33話 問いかけ
人殺し。
それは、一般的に言えば、悪だ。最悪の罪だ。
けど、ここ『Gnosis Online』はゲームだ。
ゲームにおいて、殺人なんてありふれたこと。いろんなゲームでわたしは数多のプレイヤーをキルしてきた。だって、ゲームにおいて、殺された人間はただログアウトするだけだし。
そして、『Gnosis Online』も、その点においては同様。
ナガクは、少しの間沈黙していた。
そして、コトン、とナイフを置き、低く冷徹な声で答えた。
「……わかりませぬ」
わたしの問いかけに、ナガクは、首をゆっくりと横に振った。
その声には、深い困惑と、自分自身さえ掴みきれていないような不安定さが滲んでいた。
「わからない?」
「はい。……今の私の中には、三つの『自分』が存在しています」
ナガクは、自身の短い指を見つめながら、独り言のように語り始めた。
「ここではない現実の私。ナガクとして一生を剣と暴力に捧げた私。そして今、主殿の前にいるぬいぐるみの私」
『ゲーム』という禁句を使えばノイズになるため、それらを避けつつナガクは説明する。
「……正直、異なる三人がひとつの器を共有しているようで、なかなか、どうしてもこれは不思議な感覚であります」
「……うん」
わたしは頷いた。
自分とはなにか、そういうはわたしたちが意識している以上に曖昧なものなのかもしれない。
「主殿に殺された時、私は困惑しました。まさか、それまで生きてきた数十年の人生が、すべて作り物……だったなどとは、死ぬ間際まで微塵も思わなかったのですから」
ナガクが、過去を――あるいは、前世を懐かしむように目を細める。
「現実の私は、どこにでもいる平凡な男でした。高度に発達した……『ピュピュア殿のような存在』に職業を奪われ、社会的な役割もなく、ただ配給される食事を摂り、娯楽に没頭するだけの日々」
AIという言葉が禁句だったからか、『ピュピュア殿のような存在』と言い直して説明する。
そして、彼の説明する現実はわたしの知っているそれとそう変わらない。
「一方、この世界の『ナガク』の一生は鮮烈でした。貧民街のドブ川で産湯を使い、生きるために盗み、剣を振るい、闇ギルドの一員として数多の悪事に手を染めた。えぇ、たくさんの人間を殺しました」
彼は淡々と語る。
けれど、そのクマの体は小刻みに震えていた。
「ナガクとして生きていた時は、疑問にすら思いませんでした。殺さなければ殺される、それが日常でしたから。……ですが、死して現実の記憶を取り戻した時、私は吐き気を催しました」
「吐き気?」
「ええ。現実の世界では、全てが『ピュピュア殿のような存在』に管理されたおかげで、犯罪という概念そのものが歴史の教科書の中にしか存在しないのです。そんな『清潔な世界』の倫理観を持つ私が、平気な顔で人の命を奪い、あくどいことをしていた。……自分が、理解不能な怪物のように思えたのです」
自分の中に潜む、残虐な他人。
その事実に戦慄する感覚は、想像に難くない。
けれど、ナガクはそこで顔を上げた。
その瞳には、恐怖ではなく、奇妙な納得の色が浮かんでいた。
「しかし、同時に思ったのです。『仮想の人生だと思えば、そう悪くない人生だった』と」
「……えっ?」
「主殿も、小説をご覧になるでしょう? そこには、冷酷な殺人鬼や、戦争の英雄が登場する。人間というのは、心のどこかで『悪』や『暴力』に憧れるものです」
ナガクは、夜空を見上げた。
「現実の私がナガクとしての人生を歩んだのは、小説の中の悪役に感情移入するのと、そう変わらないのではないか。ただ、それをよりリアルに、痛みや臭いまで伴って『追体験』したに過ぎないのではないか、と」
物語の中の悪党を見て、「かっこいい」と思う感情。
それを、自分の人生として体験しただけ。
そう思えば、罪悪感なんてエンターテインメントの一部に変わる。
「そう自分を納得させた時でした。……主殿から、あのメッセージが届いたのは」
ナガクは、懐かしむように自身の胸に手を当てた。
魂の奥底に刻まれた、蘇生の誘い。
「『もう一度、参加しますか?』……と」
ナガクは、夜空に浮かぶ二つの月を見上げながら、ポツリと漏らした。
「なぜ、参加したのか。……一言で申し上げるのは、難しいことですな」
彼は短い腕を組み、ぬいぐるみの体を少し揺らした。
「ですが、あえて言うならば……やはり退屈なんですよ。あの、完璧に管理された清潔な現実が」
ナガクの言葉に、わたしは黙って耳を傾ける。
「あちらの世界では、個の存在など無価値に等しい。人間がいようがいまいが、世界は『ピュピュア殿のような存在』によって滞りなく運営されていく。私一人が消えたところで、社会の歯車ひとつ狂わない」
それは、わたしも知っている感覚だ。
すべてが最適化された世界。失敗もしない代わりに、成功の喜びもない。ただ生かされているだけの飼育小屋。
「それならば……誰かを助ける盾になれる、誰かの剣として必要とされる。そんな『役割』があるこの世界の方が、私にとってはよほど生きている実感が湧くのです」
ナガクは、つぶらなガラス玉の瞳をわたしに向けた。
「ゆえに、私は帰ってまいりました。主殿という、仕えるべき主を見つけたこの場所に」
その言葉には、迷いがない。
彼は自分の意志で、この地獄を選んだのだ。
「あぁ、それと……」
ナガクは、少し言いにくそうに言葉を継いだ。
「蘇生の直前、あの騒がしいピュピュア殿から、釘を刺されましてな」
「釘?」
「ハッ。『眷属としての蘇生は、特別なペナルティ付きですよぉ!』と」
うわぁ、脳内再生余裕なあの甲高い声が聞こえてくるようだ。
「なんでも、主殿のような『救世主』の眷属となった者は、この世界で死んでも現実には戻れない。意識のないまま保留されるそうで」
「……うん」
「そして、もし主殿たち7人……いや、今は6人の救世主たちが全滅し、ミッションが失敗に終われば……我々眷属もまた、運命を共にし、『人格を完全に破壊される』とのこと」
わたしは息を呑んだ。
つまり、こういうことだ。
この世界のプレイヤーは通常、死ねばログアウトしてもとの世界に戻れる。
しかし、眷属になった彼らは、死んでもログアウト不能のままダイブポッドの中で囚われる。そして、わたしを含む救世主たち全員が死ねば、彼らも道連れで人格破壊。
「我々が解放される条件はただ一つ。ラスボスが倒され、この世界が『クリア』された時のみ」
ナガクは、重い事実を淡々と告げた。
わたしの背負っているものの重さが、また少し増えた気がする。1億人の人質に加えて、わたしの手で蘇らせた彼らの命まで、この小さな双肩にかかっているわけだ。
「……そっか」
わたしは短く呟き、ベッドの上で膝を抱えた。
「だから、主殿の問い……『人殺しが悪か』という問いへの答えは、わかりませぬ。ですが、これだけは言えます。我々はもう、前に進むしかないのです」
ナガクの言葉は力強かった。
けれど、わたしの胸の奥にある、冷たい塊のような懸念は消えない。
わたしは顔を上げ、ナガクをじっと見つめた。
「ねえ、ナガク」
「はっ」
「わたしたちって、これから闇ギルドの人たちを殺しに行くでしょ? 彼らは悪党だから、殺してもいい。……今のところは、そういう『理由』があるから、わたしも割り切ってる」
わたしは、自分の白い掌を見つめた。
まだ小さい、子供の手。
けれど、この手はすでに二桁の命を奪っている。
「でも、それは甘い考えなのかもしれない」
この世界は、レベルがすべてだ。
レベル400を超える化け物を平気で殺す化け物がいるこの世界で生き残るためには、手段を選んでいられない時が来るかもしれない。
「もし……いつか、もっと強くなるために、『善良な人』を殺さなきゃいけない時が来たら?」
わたしは、震える声で問いかけた。
「何の罪もない村人とか、優しい商人とか……そういう人たちを、ただ経験値のためだけに殺す時が来たら……ナガクは、わたしのことを軽蔑する?」
戦士としての誇りを持つ彼のことだ。
悪党を斬るのは正義でも、無辜の民を虐殺するのは外道だと、剣を向けてくるかもしれない。




