父のかみよ
その翌日。2人は海がよく見えるテラスに立っていた。
辺りに人影はない。ひゅうひゅうと風が鳴るばかりで、いつもは遠くエメラルド色に輝く海も灰色に唸っている。
「ハロルド、ハロルド、出ておいでーー!」
アーリアが海に向かって、手をバチバチ鳴らした。
池の鯉を呼ぶんじゃないんだから、とイワンは内心思ったが、あえて口に出さず成り行きを見守る。
と、海面がぽこりと浮いて、仏頂面した男が顔を出した。
「ハロルド、パパに伝えて。アーリアは帰りません、ずっとここにいますって」
テラスの手すりから身を乗り出すアーリアに、ハロルドと呼ばれた男は盛大にため息をついてみせる。そしてキッとイワンを睨んだ。
「あなた、覚悟はできているんでしょうね。神の娘に手を出した覚悟は」
「できている。例えどんな目に合おうとも、気持ちは揺るがない」
「ふん。その決意の固さを拝見させていただきましょうか」
嘲るように言うと、アーリアに向かってホイとなにかを投げてよこした。
手のひらサイズの巻き貝だった。
「これは?」
「何かありましたら、それでお伝えします。しばしお待ちを」
そのままトプンと姿を消し、後は風が叫ぶばかり。
「大丈夫だ」
巻き貝を両手に握りしめ、硬直しているように身をすくめているアーリアを励ますように、イワンはその肩を抱いた。
「王には全てを話して理解してもらっているし、城の者たちも町の者たちも万一に備えて避難している。だから心配するな」
「イワンは怖くないの?」
「怖いさ」
肩をすくめてイワンは笑う。
「だけど、ケジメはつけないといけないだろう。どちらの方向に転がろうと」
「うん……」
やっぱりこの人を好きになってよかった、と泣きそうになった時である。
「姫様逃げて、超逃げて!!!」
ドォオオオオン!!
巻き貝からハロルドの声が聞こえたと同時に、大地を揺るがす轟音がして彼方に巨大な水柱が立った。
「パパ……!!」
ドォオオオオン、ドォオオオオン、ドォオオオオン、と水柱は怒りを爆発させるように海面を突き上げ、まっすぐこちらに向かってくる。あまりの迫力にイワンは硬直し、しかしアーリアを守るようにしっかりと抱きかかえた。
2人の体が水飛沫でずぶぬれになる距離までくると、初めて海王ポセイドンは姿を現せた。
その姿は海の王に相応しく巨大で、片手にトライデントの槍を掲げ、ギラギラと燃えるような眼光でこちらを睨みつけている。
「……あたしが言うわ」
イワンの制止を振り切り、己の父に対峙したアーリアはゆっくり進み出るとおもむろに片手を上げた。
「宣誓!! わたしたちふたりはー、ここに変わらぬ愛を貫くことを誓いまーす!!」
途端に神、咆哮。海は荒れ狂い雷の乱舞。
「きゃー! パパ、パパ、落ち着いて!」
「ほらみろ、やっぱり無理だったじゃないか!」
慌ててアーリアをかばったイワンは、大暴れする巨大岩(に見える)に喉も裂けよとばかりに叫んだ。
「お義父さん! お嬢さんをおれに下さいッ!!」
「まあ、イワン……!」
思わず頬を染めたアーリアだが、神の怒りはさらにヒートアップ。地響きと共に波が2人を襲い、そのまま海に流された。
「ぎゃーーーーーー!!!」
巻き込まれる渦の中、抗うイワンにアーリアが必死に手をのばす。だがもう少しの所で届かず、距離は縮まらない。
「ふぁいっとぉおおおおーーーー!!!」
渾身の力を込めて、手をさらにのばすとイワンも応えた。
「いっぱぁあああーーーつ!!」
手と手ががっしりと繋がれた瞬間、再び波の打撃を受けて海中深くに叩きつけられた。
堪らず海水を飲み遠ざかる意識の中で、キラキラとしたものが見える。暗い海底でも美しく光り輝いている。
始めて見た、アーリアの鱗だった。イワンを守ろうと死に物狂いで海面に上昇しようとしている。
こんな所で気を失っている場合じゃない!
力を込めて水を蹴り、なんとか浜辺に辿り着いた頃には、2人とも肩で息をしていた。
「アーリア、その足は……」
「えへへ」
力なくアーリアは笑う。ドレスの裾からはエメラルド色の鱗に包まれた尾が覗いていた。
「これが本当のあたし。……嫌いになった?」
「バカか、お前は。そんな訳ないだろ、とっても、その……きれいだ」
「うわぁああああん!!」
突然抱きつかれて、イワンは浜辺にひっくり返った。
「すご嬉しい! すごく嬉しい!」
「重い! そして痛い! ちょ、尾っぽびったんびったんさせるな! ものすごくいた……」
アーリアの肩越しに見える光景に、イワンは息をのんだ。
遠くからポセイドンが目を光らせたままこちらに焦点を絞り、トライデントをゆっくりと構え始めていた。




