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あの娘

ジェシカがフィンネルに嫁いで1週間が経つ。

覚悟していたよりも周囲の人々は礼儀正しく、優しく接してくれる。

それに、とジェシカは頬を染めた。

新婚初夜を思い起こす度に、未だに赤面してしまうのだった。


すべての儀式を終えその部屋に入った瞬間、いきなりイワンは放り投げるようにジェシカをベッドに押し倒した。

「うぎゃあ!」

不意打ちに色気の欠片もない悲鳴を上げて冷凍マグロのように転がり、うつ伏せになったジェシカにおかまいもせず、ひらひらフリルのネグリジェをたくし上げ、ズロース(特注Lサイズ)をべろんと下げる。

「ぎゃーやめてーーー!」

抵抗敵わず、真っ赤に腫れあがった巨大な尻が出現した。

「やっぱり」

瀕死の昆虫のようにもがくジェシカの耳に聞こえたのは、イワンの冷静な声。

「式の最中、ずっと様子がおかしいと思ってたんだ。アールとフィンネルの国境沿いの道は最悪だからな」

アトラクションさながらのでこぼこ道の振動に、本体の体重はその尻に多大なる負担を強いたらしい。なんとか痛みに耐えながらごまかしていたのに、見透かされてこんなあからさまに尻を直視されて、ジェシカは恥ずかしさと屈辱でついに泣き出した。

「うっうっうっ……もうお嫁にいけない……」

「来たじゃないか、今日」

どこから取り出したのか、軟膏を取り出して丁寧に塗っていく。

「スモールウッド社の『スグヨクナール』だ。匂いとネーミングはアレだが良く効く」

甘いはずの初夜にはそぐわない香りが室内に充満する。

軟膏まみれの尻にタオルをかけたイワンは、ジェシカから身を離して向かいの椅子にどっかり腰を下ろした。

「ジェシカ」

「はい」

涙に濡れた顔をそちらに向けると、真摯な目とぶつかった。

「おれはこの結婚を望んでなかったし、義務で引き受けた。君も多分、そうだと思う」

「わたくしは……」

「まあ、最後まで聞いてくれ。だけど、おれたちには選択肢なんてない。だったらせめて仲良くしよう。いつか君を愛せるように努力するよ」

驚いた。まさか愛まで頂戴できるとは思ってもいなかった。

「まるで」

泣き笑いの顔でクスクスとジェシカは笑う。

「共犯者みたいですね」

親が勝手に決めた結婚の裏で、その相手と同じ気持ちを吐露してこっそり舌を出す。

決められた道の脇、誰にも見つからない場所で内緒話をしているような、そんな気分になった。

「そうだな」

イワンも笑った。

心の内に芽生えた何かは、恋や愛ではない。

でも、これからそれに近いものに変化していくはずだ。きっと。


しかし、ジェシカは新たなる夫に対して、全面的な信頼を置いているわけではない。

問題は

「ねえねえ、食べないの? このジンジャークッキー、とっても美味しいのよ。全部あたしが食べちゃってもいい?」

目の前で自分のおやつを我が物顔でぱくついている、アーリアと呼ばれる娘なのだった。


イワンの「命の恩人」であるアーリアは、プチトリアンはもとよりフィンネルの城内で人気が高い。その立場を笠に着て新参者であるジェシカにも馴れ馴れしく接してくる。

イワンと会話をしているその様子は、仲のいい子犬がじゃれついているようにも見えて苛立たしくなるし、なにより美人でスタイルのよいアーリアを見る度に、自分の三段腹や丸太のような二の腕が悲しくなる。

それでも自分とこの娘は立場が違う、と恨めしげな眼でアーリアを睨むと、ハッとした顔で手にしていたクッキーを皿に戻した。

「あげる。ラスト1枚」

違う! でも食べる!

憤然と咀嚼するジェシカをアーリアはニコニコしながら見ている。

「何かしら。わたくしの顔に何か付いていて?」

「ここ」

アーリアの白い手が伸びて、頬についていたクッキーの欠片をひょいとつまみ、そのままぱくりと食べた。

なに……この「男が喜ぶ女子の行動ベスト5」を自然にやってのける娘は!

ジェシカの中のエマージェンシーランプ、スイッチオン。

ちょうどその時、窓の外から馬車の音が聞こえた。

「あっ! イワンが帰ってきた!」

ご主人さまの帰宅を喜ぶ犬のように、アーリアが立ち上がり、飛ぶように駆けてゆく。

いつもは複雑な気持ちでそれを見送るジェシカだが、今日は違った。

そのご主人さまはわたしの夫だ!

猛然と後を追うようにこちらも走りだす。巨体を揺らしながらアーリアを抜くと、アーリアも負けじと抜き返す。

鼻息荒く張り合いながら抜きつ抜かれつを繰り返し、2人同時に玄関から飛び出した。

「イワン、おかえりなさい!」

「あなた、お疲れさまでした!」

ちょうど馬車から降りて声に振り返ったイワンの顔が引き攣る。

親の仇を取るが如く、ものすごい形相でこちらに突進してくる女2人。その勢いは雄大な大地を駆け巡るバッファローの群れに匹敵する、と主を差し置いて逃げ出したリンジー(職務放棄)は後に語った。

「ちょっ……! お前ら止まれ!! 止ま」

ドオオーンと辺りを響かせる音がして、イワンは華麗に宙に舞った。



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