10 魔法使いのエルメス
牛鬼の殺意が広間に満ちた。
背後で何人かが失禁していたのだが、それは気にしないエルメスである。
もうちょっと話をした気もしたが、なんとなくここまでが限界だと感じた。
杖を構えるエルメスに対して、牛鬼は鼻息を荒くする。
「阿呆が! ここでは魔術は発動出来んぞ! さっさと通路まで逃げるがいい!」
なんて親切な悪魔だろうと考えながらも、エルメスはその選択をしない。
「だって罠あるだろ?」
「気付いて入ってきたのか? 狙いはなんだ!」
そう、魔術的な仕掛けにより、出入り口には電撃が流れる仕掛けが作動している。
魔術の発動を封じる仕掛けと共に、既にそれを見破っていたエルメスである。
もちろんそれの対策は考えてある。
分かっていながら入ってきた、そもそもただの人間達の意図を見抜けなかったのは、やはり悪魔の思考形態が人間とは違うからだろう。
「狙いと言うかな」
エルメスは木製の黒い杖を、木刀のように構えた。
「魔術封じられても、俺なら勝てるし」
エルメスの体格は、上下にやや長く、横には短い。
少し長身で、痩せ型ということである。
魔術師であり、幼少のころから何か武術を学んだということはないし、武器の扱いもあまり知らない。
冒険者として初心者だった頃、ゴブリンの接近に気付かず、やむをえず杖で殴り殺したことはある。
それから少しだけ必要性を感じ、引退した冒険者であるギルドの職員に教えを乞うたり、裏社会の人間に咄嗟の技を習ったことはある。
命がかかっているのでそれなりに必死だったが、エルメスに接近戦の才能はそれほどなかった。
はっきり言えば、極めて乏しかった。
やがて魔術による早期警戒と遠距離からの攻撃を戦術としたため、最近では直接的な武器攻撃で魔物を倒したことなどない。
もちろん街の知識階級のボンボンなどよりは、強靭な肉体をしている。
だがそれでも、普通に試合を行えばリックが勝つ。それどころかリックのパーティーの誰に対しても、確実に勝つとは言えないだろう。
徒手での護身術は多少使えるが、まさか甲冑を着けた牛鬼相手に、素手で挑むほどの愚か者ではない。
対する牛鬼の得物は、なんだかサイズを間違えた包丁のような剣である。いや、鉈であろうか。
人間の身長よりも刃渡りがあり、別に刃がなくてもその殺傷力にはさほどの差はないであろう。
見ただけで分かる勝敗の帰結。だがもちろんエルメスには勝算がある。
というか勝利を確信しているのでもなければ、こんな危険な敵とは対決しない。
牛鬼が鉈を構える。片手もちだ。持ち手の長さからして、そもそも片手用なのだ。
空いている手は何やら盾のように構えている。確かに人間の武器ならば、素手でも防いでしまいそうだ。
いや、エルメスが見る魔力の流れを考えれば、確実に防ぐだろう。
そもそも攻城兵器でも使わない限りは、マトモな武器は通用しなさそうだ。
純粋な戦力で戦うなら、騎士団が一個小隊、魔術兵団が一個小隊は必要か。
だがこの場では、魔術は封じられている。
「悪魔殿よ、貴殿は運が悪かった」
普段虐げられたエルメスが、強者を逆に一方的に嬲る展開。
「俺以外の人間であれば、貴殿には対処出来なかっただろうな」
エルメスの肉体が輝いた。
それは魔術の発動だった。
ありえないはずの現象に、牛鬼の動きが止まる。
ああ、なんという皮肉。
このあまりに人間的な悪魔は、それゆえに思考が鈍い。
むしろ単なる魔物の方が、エルメスの脅威を感じ取れたかもしれない。
エルメスの輝きは一瞬だった。
一瞬の間に、牛鬼の背後に移動していた。
魔力の動きから、牛鬼はそれを察知した。振り返るその腹部へ、エルメスの杖が突き刺さる。
魔力によって強化された牛鬼の甲冑を、エルメスの杖が蒸発させた。
それは杖と言うよりも、光の塊であった。
牛鬼の腹は斬られたというよりも、食いちぎられたように消失する。
それは深く、背骨にまで達する完全な致命傷であった。
だが悪魔は死なない。
悪魔の存在は、魔力がある限りはそこにあり続ける。
エルメスの光が、牛鬼の両腕を蒸発させる。
ごろりと支えを失った上半身が、その場に転がる。
だがこの状態でも、牛鬼は死んでいない。
その牛鬼の喉下へ、エルメスの杖が突きつけられた。
リックたちには、エルメスの動きが見えなかった。
当たり前だ。見て対応出来る攻撃ではないのだ。
対人戦闘を死ぬほど極めてようやく、エルメスの攻撃を一度回避出来る。
だが二撃目は無理だ。これはそういう魔術なのだ。
そしてその魔術は、牛鬼に対しても有効であった。
死んではいないが抵抗力を奪われた牛鬼は、驚愕するばかりであった。
「なぜだ!?」
悪魔の叫びは、圧倒的な理不尽に対するものであった。
牛鬼はエルメスを全く侮っていなかった。その魔力は悪魔をも凌駕するものであったし、小賢しい神の呪いを考慮に入れても、脅威であることは分かっていた。
だが、これはおかしい。
相手は魔術師なのだ。それは間違いない。
「その『なぜだ』というのは、この広間で魔術が使えたことか? それとも俺がこんなに強かったことか?」
牛鬼の胸板に足を乗せ、エルメスは質問の答えを待つ。
この期に及んでもエルメスは、牛鬼との対話を楽しんでいた。
「両方だ」
死の恐怖よりも、その謎を解きたいという探究心が勝った。
まこと悪魔というモノは、因果な存在である。
エルメスも説明するのにやぶさかではなかった。いや、むしろ説明したかった。
だってこの悪魔なら、エルメスの期待通りの反応をしてくれそうなのだもの。
「この広間は魔術の発動を阻害する魔術が仕掛けてあったが、そんな中で魔術を使うには二つの方法がある」
すごく嬉しそうにエルメスは説明した。
「阻害魔術の許容量を上回る魔力で魔術を編み出すか、既に発動している魔術を持って来るかだ。もちろん俺は後者を選択した」
前者も出来ないわけではなかったが、無駄に魔力の消耗は激しいと判断した。
「発動はしていたが休眠状態の魔術を、この杖に込めていたんだ。普通の魔術師は魔術を咄嗟に展開するために杖を使うが、かなりの性能の杖でも五つの魔術を刻み込むのがやっとだ。しかし俺のこの杖は、完全な趣味に走った結果、17の魔術を発動状態の休眠状態で込めておける」
口数の多いエルメスである。
「魔力を流せば休眠状態の魔術が発動する。これが俺が魔術を使えた理由。そして俺が強かった理由だが……」
エルメスは少しだけ口ごもった。正確に説明しようとすれば、論文一つは軽く書ける文章を垂れ流すことになる。
「俺の使ったのが、魔術じゃなくて魔法だったことかな」
魔術というのはこの世界なりの理に干渉して、そこから力を引き出す技術である。
大して魔法というのは、この世界の理自体を変えてしまうものだ。
現象としては魔術と似ることもあるが、根本的に違う。
言うなれば神の力と同等のものなのだ。
「なるほど」
牛鬼は死を前にしても冷静だった。
あるいは納得していた。
「魔法使いならば、仕方あるまい」
パガン王国の歴史において、記録された魔法使いはわずか七人。
そして存命なのは二人であり、現役なのは一人であった。
エルメスが魔法使いであればそれは八人目となるのだが、おそらく彼が数えられることはないだろう。
「ではよろしいかな悪魔殿?」
「うむ、楽しい時間であった」
エルメスの光の杖が、牛鬼の頭部を消し飛ばす。
そして悪魔の肉体は消滅し、そこには魔力結晶のみが残った。
主人公無双。というか一度も苦戦はしていませんが。




