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17話 死神少女の深夜徘徊

 ――ヒュオオオオオッ!


 耳元で風が唸る。

 視界の端を、夜の帳に沈んだ麦畑が黒い奔流となって後方へと流れ去っていく。


 速い。

 あまりにも、速すぎる。


「……んーっ! 最高っ!」


 わたしはドクロの仮面の下で、歓喜の声を漏らした。


 公爵家の屋敷から、領都オーベニールまでは、馬車でおよそ一時間の距離がある。

 整備された街道を通ってその時間だ。ましてや、六歳の子供の足で歩けば半日はかかる道のりだろう。


 けれど、今のわたしにとって、距離という概念はもはや無意味に等しい。


 タァンッ!


 地面を蹴るたびに、ブーツの底から圧縮された風が炸裂する。

 その推進力は、わたしを砲弾のように前方へと射出する。


 一歩で十メートル。

 全力で踏み込めば、二十メートルは軽く宙を舞う。


 まるで重力という枷が外れたかのような、圧倒的な浮遊感。

 これが、UR装備【空踏みの革靴エアリアル・ウォーカー】の性能か。


 消費魔力は、相変わらず誤差レベル。

 燃費よし、加速よし、静音性よし。

 風の精霊王さん、いい仕事しすぎだよ。ありがとう、感謝して使い倒してあげるね。


 わたしは、夜風を全身で浴びながら、街道を外れた荒野を一直線に突っ切った。

 障害物? 関係ない。

 目の前に小高い丘が現れれば、風を噴射して跳躍し、その頂点を軽やかに踏んでさらに加速するだけだ。


 気分は、そうね。

 オープンワールドのRPGで、移動速度アップのチートコードを入力して、マップを縦横無尽に駆け回っている時のあの全能感に近いかな。


「馬車で一時間のところを……うん、これなら三十分もかからないね」


 懐中時計を確認するまでもない。

 遥か彼方に小さく見えていたオーベニールの街明かりが、みるみるうちに視界いっぱいに広がっていくのがわかる。


 巨大な城壁に囲まれた、石造りの要塞都市。

 昼間はあんなに賑やかだった色彩の街も、今は静寂と闇に沈み、所々に灯る街灯の明かりだけが、まるで宝石箱をひっくり返したように煌めいている。


「さてと……ここからが本番だね」


 わたしは速度を緩めることなく、城壁に向かって突っ込んだ。


 正面の城門は当然、閉ざされている。

 松明の明かりの下、二人の門番が欠伸を噛み殺しながら立っているのが見えた。


 普通の侵入者なら、ここで足止めを食らうか、危険を冒して検問を突破しようとする場面だ。

 でも、わたしは無敵。

 そんな正面突破みたいな無粋な真似はしない。


「――ジャンプ」


 城壁の手前、五十メートル。

 わたしは助走の勢いを乗せて、大地を思い切り踏み抜いた。


 ドォォンッ!


 足元で爆風が渦を巻く。

 身体が、真上に弾かれたように高く、高く舞い上がる。


 10メートル、20メートル……。

 城壁の高さを軽々と超え、わたしは夜空の頂点へと到達した。


 眼下に見えるのは、豆粒のような門番たちの頭と、それに気づくことのない無防備な背中。

 【完全消音】の効果で、爆風の音すら彼らの耳には届いていない。


「お邪魔しまーす」


 わたしは空中でくるりと一回転し、重力に身を任せて落下を開始する。

 狙うのは、城壁の内側。

 人気のない、暗い倉庫街の屋根の上だ。


 ヒュンッ。

 風を切り裂き、屋根瓦へと着地する寸前、足裏から逆噴射。


 ――トンッ。


 音もなく。

 猫が塀に降り立つよりも静かに、わたしはオーベニールの街へと舞い降りた。


 誰にも気づかれない。

 誰も見上げていない。

 この完璧なステルス・イン。


「ふふん。チョロいもんだね」


 わたしはドクロの仮面の下で、ニヤリと唇を吊り上げた。

 月明かりを背に、屋根の上で片膝をついて着地を決める黒衣の幼女。

 うん、鏡がないのが残念だけど、今のわたしは間違いなく映画のポスター並みに決まってるはずだ。


 わたしは立ち上がり、眼下に広がる街を見下ろした。

 昼間は活気に満ちていた大通りも、今は静まり返っている。

 だが、それは表の顔だ。


 ゲーマーの勘が告げている。

 平和な街の皮を被ったこの場所にも、必ず「夜の顔」があるはずだと。

 プレイヤーたちの欲望が渦巻く、法も秩序も届かない掃き溜めが。


「さあて……狩りの時間だよ」


 わたしは左目の【鑑定の片眼鏡(アプレイザル・グラス)】の位置を調整し、仮面の奥で目を光らせた。


 探すのは、ただの雑魚じゃない。

 わたしのレベル27というステータスを、さらに高みへと押し上げてくれる極上の「経験値エサ」。

 それと、殺しても心が痛まない、真っ黒な悪党がいい。


 わたしは屋根から屋根へと、影のように跳躍を開始した。

亡霊の仮面(ファントム・マスク)】の効果で、夜の街並みが真昼のように鮮明に見える。

 路地裏で酒盛りをする酔っ払い。

 娼館の前に立つ客引き。

 巡回する衛兵の列。


 それらを次々と鑑定し、スルーしていく。


 レベル12……ただの市民かな。パス。

 レベル18……冒険者崩れ? でも善良そうだしパス。

 レベル25……おっ、衛兵隊長かな? 強いけど、公爵令嬢の立場で正義の味方を狩るわけにはいかないしねぇ。


 選別作業は、まるでスーパーで新鮮な野菜を選ぶような手際で行われた。

 屋根の上を音もなく走り抜けながら、眼下の「群衆」を品定めする。


 そして、港に近い倉庫街の一角に差し掛かった時だった。


 ――ん?


 わたしの足が止まる。


 そこは、堅牢な城壁の下をくぐり、街を南北に貫く巨大運河の荷揚げ場だ。

 昼間は外海からの交易船が行き交う物流の大動脈。けれど夜になり、巨大な水門が閉じられれば、そこは監視の目が届きにくい空間になる。


 寂れた倉庫の前。明かりもついていないはずの場所に、数台の馬車が停まっている。

 そして、その周囲を警戒するように見回す、複数の男たちの姿。


 わたしは屋根の陰に身を潜め、片眼鏡の焦点を絞った。レンズ越しに、男たちの頭上に赤い数字が浮かび上がる。


『Lv27』


『Lv28』


「……ほうほう」


 わたしの口元が、三日月形に裂ける。


 レベル20代後半。

 この数値は、普通のゴロツキやチンピラにしては高い。熟練の冒険者に匹敵する強さだ。


 そんな実力者たちが、なぜこんな夜更けに、人目を避けるように寂れた倉庫を見張っているのかな?

 しかも、彼らの腰にあるのは実戦で使い込まれた長剣。その立ち居振る舞いには独特の殺気が漂っている。


 倉庫の中からは、何かを搬入しているような重い音が響いてくる。


 そういえば、いつだったか。

 屋敷の騎士たちが、深刻そうな顔で話しているのを小耳に挟んだような気がする。


『最近、港の方で怪しい人たちが出入りしているとの目撃情報があるみたいだな』


『なんでも、闇ギルドの人たちが、悪い取引をしているとか……』


 ふーん、闇ギルド、ねぇ。


 念のために、確認してみようか。

 わたしは懐から、こんなこともあろうかと屋敷から拝借しておいた、携帯用の小型望遠鏡を取り出した。

 倍率を調整し、警備をしている男の一人に焦点を合わせる。

 

 男が松明の明かりの下で汗を拭う。

 その瞬間。まくり上げられた袖の下、二の腕の内側に「それ」が見えた。


「鍵穴」の形をした、不気味な刺青。

 以前、セーラが話していたことがある。

『もし、鍵穴の入れ墨の人がいたら、絶対に近づいてはいけませんよ。彼らは有名な闇ギルドの一員なので』って。 


「ラッキー」


 わたしは唇を釣り上げる。

 つまり、こんなにも簡単に闇ギルドの構成員を見つけられるなんて。

 闇ギルドってことは、殺しても心が傷まない、わたしに捧げられるべき素敵な経験値たちってことだよね。


「あははっ、経験値の宝庫見ぃつけた」


 わたしは、ベルトに差したダガーナイフの柄を、愛おしげに撫でた。


 レベル27の死神少女、アリスちゃん。

 これより、悪党どもの殲滅を開始する。


 わたしは音もなく屋根を蹴り、獲物たちの頭上へと躍り出た。月を背負ったその影が、死の宣告となって彼らの足元に落ちる、そのときまで。


 あと数秒――。









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