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25話 寝不足

 ――ヒュンッ。


 わずかな風切り音と共に、わたしは自室の窓枠に音もなく着地した。

 背後には、まだ夜明け前の藍色の空が広がっている。

 わたしは素早く部屋の中へと滑り込み、窓を閉めて鍵をかけた。


「……ふぅ。ミッション・コンプリート……」


 誰にともなく呟き、安堵の息を吐く。

 途端に、鉛のような重みが全身にのしかかってきた。

 流石に、幼女の体に深夜の長距離移動や連続戦闘はキツすぎた。

 瞼が、物理的に重い。

 わたしはフラフラと千鳥足で歩きながら、身につけていた装備を解除していく。


 URの【空踏みの革靴エアリアル・ウォーカー】を脱ぎ捨てて黒い外套と共にクローゼットの隠し棚に放り込む。

 返り血の一滴もついていないパジャマ姿に戻ると、わたしはそのままベッドへとダイブした。


 ――ボフッ!


 最高級の羽毛布団が、優しくわたしを受け止めてくれる。

 ああ、幸せ。

 さっきまで、血と臓物の臭いが充満する倉庫で、男たちの首を刎ね飛ばしていたなんて信じられないくらいの平和な世界だ。

 わたしは枕に顔を埋め、泥のように意識を手放した。


 明日、この国が大騒ぎになるのは確定事項だ。

 でも、知ーらない。

 今のわたしは、ただの「寝不足の六歳児」なんだから。



 ◆◇◆



 チュン、チュン、チュン……。


 小鳥のさえずりが、遠くで聞こえる。

 朝だ。

 忌々しくも、平等に訪れる朝が来てしまった。


「……んぅ……」


 わたしは抗議の声を上げ、布団を頭まで被る。

 まだ眠い……。

 あと五時間、いや半日は寝ていたいかも。昨日の活動時間は明らかに児童労働の基準を超えている。

 けれど、容赦ない「朝の使者」は、いつものように時間通りにやってきた。


 ――コンコン、ガチャリ。


「おはようございます、アリスお嬢様。朝ですよ」


 カーテンが開け放たれ、暴力的なまでの朝陽が部屋に差し込む。

 まぶしい。

 わたしは「うぅー」と唸り声をあげて、のろのろと布団から這い出した。


「……ふぁ……おはよぉ……」


 あくび。

 涙目で、こしこしと目をこする。

 髪はボサボサで爆発してるし、パジャマのボタンも一個掛け違えているかもしれない。公爵令嬢としての威厳なんて、欠片もない状態だ。


「…………ッ!!」


 なぜか、目の前にいるセーラが、胸を押さえてプルプルと震えていた。その顔は真っ赤で、鼻血が出る寸前で食い止めているような、壮絶な表情をしている。


「……セーラ? どしたの?」


 わたしはまだ回らない舌で、首をコテンと傾けて尋ねた。

 すると、セーラは「ふぐぅっ!」と奇妙な声を漏らし、その場に崩れ落ちた。


「あ、アリスお嬢様……っ! その、とろんとしたお目目……! 無防備な寝癖……! そして、舌足らずな『おはよぉ』……ッ!」


 彼女は床に手をつき、荒い息を吐きながらわたしを見上げる。


「破壊力が高すぎます……! これぞ、無防備という名の最強の兵器! まさに至高の芸術……ッ!」


 なんで、この人は朝からこんなにもテンションが高いんだろ。

 まぁ、寝ぼけているわたしがとっても愛らしいのはわかるんだけどね……。


「セーラ、おきがえ……」


 両手をだらりと上げて、お着替え要請。

 するとセーラは「は、はいっ! ただいま!」と弾かれたように立ち上がり、目にも止まらぬ早業でドレスを用意し始めた。


 ふあぁ……。あくびが止まらない。

 着替えさせられながら、わたしは船を漕ぐようにカックンカックンと頭を揺らす。

 それをセーラが「ああ、なんて愛らしい……」と呟きながら支えてくれていた。



◆◇◆



 着替えを終えたわたしは、顔を洗って少しだけ目を覚ましてから、食堂へと向かった。


 いつもなら、この時間は屋敷中が優雅な空気に包まれているはずだ。けれど今日は、廊下を歩く使用人たちの足取りが、どこか慌ただしい。


 すれ違うメイドたちが、不安そうにヒソヒソと話しているのが聞こえる。


「……緊急の伝令が……」


「……王宮から……」


 おや? わたしは、とぼけた顔で歩きながら、内心で小さくガッツポーズをした。

 どうやら、昨夜わたしが置いてきた「プレゼント」が、無事に届いたみたいだね。


 食堂の重厚な扉が開かれる。

 そこには、いつも通り朝食が並べられた長いテーブルがあった。


 でも。


「あれ……?」


 わたしは、入り口で足を止めた。

 広い食堂に、人の気配がない。

 いつもなら、わたしが部屋に入った瞬間、「アリス! おはよう!」と親バカ全開で抱きついてくる父様も、優しく微笑む母様もいない。


 あるのは、主のいない二つの空席だけ。


「お父様と、お母様は?」


 わたしは振り返って、セーラに尋ねた。

 セーラは一瞬、言い淀むように視線を逸らしたが、すぐにプロの微笑みを浮かべて跪いた。


「旦那様と奥様は、少し急用が入ってしまわれたようです。今朝未明に、王宮からの緊急招集がありまして……」


「王宮から?」


「はい。ですので、今朝はお一人でのお食事となります。……寂しいですか?」


 セーラが心配そうにわたしの顔を覗き込む。

 普通なら、ここで「やだぁ! パパとママと一緒がいい!」と駄々をこねるのが、六歳児の正解なのかな……。

 王宮からの呼び出しの理由なんて、考えるまでもない。


 第三王子怪死事件。

 そして現場に残された、生意気な血文字。


 そりゃあ、国中の大貴族が叩き起こされて、朝から王城に呼び出されるわけだ。

 お父様が、青い顔をして会議室へ走っている姿が目に浮かぶ。

 パパ、かわいそう。

 まさかその元凶が、自分の家でのんきにパンを齧っている愛娘だなんて、夢にも思わないだろうけど。


「ううん、へいき!」


 わたしは、寂しさを我慢する健気な少女を演じて、首を振ってみせた。


「お父様もお母様も、お仕事がんばってるんだもんね。アリス、いい子でごはんたべる!」


「あう……なんて立派な……っ!」


 セーラがまたしても感動で目を潤ませている。

 わたしはトコトコと自分の席に向かい、ちょこんと座った。


 今日のメニューは、シンプルだ。

 厚切りのバタートーストに、温かいコーンスープ。そして新鮮なミルク。お父様たちがいないから、手早く済ませられるメニューになったのかな。


「いただきまーす!」


 わたしは、トーストを両手で持ち、サクッとかじりついた。

 バターの香ばしい匂いと、じゅわりと染み出す塩気。


 おいしい。

 昨日の「お仕事」の成果が、最高のスパイスになってる気がする。


 わたしはモグモグと頬を膨らませ、足をパタパタさせながら、頭の中で昨日のことを思い浮かべた。


 そういえば。

 昨日、レベルアップのどさくさに紛れて、大事なログが流れていたような気がする。


 セーラがスープのおかわりを取りに行っている隙に、わたしはこっそりとウィンドウを展開した。


「……ステータス・オープン」


 小声で唱える。

 半透明の青い画面が、スープ皿の上に浮かび上がる。


 すると。


 ――バチチチッ!


「……っ!?」


 突然、ウィンドウが赤黒いノイズに包まれた。

 警告音とは違う、もっと重厚で、何か重大なイベントの始まりを告げるようなファンファーレが脳内に響く。


 画面の中央、いつもなら【殺人鬼の加護】と書かれている場所に、激しく明滅するメッセージウィンドウが被さっていた。


【条件達成を確認:新たな権能の解放可能です】

【解放させますか? YES / NO】


「……おぉっ!」


 わたしはトーストをくわえたまま、思わず身を乗り出した。

 権能、解放!

 これほど、ゲーマーの心を刺激する単語もないよね。


「もちろん……問答無用でイエスだよね!」


 わたしは迷わず、空中に浮かぶ『YES』のボタンを、人差し指で力強くタップした。


 ――ギュイイイイイイン……!


 効果音と共に、画面上の文字が渦を巻くように歪み、光の粒子となって再構築されていく。 『殺人鬼』という文字が激しく明滅する。

 そして。

 その下に、禍々しくも甘美な、新たな項目が追加された。


【権能解放!】

【獲得権能:死霊の傀儡(ネクロ・マリオネット)


「……ねくろ、まりおねっと?」


 その不穏な響きに、わたしは思わず生唾を飲み込んだ。

 これ、絶対にとんでもないやつだ。

 わたしは震える指で、その詳細画面を開こうとした。









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