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【画集2弾発売中】幻想奇譚あやかし日記  作者: 惰眠ネロ
怪異アレルギーと保健室の怪談
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第九夜┊十八「血染めの白衣」

 厳しい夏の暑さに抗い、瑞々しく咲き誇っとったユリの花もとうとう枯れ落ちた、秋涼の候。


 出産も間近になって、桜子さくらこは半年ぶりに雛遊ひなあそびの屋敷へと帰省した。

 ほんまは病院におった方がええんやろうけど、カルタ嬢ちゃんの時と同様、自宅での出産を桜子さくらこが望んだ。


 総司そうじがあちこち札を貼って回った特別個室ならともかく、出産時に移される一般病棟じゃ死霊や怪異がうじゃうじゃ湧いとる。える人間からしたら、居心地のいい場所やない。


 そんなわけで病院から移動することになった桜子さくらこやけど、翼を失った俺じゃ、桜子さくらこを担いで地道に歩くしかなかった。

 ほんのり肌寒くなってきた外気温にくしゃみしながら、「冷やしたらあかんよな」と桜子さくらこに白衣を羽織はおらせる。

 気休め程度やけど、ないよりはマシやろう。


鴉取アトリ。私、自分で歩けるわ」

「つべこべ言わんと担がれといて。こんな身重の女を歩かせるわけにいかへんやろ」

「そうじゃなくて……。はたからみたら、まるで人攫ひとさらいみたいよ」


 遠巻きに向けられる周囲の視線に、恐る恐る桜子さくらこが耳打ちする。

 病院へ担ぎ込むならまだしも、病院から他人を担いで出てくる人間はそうおらんらしい。ひそひそと俺らを見て囁く奴らの目は、どう見ても不審者に向けるものやった。


「……ちょお待ってな、考え直すわ」

「そうしましょう」


 諦めて桜子さくらこを下ろす。人攫いの噂はまずい。

 こうなったら桜子さくらこを乗せて牛車でも引くかぁ、なんて悩んどったら、俺らの話をどこからともなく聞きつけたらしい綾取あやとりが、迎えの車を出してくれはった。


「さすが綾取あやとり、持つべきものは友人やなあ!」

「病院から妊婦を連れ去る不審者がいると知らせを受けたのよ。何か釈明はあるかしら?」

「……お騒がせしてすんまへんなぁ。お詫びは総司そうじにツケといてもろて」

「忙しいでしょうに、申し訳ないわ」

「いいのよ。私も久し振りに桜子さくらこの顔が見られて役得だわ。一時はどうなることかと思ったけれど、元気そうでなによりよ」


 綾取あやとりは優雅に歓談してくれはったけど、どうやらトラブル応対の真っ只中やったらしい。相変わらず嵐のように現れると、雛遊うちの門前に俺らを下ろして、また嵐のように去っていった。

 総司そうじも昨日から忙しなく動き回っとったから、この近辺で何かがあったんやろう。

 けど唯一の取りだった翼を失い、そこらの怪異にも劣る存在へと成り下がった俺は、通告されるまでもなく戦力外やった。

 

「トラブルって、大丈夫かしら……」

綾取あやとりに限って、仕留め損ねることはないやろうけど……、あの家の仕事は面倒な相手が多いからなぁ」

「面倒な相手って?」

「神様」


 雛遊うちの門を開けるためにいくつか解錠の印を結んどると、きょとんとした顔の桜子さくらこと目が合う。

 そういえば、桜子さくらこは神々とはうたことがないんやったか。


雛遊ひなあそびは原則、神々の相手はせぇへんからなぁ。そういう仕事は全部綾取(あやとり)が受け持っとるんよ」

総司そうじさんはあんなに強いのに、どうして神様の相手は綾取あやとりさんに任せてるの?」


 桜子さくらこが首をかしげる。

 俺らの中では、綾取あやとりが神々を相手取ることは「赤は止まれ」と同じくらい当然の常識やったから、何も知らん人間やとそんな疑問を持つんやな、と新鮮な気持ちにもなった。


「神様っちゅうんは強い弱いとか関係なく、タチが悪いのが多いからやろ」

「あら、そんなこと言っても祟られないなんて、神様って心が広いのね」

「アンタは実際に対峙したことないからそんなことが言えるんよ。神々なんて基本的に、話が通じたらそれだけで奇跡やよ」


 大国主おおくにぬし様みたいなんは、本当に奇跡の中の奇跡や。

 元は山の神だった、八岐大蛇ヤマタノオロチとの激戦を思い出して身震いする。


 その昔、出雲いずもで大暴れしとった八岐大蛇ヤマタノオロチ総司そうじ綾取あやとりが封じたこともあって、出雲いずも大社に御座おわ大国主おおくにぬし様と俺らの間には少しだけ縁があった。


「アンタみたいな幼少期を過ごした奴は、大抵神様のことを憎んどるんやけどな。『どんなに祈っても、神は助けてくれへんかった』って」

「そうね……。そういう意味では、私の祈りは神様に通じたから、まだこうして信じていられるのかもしれないわ」


 桜子さくらこはそう言って、照れたようにはにかむ。

 ——ここではないどこか、息のできる場所に行きたい。

 その夢を叶えたのは神様やのうて、桜子さくらこ自身やったけど。


「……祓い屋の中で、アンタほど純粋に神様を信仰できるやつは他におらんやろな」

「みんな神様が嫌いなの?」

「せやね、中でも檻紙おりがみは神を嫌悪しとるよ。生まれた時から『アンタは神に喰わせるために生まれてきたんよ』って言われ続けりゃ当然かもしれへんけど。綾取あやとりは、少なくとも雛遊うちよりは神々に敬意を払っとる。怪異に対しては血も涙もあらへんけどな」

総司そうじさんも、神様が嫌いなのかしら……」


 総司そうじが毒を盛られたのも一度や二度ではないと聞いた話を思い出してか、桜子の表情が一段暗くなる。

 御三家なら誰しもが、願えど祈れど叶わなかった苛烈な望みを胸に秘めとるのかもしれへんかった。


総司そうじは、人を守るのは神々やなくて自分の責務やと思っとるからなぁ。祈られる側であって祈る側やないんよ。総司が神に祈ったのなんて、アンタがカルタ嬢ちゃんを産んだ時が初めてやない?」

「えっ、総司そうじさん、お祈りしてたの?」

「そらもう、組んどった指が力入れすぎて真っ白になるくらい……」


 言いながら、「あれ? これ言うたらアカンやつやったかな」と頭の片隅によぎったけど、桜子さくらこは嬉しそうに頬を染めながら身を乗り出した。


「それでそれで?」

「こ、この話はこのへんにしとこか……。ええと、綾取あやとりの話やったよな」

総司そうじさんの話ももっと聞きたいわ」

「それは本人に聞いたってや……。とにかく、酒と奏楽を振る舞って、神々と交渉するのが綾取あやとりの本分や。それでもどーしても話の通じん狂った神々だけ、厳重に根回ししたうえで対処に当たる。たまーにそれをわかっとらん阿呆あほうが、懸賞金めあてに神々に手を出そうとして、その結果が……」


 どん! と大きな地響きがして、地面がガタガタと音を立てて揺れる。

 秋晴れの空が黒灰色の分厚い雲に覆われていくのを眺めながら、「こういうことや」と桜子さくらこを引き寄せた。


「まーた誰かがいらんことしたみたいやなぁ。綾取あやとりの言ってたトラブルはこれやろか」

「あれ、怪異じゃなくて神様なの?」

「天候に影響を与える力、地形すらも変えるほどの力。そのどっちか持っとったら神様か、それに近しい力を持った怪異やね。酒吞しゅてんちゃんは後者やけど……」


 言っとる間にまた大きく揺れて、ガラガラと足元が崩れ始める。桜子さくらこを抱えてなんとか走り抜けたものの、いち早く安全な場所に身を潜めんと格好の餌食やろう。

 どこか隠れる場所を、と視線を彷徨さまよわせる俺らを覆い隠すように、ふっと大きな影が落ちた。


「……あーあ、最悪を引き当ててもうたな」


 空を見上げて、諦めの混じった息を吐く。

 宙に揺蕩たゆたう長い髭と、沼のような青緑の鱗。黒い積乱雲を背負い、蛇のように蠢く巨大な体躯。

 その首元では五色に煌めく宝玉が、持ち主の格の高さを雄弁に物語っとった。


「なんでこんな市街地真っ只中に海神わだつみがおんねや……。トラブルなんて言葉で片付けられへんよ」

「記録で見たわ。嵐を呼ぶ海の龍神……。遥か昔に封じられたはずだけど」

「どっかの阿呆あほうが封印を解いたんやろ。神様っつーのは執念深い奴が多いんよ。こういう手合いは、かつて封印を施した雛遊ひなあそびの血筋を一番に狙うんや」


 海神の目がこっちを向いて、長い爪が鈍色にびいろに光を映す。

 ガァン! と音を立てて、さっきまで俺らが立っとったところに稲妻が落ちた。


「っ……、やばいやばい、あんなの今の俺じゃ何度も避けられへんって! はよどこかに……」


 ふと何かが触る感覚がして下を見る。

 桜子さくらこを抱えて走り続ける俺の足元を、三本の尾を持ったネズミが何匹も駆け抜けとった。

 チウ、と鳴き声をあげて真っ赤な目でこっちを見るネズミは、桜子さくらこの通う学校でも何度か見かけた小物怪異。


「……誰かの使い魔なんやろか。信じて付いてってええんかな」


 敵意は感じられへんし、促されるままネズミの大群を追う。

 降り注ぐ雷を避けながら駆け抜けた先には、檻紙おりがみの名が刻まれた大きな藤の木が生えとった。


 雛遊ひなあそびに寄贈されたものやろうか。

 とっくに花期は終わっとるはずやのに、四畳半ほどの藤棚からは、薄紫の花房がいくつも垂れ下がっとる。


 俺らが藤棚を見つけたことを悟ると、ネズミたちはぱっと引き返して、今度は海神わだつみに向かって飛びかかっていった。

 長い胴にべたべたと張り付くと、カッとその身に火を灯す。

 

火鼠ひねずみやったんか……!」


 そもそも大きさからして相手にもならんサイズの差やったけど、熱を嫌う海神わだつみの気を引く程度の効果はあったようやった。

 まとわりつく火鼠ひねずみを振り払っとる隙に、藤棚の下に潜り込もうと地面を蹴る。

 途端、「鴉取アトリ!」と耳元で引き攣れるような悲鳴が聞こえて、腕の中からすり抜けた桜子さくらこともつれ合うように、俺らは藤棚の中へと転がり込んだ。


「っ……てて、ちょぉ、勝手な行動せんといて……」


 文句を言いながら振り返った先で、ごぽり、と桜子さくらこの口から血が溢れた。

 その胸にはぽっかり穴があいて、向こうの藤の花が穴から覗いて見える。

 呆然とする俺に、桜子さくらこが何かを言おうとして、また口から血が滴った。



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