第45石 化け物
あの後、如月は糸が切れた様に倒れた。放っておくこともできなかったので、今は俺が背負っている。
家までの道中、普段だったら人通りの多い道を通ったが、誰1人として目を開けていなかった。車の運転手も例外ではない。遠方では煙も昇っている。
人間がいながら静かな街が、異様に気味が悪い。
家にたどり着き、鍵を開ける。寝室のベッドに如月を寝かせ一息つく。
ここまでの被害だと、古文書のせいなのかどうかさえ疑わしくなる。俺だけがどうにもなっていないのも不自然だ。
確認の前にタイヨウだ。
寝室を出、いつも食事をするリビングに行く。リビングに入る前に気がついたが、物音が聞こえる。
キッチンから……?
同じ状況ならば、人間が動ける筈が無いんだ。だとすれば、中にいるのが犯人である可能性も……。
身構え、緊張感を高める。扉をゆっくりと開け、中を覗き込む。
「…………タイヨウ……?」
怯えた表情で包丁を握り締めるのは、タイヨウだった。
「お前……なんで……」
「来ないで!!」
なんで起きていると聞こうとしたところで、タイヨウが叫ぶ。声は裏返り、包丁をこちらに向ける手は震えている。
「どうしたんだよ……何かあったのか?」
「何かあったのかって……あなたが、あなたが、皆を殺したの!?」
「……は?」
何か混乱しているらしく、タイヨウは呼吸を荒げて、手の震えは増すばかりだ。
「ちょっと待て。皆って……何のことだ?」
「外の皆!! あなたが殺したんでしょ!? 来ないで! 来ないでよ!!」
タイヨウは、目から涙まで流して叫び続ける。その目に映るのは、純粋な恐怖。それも、俺に対する。
「落ち着けよ。俺が意味も無く人殺しなんてするわけがないだろ」
「あなたのことなんて知らない!!!」
何て、言った…………?
俺のことを知らない……?
下校中の如月や、WARO日本支部に出向いた時のことを思い出す。
俺に関する記憶の喪失。
タイヨウもその影響は受けていたらしい。だが、どうして眠ってはいない……? 人によって被害の度合いが異なる?
思わずその場で考え込んでいると、タイヨウの震える声が再び聞こえる。
「出てって……出てってよ!! 出てけ!! 出てけ!!」
殆ど錯乱してしまっているタイヨウが、白い髪を振り乱して絶叫する。このままだと刺されかねない。一旦退散するか。
「分かった! 分かったよ……もう来ないから…………寝室に女の子を寝かせてあるが、眠ってるだけだ。心配なら後で確認してみろ」
タイヨウなら危害は加えないだろうと思い、特に忠告はしなかった。
ちゃんと聞こえているだろうか。そんな心配をしてしまう程にタイヨウは取り乱している。
「いいから出てってよ!! この……化け物!! 人殺し!!」
化け物。その言葉が、やけにしっくりときたように感じた。
──半ばタイヨウに追い出される形で家を出てきたが、思ったよりもショックは薄い。身の回りの不幸を古文書のせいにするのが癖になりつつあるが、良いこともあるものだ。
しかし、思ったよりも事態が深刻になってきた。俺についての記憶だけでなく、意識そのものが奪われてしまう。如月の気を失う前の発言から察するに、消えた記憶は俺のことだけに留まらない。
何か手がかりは無いものかと、再びWARO日本支部を訪れる。案の定、中にいる人間は皆地面に横たわり、身動きひとつしない。
研究員の手元の書類に目を通すが、これと言って役立ちそうな資料は無い。
「驚いたな」
声がした方を振り返り、身構える。低く落ち着いた声の主は、『普通』でしかない男だった。見た目が普通であるが故に、その男の存在は俺の記憶に深く刻まれていた。
「精霊と深い関わりがあるのは確かなようだ」
気配も前触れも無く遊園地を静寂に包んだ男。
「だが、器としての自覚は無いらしい。残念だ」
『忘却』を司る石を宿した男。




