19 捕らわれのエルメス
魔王が地獄の封印を破り、地上に顕現しようとしている。
そんな荒唐無稽の噂が、三つの場所からほぼ同時に上がった。
一つは冒険者ギルドから。
一つは学院から。
そして最後の一つは裏社会からである。
もちろんエルメスの作戦であった。
エルメスは最初、ゴンベスに確認した。前提条件が間違っていては、彼の協力を得られないと分かっていたからだ。
質問したのは、魔王と地上、どちらに被害が多く出た方がいいかということだった。
常識的に、あるいは無頓着に考えるなら、悪魔のゴンベスにとってはもちろん、人間の被害が大きい方がいいと答えると思うだろう。
しかし今回の魔王軍の侵攻は、ゴンベスの主とは別の派閥の魔王のものである。
地獄で足を引っ張り合うのが日常の悪魔にとっては、むしろ人間が勝ってくれた方が良いのだ。
混乱に乗じて人間に召喚でもされたら、よりゴンベスにとっては嬉しい。
だからエルメスはミーナたちの前でゴンベスに悪魔の正体を表してもらい、魔王が地獄から解き放たれるということを述べさせたのだが。
「……まあ、こういうこともあるわな」
達観したように言うエルメスは、監獄の中にいる。
悪魔というものは、人間にとっての天敵。あらゆる悪徳の象徴のようなものである。
むしろ神よりも悪魔の方が信用出来ると思うようなエルメスの方が異常なのだ。
悪魔としての正体を表したゴンベスに対し、ミーナと護衛たちは腰を抜かした。
悪魔というのは人間に比べてはるかに強大な存在であり、最も弱いという部類の悪魔でさえ、ランク5以上の冒険者でないと敵わないと言われている。
ゴンベスは暴力よりも知力で出世した悪魔だが、もちろん実力的には並の悪魔よりはるかに強い。
そんな悪魔の姿を目にした一行は皇帝熊などよりも、よほど恐ろしい存在がいるのだと、初めて実感した。上位の悪魔とはそれほど隔絶した存在なのだ。
と言っても直前に魔力を解放したエルメスの方が、よほど強大であったのだが。
とにかく悪魔形態で事情を説明したゴンベスは、そのまま去っていった。
我に返った一行から、怒涛の質問を受けたエルメスであったが、優先事項は他にあると訴え、早急にワールの街へ帰還した。
そしてそれぞれの伝手を辿って報告が行ったわけだが、エルメスがアーノルドとの長い面会を終えて家に帰ったところ、ワールの領主の騎士団に捕縛されたのである。
正確にはその時点ではまだ、捕縛ではなかった。いわゆる任意同行だ。
それは予想していたので、素直に従ったエルメスである。
しかしそこからがひどかった。
エルメスは正直に答えた。虚言感知の魔術を使われても困るので、ゴンベスとの関係も隠さなかった。
ゴンベスはエルメスが召喚した悪魔ではないので、彼に罪があるわけではない。
だがそもそも悪魔と交流するような人間は、それだけで犯罪者と同一視される。
エルメスの場合は悪魔を召喚したわけでもないし、悪魔と取引したわけでもない。
だが法以前の問題で、一通りの聴取をされた後、牢に放り込まれたのだ。
魔術を封じる首輪をかけられ、脚は鎖で床につながれている。もちろん杖や魔法の袋も没収された。
もっとも首輪の魔道具はかけられる直前に機能を破壊しておいたので、実のところはいつでも抜け出せる。
見せ掛けだけの魔法の袋とは別に、ローブのポケットには魔力隠蔽のかけられた魔法の袋が付いている。
当然ながらそこには予備の杖が存在する。正確に言えば、普段使いとは違う戦闘用の杖だ。
つまりエルメスは身包みはがされ魔術を封じられたように見えても、実際のところは全く戦闘力を失っていなかったのである。
だが、ここからどうするべきか。
毛布一枚だけの牢屋の中で、エルメスは考えた。
このままエルメスが何も行動しない場合、魔王とワールの街は全面戦争になるだろう。
都市周辺の住民は、ワールの街へ避難せざるをえない。
数百年の泰平の世で、ワールの街の城壁のかなりが、メンテナンスが必要であることをエルメスは知っている。
治安維持の費用が何処に流れたか、おそらく問題になるに違いない。
それでも城壁に頼った防衛は、人間にとっては有利である。
エルメスが参戦するにしても、自重をやめないのならば城壁に頼った戦いになるだろう。
エルメスが自重を放棄すれば、戦いは全く違った姿になる。
封印を解いて魔境から出てきた悪魔達を、片っ端から叩いていく。これなら犠牲は少なくなるだろう。
しかし今後のことを考えると、それはエルメスには採れない手段である。
この大災害とも呼べる事態が終息した後、責任を取らされる人間は必ず出てくる。
その中の一人は、まあ城壁のメンテナンスを怠っていた責任者だろう。
だが見せしめの意味も含めて、元凶を作り出すことも間違いない。
事実がどうであれ、民衆の恐怖を拭い去るための生贄が必要だ。
そしてここに、悪魔と対話する邪悪な魔術師が都合よく存在する。
邪悪。……考えていてエルメスは、少し泣きそうになった。
そもそも彼が完全に保身だけを考えるなら、ゴンベスの正体を隠し、ミーナや護衛への警告を与えなければよかったのだ。
そして魔王たちが地上に現れたら、自分一人でどうにかしてしまえばいい。
なんならゴンベスも、背中から安全に追撃するぐらいは手を貸してくれたかもしれない。
それでもエルメスがワールの権力者にまで伝わるようにしたのは、それなりの理由がある。
まず第一に、魔境を封鎖しなければ、絶対に被害が出たであろうこと。エルメスがいくら強くても、同時に複数の箇所にいることは出来ない。
そしてそれに付随するが、悪魔と戦うなら人間は組織力を駆使して、準備を万端にすべきだと思ったのだ。
正直なところ自分をちゃんと戦力として数えてくれることを期待した。
エルメスが強いことは、知ってる人間は知っているのだ。
だがその判断は誤りだったと言えよう。
多くの人命がかかったこの事態においては、エルメスを巡る環境は変わらない。
社会の仕組みがエルメスを必要としていないのだ。
これからどうするべきか、エルメスは考える。
選択肢の中で、彼が人間社会の中で生き残るものは、あまり多くない。
今の立場が激変するであろう選択肢があるが、それは大きな犠牲と引き換えになされることであろうと思うと、皮肉な笑みが浮かんでくる。
英雄になれと言うのか。
この選択をさせるために、神はエルメスからスキルを奪ったというのか。
もしそうならば、神というのはまさに悪意の塊である。
手順を慎重に考えながら、エルメスは最悪の住居での休息を得るのであった。




