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無双する令嬢

バルドル帝国の帝都は、熱気に包まれていた。

 帝国東部に位置する広大な「ザクセン領」。ここは、肥沃な土地でありながらも、不規則に噴出する有毒な瘴気と、それに引き寄せられる魔獣の群れのせいで、長年にわたり開発が頓挫していた不毛の地であった。

 帝国の優秀な魔術師や開拓民が何年も挑み、そのたびに跳ね返されてきたその難攻不落の地に、今、劇的な変化が起きていた。

「素晴らしい……! なんという清らかな魔力なのだ!」

「瘴気が……消えていくぞ! 数年間も放置されていた大地が、息を吹き返していく!」

 ザクセン領の境界に集まった帝国貴族や魔導師たちは、目の前の光景に一様に言葉を失っていた。

 大地にぽつんと佇むのは、アウグスト公爵家の紋章が誇らしげに刺繍された、深い紫のドレスをまとった令嬢――エリザベートである。

 彼女は片手に、美しく輝く魔導杖を携えていた。

 その凛とした佇まいのまま、静かに呪文を口ずさむ。無駄のない、あまりにも流麗な魔力制御。

 エリザベートの放つ神聖な魔力は、大気中を流れる瘴気の「波長」を的確に見極め、それを完全に打ち消す逆位相の結界を、数キロメートルにわたって瞬時に構築していく。

「――『聖域展開サンクチュアリ・ヴェール』」

 エリザベートが杖をそっと地面に突いた瞬間、黄金の光の波が大地を駆け抜け、有毒な霧を瞬時に消し去った。後に残されたのは、瑞々しい草木の香りと、どこまでも澄み切った青空だけだった。

「信じられん……。これほど緻密で、これほど巨大な多重結界を、たった一人で、それも無詠唱に近い速度で展開するとは……!」

「我が国の最高魔導師でも、一週間は儀式を必要とする大魔術だぞ!」

 どよめく周囲をよそに、エリザベートはふぅ、と小さく息を吐き、額に浮かんだわずかな汗を絹のハンカチで拭った。

 すると、背後から力強い足音が近づき、彼女の腰にそっとたくましい腕が回された。

「実に見事だ、エリザベート。君はまた、我が国に奇跡をもたらしてくれたな」

 黄金の瞳を熱く輝かせた皇帝ジュリアスが、彼女を愛おしそうに抱き寄せた。

 衆目がある中での突然のスキンシップに、エリザベートの白い頬がほんのりと桜色に染まる。

「……ジュリアス陛下。皆が見ておりますわ。それから、これは奇跡などではありません。瘴気の周期と魔術式を数理的に分析し、最も効率の良い術式を組んだだけの、単なる『論理的アプローチ』にございます」

「ははは! そこが君の素晴らしいところだ。凡百の魔術師が『神への祈り』などという不確かなものに頼る中、君は自らの知性と技術で運命を切り開く。やはり君は、我が国に舞い降りた唯一無二の女神だ」

 ジュリアスはエリザベートの手を取り、その手の甲に熱い口づけを落とした。

 かつてバルセーヌ王国で、第二王子から「可愛げがない」「冷酷だ」と虐げられ、都合よく使われていた彼女の知性は、この帝国においては国を揺るがす「至宝」として扱われていた。

「エリザベート。我が帝国の臣民は、君のこの偉業に心から感謝している。……そして、私もだ。君を私の隣に迎えるためなら、私はどんな代償でも支払おう」

 ジュリアスの真摯な、そして隠そうともしない独占欲に満ちた眼差しに、エリザベートは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

 必要とされること。自分の努力と能力を、真っ当に評価してもらえること。それがこれほどまでに心地よく、救われるものだとは知らなかったのだ。

「……陛下がそこまでおっしゃってくださるのなら。私も、生涯をかけてあなたを支える覚悟を決めなければなりませんわね」

「! 今、何と言った?」

 ジュリアスが目を見開く。

「……二度は言いませんわ」

 悪戯っぽく微笑んで視線を逸らすエリザベート。

 ジュリアスは狂喜し、彼女をさらに強く抱きしめた。その様子を見ていた帝国の臣下たちは、「ついに陛下が、あの完璧な氷の令嬢の心を射止めたぞ!」と、盛大な拍手と歓声で二人を祝福したのだった。

 その頃。

 輝かしい光に満ちた帝国とは裏腹に、バルセーヌ王国は文字通り「暗雲」に包まれていた。

「マリア! 早く結界を何とかしろ!」

 王宮の魔導本堂。

 レイナルド第二王子の悲痛な叫びが響く中、マリアは魔導具の前で大号泣していた。

「う、ううう……っ! 殿下、無理ですぅ! この機械、さっきから真っ赤に光って、嫌な音ばかり出して、私をいじめるんですぅ!」

 マリアが指差す先にある結界魔導具は、激しく赤色に点滅し、不気味な警告音を鳴らし続けていた。

 それもそのはず。エリザベートが残していった『一ヶ月分の予備魔力』が、ついに本日、底を突いたのだ。

 魔導具に蓄積された魔力が切れた瞬間、王都を守っていた防壁はパリンと乾いた音を立てて砕け散った。

 それに呼応するように、王都のすぐ外に広がる「嘆きの森」から、凶暴な魔獣たちの群れが街へと押し寄せ始めたのだ。

「報告します! 王都北方の第二防衛線が突破されました! 魔獣『ヘルハウンド』の群れが、すでに一般市民の居住区に侵入しています!」

「南方の農村地帯も壊滅状態です! 早急に結界を再起動してください!」

 次々と飛び込んでくる騎士たちの悲痛な報告に、レイナルドは青ざめ、マリアの肩を激しく揺さぶった。

「マリア! お前は聖女だろう!? お前の光の魔力で、あの冷血女の魔導具くらい動かせるはずだ! 早く祈れ! お祈りをして魔力を流し込むんだ!」

「やってますぅ! さっきから『がんばれー、がんばれー』って、いーっぱいお祈りしてるのに、全然動かないんですぅ! これは全部、お姉様が仕掛けた呪いのせいです! 私、怖くて……もう魔法なんて使いたくありませんぅ!」

 マリアは耳を塞ぎ、地面にうずくまって泣き喚く。

 その様子を冷ややかな目で見ていた王宮魔導師団長のエドワードが、ついに怒りを爆発させた。

「――いい加減にしろ、このアマがッ!!」

「え……っ?」

 マリアが、涙で濡れた顔を驚きに引き攣らせて見上げる。

「魔導具は『お祈り』などで動くものではない! エリザベート様は、毎日数時間の瞑想で魔力を極限まで高め、正確無比な術式接続を維持し続けていたのだ! それを、何の努力も勉強もせず、ただ男に甘えることしか能のないお前が、お遊戯のような祈りで動かせるわけがないだろう!」

「な、何だと! エドワード、マリアに対して無礼だぞ!」

 レイナルドが割って入るが、エドワードはもう止まらなかった。

「無礼なのはどちらですか、殿下! あなたが『可愛げがない』と追い出したエリザベート様は、この国の命綱だった! 彼女を失ったツケが、今こうして国民の血となって流れているのです! この無能な泥棒猫を今すぐ退かせ、我が魔導師団の全魔力を結界に注ぎ込む! ……それでも、持ってもあと数日ですがね!」

 エドワードはマリアを突き飛ばすと、部下たちに指示を出して魔導具の応急処置に入った。

 突き飛ばされたマリアは、レイナルドの胸にしがみついて咽び泣く。

「ひ、ひどいですぅ……! あの人、私に乱暴しました! 殿下、私、お家に帰りたいですぅ……!」

「エドワード……! 貴様、僕の婚約者に何てことを……!」

 レイナルドはエドワードを睨みつけるが、押し寄せる魔獣の咆哮が、王宮の窓をビリビリと震わせる。

 自分たちが「お荷物」だと思って切り捨てた公爵令嬢が、どれほどの重荷をたった一人で背負っていたのか。

 そして、自分が「守ってあげたい」と選んだ女が、本当にただの「何もできないお荷物」だったという冷酷な現実が、バカ王子の首元に、じわりじわりと刃を突き立て始めていた。

(第6話へ続く)

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