おねだり
白亜の皇宮「鳳凰宮」の大舞踏会。
天井に並ぶ巨大なクリスタルシャンデリアは、まるで星屑を散りばめたかのような輝きを放ち、会場を満たすオーケストラの旋律は、優雅極まりない帝国の夜を彩っていた。
その社交界の中心に、一段とまばゆい光を放つ一対の男女がいた。
バルドル帝国皇帝ジュリアスと、その隣に並び立つエリザベート・フォン・アウグスト。
エリザベートの今宵の装いは、夜空を溶かし込んだような深いシルクブルーの最高級ドレス。歩くたびに微細な星の魔力が衣擦れの音とともに瞬き、デコルテを飾るのは、帝国に伝わる秘宝中の秘宝――『星涙のダイヤモンド』。それは、ジュリアスが彼女への変わらぬ敬意と愛を誓い、直々に贈った家宝だった。
誰もがその、まるで絵画から抜け出してきたかのように美しい神々しい二人の姿に感嘆し、羨望の視線を送っていた。
――その、完璧な調和に満ちた平穏を乱す足音が、大広間の大扉から響く。
「バルセーヌ王国第二王子、レイナルド・ド・バルセーヌ殿下! ならびに、同国聖女、マリア・ミルフィ様のご入場!」
近衛兵の呼び上げとともに、会場のすべての視線が入り口へと向けられた。
しかし、そこに現れた二人を見た瞬間、帝国の洗練された貴族たちから、くすくすと抑えきれない失笑と、眉をひそめるような沈黙が広がった。
現れたマリアのドレスは、王国の財政を無視して無理に新調させたエメラルドグリーンのドレス。しかし、そのフリルやレースはあまりにも過剰で、まるで動くチープな砂糖菓子のようだった。しかも、歩くたびにじゃらじゃらと下品な音を立てる、エリザベートから「奪った」はずの大きなサファイアのペンダントが胸元で安っぽく主張している。
エスコートするレイナルド王子もまた、誇らしげに顎を突き出し、自分の威光を示そうと不自然に肩を張って大股で歩いていた。
「……まぁ、あれが噂の……」
「あの悪趣味なドレスは何かしら? まるで成金の田舎娘ね」
「あれが、我が国の女神であるエリザベート様を虐げて追い出したという、王国の愚か者たちですか」
冷ややかな囁き声が充満する中、レイナルドとマリアは自分たちが「注目を浴びている」と勘違いし、ますます得意げに胸を張ってジュリアスとエリザベートの前に進み出た。
「お久しぶりだな、エリザベート」
レイナルドは、皇帝ジュリアスの前であるにもかかわらず、傲慢な態度でエリザベートを見下すように笑った。
「我が国を去ってどこに行ったかと思えば、帝国の皇帝に色目を使い、随分と贅沢な暮らしをしているようではないか。だが、その虚飾の生活も今日で終わりだ。僕たちはお前が持ち逃げした国家資産と技術を取り戻しにきたのだからな!」
広間に漂う失笑が、一瞬にして深い「ドン引き」へと変わった。
大衆の前で、他国の皇帝に対してあまりにも非礼極まる態度。しかも、事実無根の妄言を大声でまき散らす王子の頭の悪さに、隣国の伯爵や公爵たちはもはや哀れみの目を向け始めている。
しかし、一番の惨劇はここからだった。
「お姉様ぁ……」
マリアが、一歩前に進み出た。
彼女はうるうるした瞳を作り、いかにも「心優しい、か弱い女の子」を演じるように両手を胸の前で合わせた。
「私、お姉様がいなくなってから、ずっと悲しくて……。でも、お姉様はこんなに広くて綺麗なお城で、そんなに素晴らしいドレスや、キラキラした青いお石のネックレスをつけて楽しそうにされているんですねぇ……」
マリアはエリザベートが身につけている『星涙のダイヤモンド』を、強欲にギラついた瞳で凝視した。
「私、王国の皆様のために、毎日怖くて泣きながら神殿でお祈りをしているんですぅ。それなのに、私のお洋服はこんなにボロボロで(実際には超高額な新調ドレスである)、なんだか体が冷えちゃって……。ねえ、お姉様? その綺麗なお首飾り、私に譲ってくださいなぁ。本物の聖女である私が身につけた方が、きっとそのお石も喜ぶと思いますぅ……!」
何を言い出すかと思えば、大衆の面前、それも他国の皇宮の夜会で、皇帝が婚約者に贈った最高級の国宝級ジュエリーを「私にちょうだい」と甘えた声でおねだりし始めたのだ。
シーン、と大広間が凍りついた。
あまりの「常識のなさ」「乞食のような卑しさ」に、帝国の淑女たちは扇で顔を覆い、あからさまに軽蔑の視線をマリアに注いだ。
だが、レイナルドだけは「マリアのなんて健気なお願いなんだ!」と胸を打たれたように頷き、エリザベートを厳しく指差した。
「そうだ、エリザベート! マリアは国のために身を粉にして祈っているのだ! それに比べて、お前はその贅沢な宝飾品を泥棒のように抱え込んでいる。我が国の税金で買ったようなそのドレスも、今すぐその場で脱いでマリアに譲れ! それが、お前が犯した不実に対する最低限の免罪だ!」
――「今すぐその場でドレスを脱げ」。
淑女に対するこれ以上ない侮辱であり、国際問題に発展しかねない大暴言。
しかし、エリザベートは、ピクリとも眉を動かさなかった。
彼女はただ、手にしていた扇を優雅に広げ、極めて冷ややかに、哀れな虫けらを見るかのような瞳でマリアとレイナルドを見つめた。
「レイナルド殿下、ならびにマリア様」
エリザベートの澄んだ、しかし氷のように鋭い声が響く。
「まず、この『星涙のダイヤモンド』は、アウグスト公爵家のものでも、ましてやバルセーヌ王国のものでもありません。こちらは、ジュリアス陛下が私に『バルドル帝国の次期皇后』として、正式に贈ってくださった、帝国皇室の直系のみに許される家宝にございます。それを『譲れ』とおっしゃる意図は……我がバルドル帝国に対する、重大な主権侵害および宣戦布告と受け止めてよろしいのかしら?」
「え……っ?」
レイナルドの動きが止まった。
「な、何を大袈裟な! たかがネックレス一つで!」
「たかが、ではない」
それまで静観していた皇帝ジュリアスが、一歩前に出た。
その全身から放たれる圧倒的な覇気と、底冷えするような黄金の双眸が、レイナルドとマリアを射抜く。
「我が帝国が誇る次期皇后であり、ザクセン領を浄化した我が国の恩人を、大衆の前で不当に侮辱し、皇室の秘宝を要求する。……レイナルド・ド・バルセーヌ。貴様は我が帝国と『戦争』を始めたいと、そう言っているのだな?」
ジュリアスの地を這うような低い声に、レイナルドの背中に一気に氷水を浴びせられたような戦慄が走った。
隣にいるマリアも、あまりの威圧感に腰が抜けそうになり、がくがくと膝を震わせる。
「ひ、ひぃ……っ! で、殿下ぁ……、私、怖いですぅ……!」
マリアはいつものように被害者ぶってレイナルドの袖を掴むが、周囲を取り囲む帝国貴族たちの目は、もはや完全に「ゴミを見るそれ」だった。
「おねだりすれば何でも手に入ると思っている、卑しい泥棒猫め」
「あんな恥知らずな女が、我が国の至宝を欲しがるなど、片腹痛いわ」
冷酷な囁きが容赦なく浴びせかけられる。
自らの愚行が招いた、圧倒的な拒絶の空間。しかし、彼らの「地獄」は、まだ幕を開けたばかりだった。
(第10話へ続く)




