第九夜┊八「血染めの白衣」
「お前の言う通りだろう。治癒士が前衛をかばうようでは、遅かれ早かれ事故が起きる。桜子にはしばらく休むよう、俺から伝えておこう」
「じゃあ次の討伐は久し振りに支援無しになるやろな。いつものつもりで突っ込んだら大火傷しかねへん……」
頷く俺の背後で、スパァン! と勢いよく襖が開かれて、「治癒士の立ち回りについて勉強してきたわ。私も連れて行って」と書を抱えた桜子が顔を出す。
怪異討伐時の立ち回りについて師事したらしい酒吞ちゃんが、そのうしろから恐る恐る部屋の様子を伺っとった。
「……らしいで、総司。どないする?」
「私はあなたと話をしにきたのよ、鴉取」
「なんで俺? 誰を連れて行くか判断するのは総司やよ。俺は、今のアンタや危なっかしゅうて連れて行けんのやない? って進言しただけや」
「今の私に足りてないものを教えてくれたのはあなただもの。あなたに認めてもらえないままじゃ、総司さんも私を連れて行ってはくれないわ」
頑として譲らない桜子に、総司までもが「鴉取、お前に判断を委ねる。お前が連れて行っても大丈夫だと判断したら桜子の同行を許可しよう」なんて言い出し始める。
「そんなん俺が嫌われ役やん……。桜子には悪いけど許可できひんよ。酒吞ちゃんに教わったんなら一通りの基礎は叩き込まれたやろうけど、立ち回りっちゅーんはその時々で大きく変わる応用問題や。一朝一夕で身につくもんやあらへん」
「蜜鬼ちゃんにしっかり教わったもの。試してくれても構わないわ」
「……え、なんで名前知っとるん?」
さらっと呼ばれた名前に思わず書類を取り落とす。
酒吞ちゃんが名前で呼ぶことを許してるのは、今のところ総司だけや。俺ですらいまだに「酒吞ちゃん」呼びやのに。
ぐりんと首を向けると「別に、聞かれたから答えただけやよ。総司の妻なら、うちらより偉い人やし」と酒吞ちゃんが返す。
「それで、桜子のこと連れて行くん? 連れて行かないん?」
「試したってもいいけど、どうせ無駄やよ。この時間じゃテンプレしか教わっとらんやろ。酒吞ちゃんは桜子を連れていけるって思うとるん?」
「さあ。総司があんたに任せる言うたなら、あんたが決めればええよ。桜子には既に実績がある。連れていけば十分戦力にはなる。けど、もちろん絶対安全とは言われへん。あんたの言う通り、桜子の治癒士としての意識はまだまだ未熟や。うちらがおっても、勝手に前に出られたんじゃ助けようもないし」
酒吞ちゃんにも判断を放り投げられる。なんや体よく押し付けられとる気がしたけど、「しゃーなし、ほんならテストやー」と桜子に向き直った。
「俺が目の前で怪異に襲われとったら、どないする?」
「かばわない。助けない。その場から動かないで、自分の職務を全うするわ」
「せや。次、傷の深い酒吞ちゃんと傷の浅い俺、どっちから治す?」
「速度を優先して、傷の浅い鴉取。だけど蜜鬼ちゃんの傷が命に関わる場合は先に応急処置をするわ」
「正解」
桜子のうしろから「例えがおかしいやろ。うちが重傷やったらあんたはとっくに死んどるわ」とクレームが入っとったけど、無視して続ける。
「次、——俺は瀕死の重傷、アンタは無傷。他メンバーははぐれて生死不明。目の前には俺が仕留め損ねた怪異。アンタはどうする?」
「……えっと」
桜子は青い顔でうろたえた。
意地悪な質問やったけど、ありえへん場面やない。俺は手を叩いて「はい終わり」と宣言する。
「こんなんで迷っとったらアカンわ。その状況なら俺を置いて逃げる一択。何度も言うとるやろ、アンタはまず生き延びることが最優先。アンタ自身の安全が確保されて、初めて他人を助ける選択肢が生まれる。それ以外では他人を助ける選択肢なんて持たんといて」
「……わかったわ」
「もしそんな状況になったら、俺はアンタが逃げられるよう、一秒でも時間を稼ぐために全力を尽くす。言葉を交わしとる暇も余裕もあらへん。そこでアンタがもたついたり、ましてや俺を助けようとしたりしたら二人ともお陀仏や。わかるよな?」
「ええ……」
ごめんなさい、と桜子の口から小さな謝罪がこぼれ落ちる。
桜子は体の弱さに引き換え、心は強い女やった。
雛遊の小うるさいしきたりにも、総司の妻として多くを求める周囲の期待にも、努力だけで応えてきた。
一回でできなければ百回練習した。百回でできなければ千回練習した。
咳をしながら夜遅くまで書物を読み耽り、怪異について学び、歴代の治癒士について学び、雛遊の戦略について学んどった。
俺らに任しときゃええのに、茶の淹れ方も、花の生け方も、一から全部学び直した。桜子が体の弱さを言い訳にしたことなんか、一回もあらへんかった。
けど、自分の命を最優先に行動するっちゅーことを、今まで考えたこともなかったんやろう。
待機を命じられた桜子は、それからも必死に勉強しとったけど、珍しく苦戦しとるようやった。