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【画集3弾発売中】幻想奇譚あやかし日記  作者: 惰眠ネロ
怪異アレルギーと保健室の怪談
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第九夜┊十九「血染めの白衣」

「っ桜子さくらこ!!」


 状況を理解して、弾かれたように手を伸ばす。

 桜子さくらこは血で染まった自分の手を呆然と見下ろしとったけど、やがて「ふふ」と自嘲するように声を漏らした。


「こんなになっても、まだ生きてる……。すごいわね、鴉取アトリの生八つ橋……」

「っ……阿呆あほ抜かせ、八ツ橋にそんな効果あるわけないやろ! ……痛いやろうけど少しだけ頑張りや、すぐに助けが来るからな」


 気休めにもならない言葉を掛けながら、桜子さくらこを助ける方法を脳内で必死に考える。

 無理や、間に合うわけない、って頭ん中でどこか冷静な自分が反論しとったけど、それを振り払って意味のない止血を施した。


「なんだか……初めて会った時のことを思い出すわね……。こういうのを……、走馬灯っていうのかしら……」

「ふざけたこと言うとらんと、気をしっかり持ちや! 今日までこない頑張って生きてきたんやろ、こんなところで終わらせんなや!」

「そうね……、今日まで、たくさん……、いろんなことがあったわね……」


 だんだんと虚ろになっていく桜子さくらこの瞳に、ああまずい、どないしよう、と焦りばかりが先に立つ。

 止まらない血が俺の服にじっとりと染み込んで、その重さの分だけ桜子さくらこの身体が軽くなっていくのが怖かった。


 応急手当はできても、瀕死の仲間を助ける手段なんて持っとらん。焦燥に駆られる俺に反して、桜子さくらこの表情はひどく穏やかやった。


雛遊ひなあそびに嫁いできた日は……、内心すごく心細かったわ……。こんな大きなお屋敷で、やっていけるのかしらって……」

「分かったからもう口閉じや!」

「あなたたちにも、歓迎されてないことはわかってた……。でも、鴉取アトリ蜜鬼みつきちゃんも、きちんと私に向き合ってくれた……。私を無視することも、閉じ込めることもしなかった……。私が間違ってたらちゃんと叱って、いつだって、正しい道を教えてくれた……」


 何も言えへん俺に、「私、すごく楽しかったわ。本当よ」と桜子さくらこが微笑みかける。

 楽しいわけあるか。今日まで辛くて苦しい思いばっかしてきたくせに。なんでそんな別れの言葉みたいなこと言うとるんや。


 それ以上聞きたくなくて、無我夢中で桜子さくらこから溢れる血を止めようと力を込める。

 桜子さくらこは苦しげに喘鳴しながらも、微笑みだけはやさんかった。


「ねえ、鴉取アトリ……。昔、あなたが出してくれたテスト……、覚えてる……?」

「テスト?」


 必死に圧迫止血を続ける俺に、桜子さくらこは静かな声でそらんじる。

 俺がかつて、桜子さくらこに投げ掛けた問いを。


 ——俺は瀕死の重傷、アンタは無傷。他メンバーははぐれて生死不明。目の前には俺が仕留め損ねた怪異……。


 今度は逆ね、と桜子さくらこんだ。


「正解は、『私を置いて逃げる』でしょう……?」

「っド阿呆あほう! 治癒士の命が最優先やって、何度言ったら分かるんや! アンタが俺を置いて逃げることはあっても、その逆はないんよ!」

「わかってるわ。私、あれからとっても勉強したもの。……でも、治癒士よりも大事なものが、ここにいるでしょう」


 桜子さくらこが冷え切った指で自分の腹を撫でる。

 その中にいるのは、——雛遊ひなあそびの後継者。

 総司そうじの血を継ぐ、唯一の男児。


 直感的に嫌な予感がして、サッと血の気が引く。

 両手が空いとれば耳を塞いでうずくまったやろうけど、残念ながら俺は無意味な止血で手一杯やった。


「母体の呼吸が止まったら、胎児も窒息してしまうの……。だから、お願い……。私が死ぬ前に、あなたがその手で取り出して……」


 すがるような桜子さくらこの言葉に、ぶわっと全身が毛羽立つ。

 その意味を理解して、震える喉から「無茶言わんといてや」となんとか声を絞り出した。


「こんな、麻酔も医療器具もないとこで、アンタの腹ぁ()さばいて中の子供を取り出せって? 正気の沙汰やない」

鴉取アトリ、私はもう助からないわ……。でも、あなたならこの子は助けられる……」

「助けられへんよ! 仮にアンタから子供を取り上げたところで、俺らはこの藤棚の下から動けへん。もたもたしとるうちに亡くなってまうわ!」


 半狂乱で叫ぶ俺を、「鴉取アトリ」と優しい声音がなだめすかす。


「私、知ってたわ……。あなたたちが私を生かしてくれたこと。あなたたちが、大事なものと引き換えに……、私をながらえさせてくれたこと」


 パチン、と軽やかな音を立てて外された髪留めは、かつて酒吞しゅてんちゃんが桜子さくらこを着飾らせた時に選んだ、精巧なガラス細工の花簪はなかんざし


 桜子さくらこはそれを、宝物のように今日まで大事にしまっとった。


蜜鬼みつきちゃんにあげてくれる……? ありがとう、約束を守れなくてごめんなさいって……」

「い、言えるわけないやろ……っ! 自分の足で帰って、自分の言葉で謝りや!」

鴉取アトリ……。私はここまでなの。もうここから一歩も動けないのよ……」

「そんなん俺やって同じやよ。俺じゃ逆立ちしたって龍神になんか敵わへん。さっきやって、逃げることすらできひんかったから、アンタにこないな怪我負わせてもうたんやろうが……ッ! もう飛ぶこともできひん俺じゃ、アンタが言うように赤ちゃん取り出したところで、どこにも逃げられへんよ!」


 自分の無能を声高に叫ぶ俺に、「いいえ、飛べるわ」と答えて桜子さくらこが頬に触れる。


「私、檻紙おりがみさんに尋ねたの。治癒士を極めたら、一体どこまで治せるのか……。不治の病を治療することはできるのか。失った手足を再びやすことはできるのか。——神々に捧げたものでさえ、取り返すことができるのか」


 このために私、すごく勉強したんだから。

 そう言って瞬く瞳は、十八の時の桜子さくらこと何ら変わらない、強い色を宿しとった。


 血の気を失って真っ白な指が、凄惨な傷跡の残る俺の腰を撫でる。

 その手が辿る先に、呼び起こされた神経がざわざわとさざめいた。


「一つ、開いて鳳仙花ほうせんか

 二つ、吹き抜くあまかぜ

 三つ、水面みなも神無月かんなづき

 四つ、向き合い杜若かきつばた


 五色の短冊、願い込め

 六藤むとうの折り目に厄祓う

 七つの苦難を耐え抜いて

 八重やえの桜に祈りを捧ぐ


 ——の者に再び、天翔あまかける翼を」




 春風のような祝詞のりとに包まれた刹那、失われたはずの器官がばさりと羽ばたいて、風を捉えるのを感じる。



 ……血統に恵まれたわけでもなく、後押しになる環境もなく。

 己の努力と研鑽けんさんだけでついに頂点を極めた治癒士は、神々との取り引きにさえも手を掛けた。



 俺の腰から再生されていく翼は、元のように羽を広げ、艷やかに光を映す。

 時代が時代なら、神の御業みわざとも讃えられる奇跡の術やろう。


 ——けど。

 桜子さくらこの治療は、桜子さくらこ自身の体力を大きく削る。

 こんな奇跡の対価を払えるほど、桜子さくらこにはもう、体力が残されとらんかった。



鴉取アトリ。あとのことは、頼んだわね……——」



 俺の腕にぐったりと身を預けると、桜子さくらこは最期に俺にそう言い残して、笑った。



 ——もう、俺にやれることなんて、一つしか残されとらんかった。


 唇を引き結び、クナイを握り締める俺を他所よそに、桜子さくらこが身をよじる。

 もう何も映しとらん瞳が宙を向いて、なにかを追いかけるように虚空に手を伸ばした。



「ああ、総司そうじさん……、これでやっと……、あなたの、となりに……」



 その手がふっと力を失って、地面に叩きつけられた。





 ✤




 ——雛遊ひなあそび桜子さくらこ

 享年二十九歳。


 死後ようやく万人にその実力と努力を認められ、後世まで語り継がれるようになった天才治癒士の、短い生涯の幕が下りた瞬間やった。






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