうというぐらいの強化だ。
その驚異的な強化状態で、リックはエイルに襲い掛かった。
速い。
エイルは相手の常識外れの剣速に驚嘆しながらも、それに冷静に対処する。
ただ速いだけなら、自分の倍の速度の相手でも勝てる。エイルが持つ技術というのはそういうものだ。
突き技に対してエイルは受け流しながらも払おうとしたが、剣と剣が合わさる瞬間、リックのそれは軌道を変えた。
人外の膂力からなる、剣閃の変化。
下から剣撃に対して、エイルはそれを最短の動きで受け止めようとする。
しかしまた変化した。
明らかに筋肉の使い方がおかしい。真横からの斬撃に対し、またエイルはそれを受けようとする。
が、また変化した。
振り下ろされる剣。今度はエイルは受けようとはせず、大きく跳躍して後退した。
ありえない。
剣というのはつまるところ、鉄塊である。その重量で押し切る武器だ。
もちろん膂力によってその軌道を変えるのは、術理の中にもある。だがエイルのしる研鑽された技術と、目の前の現実には大きな乖離がある。
あの太さの腕で操る剣が、あの軌道を取れるはずはない。
それにもう一つ気になるのは、剣を合わせようとしないことだ。
もしあの剣の軌道を変えられるだけの力があるなら、そのままエイルの剣を弾いてしまえばいい。
つまり、あの剣は速さに特化していて、打ち合わせるだけの耐久力がない。
中身が中空になっているのか。奇妙な剣だが、魔術師が関係しているなら、そんな奇妙な剣も作れるのかもしれない。
軽い剣。ならば耐えられる。
また凄まじい勢いで襲い掛かるリックの突き。それを防ごうとするエイル。
またも変化する軌道。エイルは己の横腹へのそれを、ぎりぎり触れる程度で剣で受けようとする。
重い剣の勢いがエイルの剣を弾き、脇腹へ深く食い込んだ。




