第19石 無力
──肉塊に向かって駆け出す。いける、あの感覚だ。体の内側から力が無限に溢れ出してくる感覚。今なら、何だって壊せる。
「はあああっ!!」
拳を突き刺すが、あまり手応えが無い。肉が衝撃を吸収してダメージを与えられない……なら、
「粉々にしてやる……!」
蹴りを何度も繰り返し、肉塊を分離していく。有効かと思ったが、飛び散った肉が地面を這いずり本体に戻っていく。
「気持ち悪い……そういや、ベルは……」
辺りを見回すと、ベルは既に雲川に回収されていた。なら、安心して肉塊をぶっ潰せる。
だがどうする? 単純な打撃も、バラバラにしても元通りだ。攻撃を避けながら考える。
──「簡単だ。焼き尽くせば良かろう」
焼くって……どうやって。
「もっと濃密な殺意を寄越せ。以前のようなやつを」
簡単に言うな。殺意なんてそうそう芽生えるもんじゃないだろ。
「だからこそ莫大な力を発揮するのだろう。さあ、早くしてくれ。待ちきれん」
──殺す。灰になるまで焼き尽くす。
再び肉塊に近づき、今度はただ手を当てる。
「焼け死ね」
体温が一気に上がる感覚がして、その熱が右手に集中する。やがて肉塊は内側から炎を上げ始めた。黒い炎。炎なのに周囲を照らさず、むしろ光を奪っていく。まるで"夜"だ。
肉塊が苦しんで暴れるが、明らかにさっきの元気が無い。"夜"の炎は燃え移ることはなく、肉塊のみを完全に灰にし、消えた。
──「まあまあの殺意だったが……あの時ほどではない、か。今夜はあまり楽しめそうにない……残念だ」
──ふと思い出し、後ろを振り返る。
「ベル! ベル、死ぬな! ベル!」
「どうして……! ちゃんと"光の石"は使えてるのに……! 傷も治ってる! なんで目を覚まさないの!?」
セルペントがベルの手を握り、必死で彼女の名前を呼ぶ。タイヨウがベルの体に手を当て、治癒能力を使っている。
ベルは動かない。傷はどんどん塞がり、小さな擦り傷さえも見当たらない。それでもベルは目を開かない。
タイヨウのそばに行き、タイヨウの手に俺の手を添える。
「タイヨウ、もう」
「離して! もう少し、もう少しだけ……!」
「タイヨウ」
「もう少しで目を覚ますから、もう少しで」
「タイヨウ!」
タイヨウの肩がビクッと跳ねる。目に涙を浮かべてベルから手を離し、こっちを向く。
「……どうして……? なんで私は…………」
「違う。お前のせいじゃない」
「決めたのに……桜花ちゃんを助けられなかったあの時に、せめて、せめて私にできることをしようって……それが、今、だったのに…………」
「……お前が古文書を使う前から、ベルは…………死んでた……」
言いたくもない現実。タイヨウが声を上げて泣く。俺には、肩を抱いてやることしかできない。なんて無力なんだろう。何が最強の古文書の石だ。間に合ってないだろ。タイヨウが苦しんでるなら、何も間に合ってない。
どうしてこんなに、無力なんだ。
──その後は、あっという間に処理が終わった。ディーブが飲まされた古文書の石は灰の中から発見され、そのまま日本支部に所有権が移ったらしい。日本支部自体も、内装が破壊された程度で、建物や人員にほとんど被害は無かったようだ。
局長と副局長が同時に死んだフランス支部はセルペントが仕切ることになったらしく、すぐにフランスに帰った。帰り際
「目を覚ましたら、その女……タイヨウに伝えておいてくれ。君は局長の……ベルのために力を尽くし、私より涙を流していた。……本当に、ありがとう」
と言われた。最後までセルペントとベルの間柄を尋ねることはできなかったが、後で聞いた話だと、2人は婚約していたらしい。……聞いた後、余計に自分の無力を呪ったのは言うまでもない。
タイヨウはあの後すぐに眠ってしまった。2人の人間の傷、それも相当なケガを、完全に塞ぐまで力を使ったんだから当然だ。俺も多少ケガをしていたが、日本支部には留まらず帰らせてもらった。少しでも、タイヨウを休ませてやりたかったから。
ベッドに寝かせて、頭を撫でる。寝ている間に目から何度も涙がこぼれる。その涙を拭い続けることしか、俺にはできなかった。




