第九夜┊六「血染めの白衣」
桜子は、昔から身体が強い方やなかった。
冬になれば高熱を出し、雪が降れば何日も寝込むような、そんな女やった。
当然、雛遊家を支えるには力不足やって大勢が反対しとったけど、総司はそれらを全部押し切って、十八になった年に桜子を嫁に迎えた。
俺らも最初は「こんな女が総司の役に立てるんか」と、猜疑の目で桜子を見とった。
「はじめまして。あなたが鴉取君ね。総司さんからよく話を聞いているわ」
「……」
熱に浮かされた顔で三つ指をつきながら挨拶する女に、俺は持っていた水桶とタオルを放り出さないようにするので精一杯やった。
嫁いだ初日から熱を出して、床に臥せった桜子を看病するのが、俺に言い渡された仕事やった。
「いくらなんでも虚弱すぎるやろ! あんなんで総司の妻なんて務まるわけない。返品や返品! 俺が熨斗つけて返してきたるわ!」
「うちも、こればっかりは鴉取に賛成やよ。総司が誰を愛するかなんて総司が好きに決めたらええけど、家に迎え入れるのは話が違う。弱い人間をそばにおいて、いつか後悔する総司なんて見とうない」
俺と酒吞ちゃんの主張に、総司は一言、「世話を掛けるが、桜子をよろしく頼む」と答えただけやった。
そんなん言われたら、俺も酒吞ちゃんもそれ以上何も言われへん。むしろ、総司に頼まれたんやって、俺は張り切って桜子の世話をし始めた。
檻紙の傍系やった桜子には、祓いの力はほとんどない。けど治癒士として一定の力は持っとったし、当時も今も治癒士は貴重な存在や。
知能のある怪異なら、結界術師と治癒士は最初に狙う。
自分で自分を守れる結界術師と違うて、治癒士は自分を守れへん。やから、治癒士の死亡率は誰よりも高い。
そもそも発現自体が貴重な力やのに、その死亡率の高さから、成り手もほとんどおらへんかった。
先代の檻紙は綾取に付いて回る事が多かったから、雛遊は必然、守り手のいない現場で怪異と戦う事が多い。
そんな雛遊に桜子っつー専属治癒士が付いたことは、苦境に立たされとった雛遊にとっては朗報やった。
俺らは死なへん程度に突っ込んでは、桜子に何度も治された。
「……いつも、こんなにひどい怪我をするの?」
「なんや勘違いしとるみたいやけど、俺らは怪異やよ。人間の基準で語らんといてや」
食いちぎられて骨の露出した俺の腕を見て、桜子は心配そうに目を細める。けど俺は、桜子の心配が煩わしかった。
足の速い俺が傷を負うっちゅーのは、俺自身が何かしら失敗した時や。あんまりつべこべ言われると、俺の不甲斐なさを指摘されてるようで都合が悪かった。
「もう少し、自分を大切にしてちょうだい」
怪我をするたびに小言を挟む桜子に、俺は内心うんざりしとった。
俺らやって、いつも捨て身やったわけやない。桜子の治療は、桜子自身の体力を大きく削る。俺らはなるべく桜子の負担にならへんように立ち回ったし、無茶な盤面にならへんようにと総司が徹底して戦略を練った。
けど、戦線が崩れる時は一瞬やし、複数対複数を受け持つことの多い雛遊は、一度戦線が崩れたら、囲まれて喰われて全員サヨナラや。
何度危ない目に遭うたか数え切れへんくらいやけど、それでも総司の指揮のおかげで、それまで死者を出すことだけは辛うじて避けてこられた。
——無謀と勇猛を履き違えるな。絶対に深追いするな。
一人の失敗が全滅を招くんやって、俺らは何度も何度も総司に叩き込まれた。
雛遊の盤石なチーム戦は、お互いの命を預けることで初めて成立する。
周囲は雛遊の膨大な功績を、神獣を二匹も連れてるおかげやって思い込んどったようやけど、それは大きな勘違いや。
俺らはただの駒でしかあらへん。凄いのは総司や。
俺らを使役してるのが他の人間やったら、とっくの昔に全員死んどったやろ。
俺らは総司には絶大な信頼を寄せとったけど、桜子に対してはそんなに信用しとらんかった。
総司が選んだ女やから、もちろん表立って無下にはせえへんかったけど。正直、治癒士なら誰でもええと思っとった。
ほんの少しでも総司が手傷を負わされるたび、「ここにいるのが桜子やのうて檻紙やったら、総司を危ない目に遭わせることもなかったんにな」って、自分の力不足を棚に上げて、何度も心の中で八つ当たった。
俺らは総司の式神やから、一定の怪我なら総司の持つ祓いの力を分けて貰うことで治してもらえる。
桜子がおるから、体面上仕方なく桜子に頼むようになったけど。俺らやってできるなら、治るまで日数がかかったとしても、桜子やなくて総司に治療して貰いたかった。
「はー。アンタがおらへんかったら、これくらいの傷は総司に治してもらえたんになぁ」
「それは残念ね。でも総司さんの力は治療に充てるより、札作りに費やして貰ったほうが有意義でしょう?」
「……そうやって正論ばっか吐くとこもキライやわぁ」
「嫌いな私に治療されたくなかったら、少しでも怪我を減らすことね」
おとなげない態度で接する俺らのことも、桜子はいつやって丁寧に治療してくれた。
ほんの少し消毒液の匂いがする、清潔な白衣をはためかせて。