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第八夜┊六「花の香りに誘われて」前編

 周囲のどよめきの中に「若宮様」という単語が混ざり始めて顔を上げる。

 なんだか知っている名前が聞こえたような。

 姿は見えなかったけれど、覚えのある甘い花の香りに、誰が入ってきたのかを否が応でも理解した。


 いつか朝のカフェで会った若宮さんよりも、数段濃厚な誘引ゆういんの香り。

 清廉な瑞々しさを放つ白百合ホワイトリリーと、優美な表情の木蓮マグノリア

 そんな花の香りとは相反するように、じゃらりじゃらりと無骨な音を立てて引きられる、無数の鎖の音。

 囚人のように彼女を戒めている長い鎖は、彼女を囲うように空中で灯る、四つの燭台へと繋がっていた。


 前を歩く若宮さんの三歩後ろを付き従うように、貞淑な様子でを進める女性は九尾の狐ではない。


 ……若宮さんの式神だろうか。

 どことなく既視感があったけれど、その顔は黒い紙面に覆われていて見えなかった。


 不意にとんとんと肩を叩かれて、「はい」と振り返った僕の口を、即座に男の手が覆う。


「さっきは会話の途中で失礼してすんまへんなぁ。総司そうじは会場に放り込んできたから、ゆっくりお喋りしようや」


 軽薄な口調が耳元でさえずって、しまったと思う間もなく男の腕の中にホールドされた。

 口を封じられているせいで悲鳴も上げられない僕に、それでも瞬時に気付いてくれた星蓮せいれんが、ぱっと握り締めた短剣で男の腕に切りかかる。

 そいつはほんの少し体を捻ってそれをかわすと、僕を片手で抱えたまま飛び上がり、見せつけるように僕の首にクナイを突き付けた。


 ——さっき会場に入っていったはずの、鴉取アトリと呼ばれた鴉天狗からすてんぐ


「なんや、随分強そうな気配やった気がしたけど、気のせいやったかな。えらいのんびりした怪異やね」

「……カルタを離せ」

「へえ。この子、名前もカルタっていうんや。なんでカルタ嬢ちゃんと同じ顔してはるん? 雛遊うちとどういう関係?」


 素直に答えてくれはったら、あんまり痛いことせえへんよ。

 緊張感のない口調とは裏腹に、片手で僕を抱え上げている腕はびくともしない。

 迂闊うかつだった。雛遊ひなあそび家の式神だから、カルタさんのことも知っているのか。

 どういう関係なのか答えることはできるけれど、答えたらそれこそ僕は殺されてしまうだろう。


 ——雛遊ひなあそびカルタの遺体は、「僕」の大部分を構成する材料にされてしまったのだから。


 ぐるぐると悩む僕に「黙殺された」と取ったのか、鴉取アトリはクナイを持ったままの手で、あろうことか僕のベルトを外しに掛かった。


「な……っ、なにを」

「ちょぉ大人しくしといてな」


 これまで、他の人よりはいろんなトラブルに巻き込まれてきた自覚はあるけれど、見ず知らずの男に外で服を脱がされるのは初めてだった。

 困惑と恐怖と焦燥で、僕の思考が停止する。


 全力で抵抗したら殺されてしまうだろうか。

 抱え上げられているせいで地面を踏みしめることもできないが、一か八か、背後の男を蹴り上げてみようかと悩む僕に、「余計なことは考えん方がええよ」と僕を抱える腕に力が込められて、みしりと肋骨が嫌な音を立てた。


「う、ぁ……っ」

「おい、今すぐその手をどけろ。喰われたいのか」

「やれるならとっくにやってはるやろ。ここに至るまで黙って見てた時点で、アンタがこの子を巻き込まずに俺を仕留める方法なんて持ってへんのはわかっとる。つまりアンタは、一発の威力が大きい広範囲タイプ。そんで俺は、アンタみたいな怪異を相手にするよう総司そうじしつけられた式神や。相手が悪かったな」


 やがてベルトを外し終えると、鴉取アトリの指が寛げられた隙間からするりと差し入れられて、下着の中にあるものを直に撫でていく。

 冷たい指が急所へと触れる感覚に、強烈な嫌悪感が全身を走り抜けていった。


 人が減ったホールの、それも柱の陰でのやり取りでは他の招待客も気に掛けないだろう。

 誰か助けを呼べる人はいないかと、ちょっと無理な角度に首を向けると、若宮さんと連れ立っていた式神の女性がじっとこちらを向いている。

 首をかしげた彼女の紙面がふわりとまくれ上がって、人々の隙間から、藤色の瞳と目が合った。


「あれ、やっぱり男の子なんか。カルタ嬢ちゃんの体をそのまま使つこてるわけやないんやね」


 鴉取アトリは勝手気ままに僕の体を検分していたが、突然僕をその場に放り投げると、二歩、三歩と身体を翻しながら飛び退すさっていく。

 二メートルほどの高さから、支えを失って万有引力に引き寄せられる僕の眼前には、真紅の絨毯が迫っていた。


「うわ、ッ……!」

「まあ、大丈夫ですか?」


 地面に叩きつけられる前に受け止めてくれたのは、さっき目が合った女の人だった。

 華奢な彼女では支えきれず、彼女の上に倒れ込む形で、僕らは絨毯の上を転がっていく。


「す、すみません! 怪我をさせていませんか」

「私は問題ありません。しかし困りましたね。あちらは大丈夫とは言えなさそうです」


 彼女が顔を向けた先では、星蓮せいれんが怒りに狂った瞳で鴉取アトリを振り返りながら、ゆらりと立ち上がって口元を拭っている。

 我慢の限界だったのだろう。さっきまで僕らの背後にあった柱は、大きな半円月の形にまるまる齧り取られていた。


 ——しかし、鴉取アトリが距離を取ったのは、星蓮せいれんからではなかったらしい。


「お披露目ひろめの時間にはまだ早いですよ、鴉取アトリ。どうしてもというならば、人議ひとはかりの前に準備運動をさせてあげても構いませんが」


 いつの間にか、若宮さんが僕らと鴉取アトリの間に立って、鴉取アトリに刀を向けている。

 対怪異でこんなに頼もしい人もいない。降って湧いた安心感に、ちょっと涙がこぼれそうだった。



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