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第29石 五里霧中

 『半顔』の手から抜け出した如月は、大きな溜め息をつくと地面にへたりこんだ。


「し、死ぬかと思った……おい立花! 考えがあると言っていたが、大した考えじゃなかっ……」


「なあ如月ぃ……」


「ひっ」


 できるだけ怒った声で如月を呼ぶ。良かった良かった。ちゃんと怒られる心当たりはあるんだな。


「下がってろっつったよなあ? 邪魔だっつったよなあ?」


「わ、私だって役に……」


「つったよなあ?」


「以前お前は私に助けを求め……」


「つったよなあ?」


「立花が壊れた!?」


 なんとか言い聞かせようとしていると、横槍が入る。


「まあまあ立花先輩。如月先輩のお陰で生きてるみたいなところありますし、今はこのへんで」


「そ、そうだそうだ!」


「……チッ」


 事実なだけに下手なことが言えない。それに、まだやることが残っている。


「雲川、タイヨウを追う。場所教えろ」


「おい立花! その怪我で行くつもりか!?」


「あ? ……ああ」


 そういえば、右腕の肘と右目が使い物にならない。今更思い出したが、あまり心配はしていない。確かフェルギフと戦った時、無意識にだが回復したはずだ。


「可能だ。が……」


 心の声に応じる"夜"。

 だったら早くやってくれ。


「……肉体の再生はそれなりの"対価"を必要とするぞ」


 いいから早くしろ。時間が無い。


「……後悔するなよ」


 右腕に違和感を覚えて見てみると、右腕が黒いもやに包まれてみるみる人間らしい形に戻っていく。右目にもじわりと温かさを感じ、視界が広くなる。少し眩しいが、問題は無い。


「怪我は治った。行く」


「私も……」


「今度こそ足手まといだ。帰れ」


「嫌だ!!」


 耳元で大声を出され、頭がクラクラする。


「嫌だってお前……子供じゃねえんだから……」


「私はお前の友達だ!」


 すぐに反論しようとして、声が詰まる。俺の目を真っ直ぐに見て放たれた言葉と、その真っ直ぐな目に、声を出すことを封じられるような錯覚を覚える。

 くそっ……この目だ。強い強い光を持った目。この目に見つめられると、何も言えなくなる。タイヨウも度々こんな目をして俺を困らせる。


「何度言わせるんだこのバカ! 協力させろと言っただろう!」


「バカってお前な」


「時間が無いんだろう。早く行くぞ立花! 雲川さん!」


 もはや聞き入れる気は無いらしく、やや怒りながら声を張り上げる如月に、溜め息が漏れる。雲川を見ると、いつもの微笑のまま肩をすくめてきた。まあ俺も、こうなった如月を止められる自信は皆無だ。


「わかったよ……ちょっと待ってろ」


 怒りで興奮する如月を雲川に見ているよう頼み、家の中で唖然としているであろう一条をひとまず自宅に帰そうと思い家に戻る。男の襲撃から5分も経っていないだろうか。


「おい一条、事情は今度……一条?」


 いない。勉強の形跡が残るテーブルの周りにも、キッチンにも、トイレにも、どこにも一条の姿は無かった。それに、一条の荷物は一切残っていない。帰ったのか? あの状況で? だが、家の中の様子を見る限りそうとしか考えにくい。


「立花ぁ!! 早くしろ!!」


「立花せんぱーい、如月先輩がもう限界でーす」


 一抹の不安を抱えたまま、俺は家を後にした。



 ──「なんかおかしくないか?」


「はっ、はっ、ん? なにがだ?」


 雲川の"水の古文書(アーカイブ)"を頼りにタイヨウを追う俺達だが、どうにも納得いかないところがある。


「なんで如月は走ってるんだ」


 接続者(コネクター)である雲川が俺の背におぶさっているのにも関わらず、如月が俺の横を並走している。俺は雲川を背負っているとはいえ、古文書を使っている。それと並走するっていうのは、言うなれば車やバイクと並走しているのと同じなんだが……普通疑問に思わないか?


「いやあ、如月先輩ですし」


「また、戦闘になるだろうからな。軽い、ウォーミングアップだ」


 如月の言っていることは意味不明だが、雲川の言葉で何故か納得してしまった。気持ちの整理がついて、随分気持ちに余裕が出てきたところで、雲川が柄にもなく大声を上げる。


「……え? は!?」


「うるっせ……なんだよ雲川」


「消えたんですよ! タイヨウちゃんの古文書の反応が突然感知できなくなったんです!」


 走るのをやめ、ほとんど落とすように雲川を降ろす。短く悲鳴めいた声を上げて雲川がしりもちをつく。


「いてて……もうちょっと優しく……」


「説明が先だ」


「言った通りですよ。一瞬で私の感知可能圏外まで逃げられました。何らかの能力を持った人間と……」


「探せ」


 声色に多少の焦りはあるが、表情は余裕を保ったままの雲川に詰め寄り、命令形で指示を出す。自分が無茶なことを言っていると分かってはいるが、込み上げてくる焦燥感と憤りを隠せない。


「無茶言わないでください。私だって愛する先輩からの頼みを叶えてさしあげたいのはやまやまです」


「ふざけてる場合じゃねえんだよ。いいからやれ」


 尚も冗談を言い続ける雲川の胸ぐらを掴み、語気を強める。苛つく、この状況でおふざけを続けるこいつの態度が、異常な程に俺の神経を逆撫でする。


「積極的なのは嬉しいですけど、立花先輩、ちょっと苦し……」


「黙って探せっつってんだろ」


「うっ……!」


「やめろ立花! 雲川さんもだ! お前達何かおかしいぞ!? 今やるべきことを考えろ!」


 如月に腕をとられ、雲川から手が離れる。雲川が不満そうな顔で制服を整える様を見て、また苛立つ。


「やるべきことをやってる。雲川に能力を使わせて……」


「それは出来ないと最初に言っただろう!」


「そうですよ。無理なものは無理です」


 ああむかつく。如月のお陰で頭は働くが、体が今にも動いて雲川を殴り殺しそうだ。


「雲川さんもいい加減にしろ! どうして立花の怒りを買うようなことを言うんだ」


「…………」


 如月が俺と雲川の間に入り、ため息をつく。ほんの少し間を置いて、如月が喋り始める。


「今はタイヨウちゃんを見つける方法を探すことが最優先だ。古文書のことんなんて私には分かりっこないんだ。お前達が冷静にならなきゃ、打開策なんて見つからない」


 分かってる。分かってるが、今は雲川の能力を頼る以外に方法が思いつかない。何もできない現状に歯噛みしていることしかできない。


「……? 何か……」


「あ?」


 雲川の、聞こえるか聞こえないかくらいの呟き。言外に、異常なことが起こっているのだということだけは分かった。


「この状況で……まさか……!」


「なんだよ雲川。関係無いことだったら殺すぞ」


「関係は……無いですけど! まずいんですって! とにかく一旦この場を離れましょう!」


 何の説明もしないまま慌てふためく雲川に、如月と一緒に訝しげな目を向ける。


「そんなに、嫌わなくても、いいじゃない」


 風に揺れる、ウェーブがかかった灰色の髪。背後から聞こえる少女らしい高い声は、静かで落ち着き払っていた。

 弾かれるように後ろを振り返り、戦闘体勢をとる。灰色の霧の中から灰色の石扉。そこから軽やかに出てきた少女。


「フェルギフ!?」


 1度俺を死の淵に追いやった、"リュース"の構成員の姿がそこにあった。

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