32話 インフレ
『はい! えー、単刀直入に申し上げますとぉ……』
突然現れたピュピュアは、まるで明日の天気を告げるような軽さで、とんでもないことを口にした。
『救世主様が、お一人、死んじゃいました!』
「…………は?」
時が止まる。
死んだ? 救世主が?
『ですからぁ、アリス様を含めた残りの希望は、あと6人ってことですね! いやぁ、残念残念! 一億人全滅へのカウントダウン、一歩前進でーす!』
ピュピュアは、クラッカーを鳴らすようなジェスチャーをしてケラケラと笑った。
……ふーん。
わたしは、驚くよりも先に、冷めた感情を抱いた。
「……あっそ。まあ、弱い奴から死ぬのは当然の摂理だよね」
わたしは肩をすくめた。
顔も知らない誰かが死んだところで、わたしの心が痛むわけがない。
『おやおやぁ? 随分と余裕ですねぇ』
ピュピュアが、ニヤニヤしながら私の顔を覗き込む。
『仲間が減ったんですよ? 恐怖とか、焦りとかないんですかぁ?』
「別に?」
わたしは鼻で笑い飛ばしてやった。
そして、とびきりのドヤ顔で言い放つ。
「だってわたし、もうレベル50だし」
そう。
レベル50。
この世界の平均レベルを遥かに超え、一流の騎士にすら匹敵するレベル。
それを、わずか数日で手に入れたのだ。
さらに、手元にはレベル64の最強の眷属もいるし。
「あなたがくれた最強スキルのおかげで、ヌルゲーすぎてあくびが出るくらいよ。誰が死のうが関係ないかな。わたし一人でも余裕でクリアしてあげるから」
わたしは腕組みをして、ふんぞり返った。
今のわたしに死角はないね。
このペースでいけば、ラスボスなんてワンパンで沈められるはずだ。
『なるほどなるほどぉ! 順調そうでなによりですぅ!』
ピュピュアはパチパチと手を叩いた。
けれど、その目は笑っていない。
まるで、何も知らない無知な子供を嘲笑うような、底意地の悪い光を宿している。
『でもぉ……本当に、その程度で大丈夫ですかねぇ?』
「……何が言いたいの」
『いえいえ! アリス様の自信満々なそのお顔、とっても素敵だなぁって思いまして!』
ピュピュアは指をチッチッと振った。
『んー、そうです! せっかくですから、運営からの特別サービス! ヒントをあげちゃいましょう!』
「ヒント?」
『はい! その、亡くなられた救世主様のデータを、特別に公開しちゃいますね!』
ピュピュアが指を鳴らすと、空中に真っ赤なウィンドウが展開された。
【死亡者データ】
・名前:ゼッカ・レイヴン【救世主】
・所持スキル:【狂戦士の加護】
・死亡時レベル:【413】
・死因:理外の三喰獣の一角、『星を喰らう大顎』による捕食
「…………」
は?
わたしは、自分の目を疑った。
見間違い? バグ?
レベル、413?
今のわたしの……約、8倍以上?
狂戦士? わたしの『殺人者の加護』と同様、ピュピュアが与えた最強のスキルよね?
三喰獣? 星を喰らう? なにそれ?
『あはっ! いい顔! アリス様、最高の表情ですよぉ!』
ピュピュアが、凍りついたわたしの顔を見て、歓喜の声を上げる。
『このゼッカさん、超・努力家だったんですよぉ。「俺がみなを助ける」なんて言って、寝る間も惜しんでレベルを三桁まで上げてたんです。すごいでしょぉ?』
「……だったら、なんで」
わたしの声が、震えた。
「なんで、死んだのよ。レベル413なんでしょ!? 負けるわけないじゃない!」
そう。
レベル80で英雄と呼ばれるこの世界。そもそもレベルが三桁目もあること自体が知られていない。
だからこそ、最強。
負けるはずがない。
ピュピュアは、残酷な現実をあっさりと告げた。
『負けますよぉ? だって、たかがこの程度のレベルではねぇ』
彼女はクスクスと笑い、そして爆弾のような一言を投下した。
『あ、ちなみに言っておきますけどぉ……』
「……なによ」
『その「星を喰らう大顎」ちゃん、ラスボス様よりもずっとずーっと【格下】ですからね?』
「…………は?」
思考が、完全に停止した。
『ラスボス様から見れば、その程度の獣なんて、庭で飼ってるペットの犬みたいなものですぅ! レベル400程度じゃあ、番犬にすら勝てないってことですねぇ!』
――ドクン。
心臓が、嫌な音を立てた。
レベル50。
この世界ではそれなりに強いと思っていた数字が、急にちっぽけで、ミジンコ以下のゴミみたいな数字に見えてくる。
レベル413ですら、番犬のエサ?
ラスボスは、そのさらに上?
インフレってレベルじゃない。これは、ただの理不尽だ。
『ま、精々がんばってレベル上げしてくださいませ! このままだと、アリス様もすぐに「おやつ」になっちゃいますからねぇ! あははははははははッ!!』
高笑いを残して、ピュピュアの姿がかき消える。
後に残されたのは、静寂と――底知れぬ絶望感だけ。
「…………ふざけるな」
わたしは、震える手で拳を握りしめた。
あくびが出る? ヌルゲー?
どの口が言ったんだ、わたしは。
レベル413が、餌食になる世界。
今のわたしなんて、存在していないのと変わらないじゃないか。
隣で、ナガクが心配そうに私を見上げている。
クマのぬいぐるみの彼もまた、その情報の異常さに言葉を失っている。
「ねえ、ナガク」
「ハッ」
わたしは震える手をぎゅっと握りしめ、背後のぬいぐるみに問いかけた。
それは、ふと湧き上がった、根源的な疑問。
「わたしにとって、人殺しって……悪いことなのかな?」




