表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/113

第八夜┊四「エントランスホールは騒々しい」前編

 扉の向こうは、異世界に足を踏み入れたのではないかと錯覚するほどの豪奢ごうしゃな空間が広がっていた。


 白基調の大理石と、金の装飾が織りなす壮麗なホールには、高い天井を支える朱塗りの柱が林立し、上部には金箔を散りばめた彫刻が施されている。刻み込まれた龍の彫像は、今にも天に昇っていきそうな躍動感を放っていた。

 床には深紅の絨毯が敷き詰められていて、雲の上を漂うような柔らかさを足裏に感じる。開放的なホールには、待ち合わせ中らしき人々が点々と集まって、めいめい会話に花を咲かせていた。太陽のように輝く豪盛なシャンデリアが、そんな彼らに光の雨を降らせている。


 ここが玄関エントランスだなんて信じられない。

 何もかもが別世界に感じるホールの中で、焚きしめられた白檀びゃくだんの香りだけが、かすかに覚えのあるものだった。

 その既視感に少しだけほっとする。若宮さんの着物と同じ香りだ。


「あの宮司ぐうじが来るまで、俺らはここで待ってないといけないんだよな。あんまり待たされないといいけど」


 緊張に肩を強張らせる僕とは打って変わって、星蓮せいれんは退屈そうに柱に寄りかかる。

 彼の体が一般的な体重計では測定できない重さであることを知っている僕は、柱が折れてしまうんじゃないかと内心ヒヤヒヤした。

 こんな建物に傷をつけたりしたら、僕らは一生タダ働きだろう。


 雛遊ひなあそび先生は電話で、「綾取あやとりさんが来るまで、絶対に中には入らないでください」と言っていた。

 エントランスホールの奥には会場への入り口らしき扉があるが、こちらは閉ざされていて中の様子は窺えない。

 既に開場自体はされているようで、何人かは自らの手でその重そうな扉を開くと、会場の中へと体を滑り込ませていった。


 若宮さんが来るまですることはないので、僕も星蓮せいれんにならってぐるりと会場を見渡す。

 ちょうど誰かが来たのだろうか。カツ、カツ、とヒールが床を叩く音が高らかに響いて、四、五人連れの一行がエントランスホールに入った途端、ひそやかだった周囲の歓談の声が、ざわざわと高まっていった。


「主催代理、お食事の準備が整いました」

「ありがとう。お飲み物と軽食からお出しして。ああ、もうすぐ総司そうじさんがいらっしゃるわ、くれぐれも失礼のないようにね。それからアトリが手を出さないよう、前菜からアボカドを抜いてちょうだい」

「承知いたしました」


 決して大きな声ではないのに、竹を割るような凛とした声がホール全体に響き渡る。

 声の主に何気なく目をやって、僕と星蓮せいれんは悲鳴を上げないようお互いに口を押さえた。


 右側の高い位置で結ばれたサイドテールの黒髪と、大胆なスリットの入った白練しろねりのチャイナドレス。猫のような瞳に、はっきりとした顔立ち。格好こそ違ったけれど、その顔は若宮さんと瓜二つだった。

 豊かな胸のふくらみがなければ、うっかり声を掛けていたかもしれない。


「に、二卵性双生児だからちっとも似てないって言ってなかったか。そっくりじゃないか。本人かと思ったぞ……!」


 声を潜める星蓮せいれんに、こくこくと頷く。

 間違いなくあの人が、以前言っていた若宮さんの双子の妹だろう。


 二人して柱の陰に隠れながら、そっと妹さんを覗き見る。

 彼女は僕らを知らないはずだけど、この場で若宮さんを待っているというだけで、どこか後ろめたい気持ちになった。


 以前聞いていた通り、自分の仕事はしっかりする人のようだ。テキパキと指示を下す妹さんの態度には、確かに気安さこそないものの、無駄な威圧感もない。一礼して去っていく使用人たちの顔は生き生きとしていて、妹さんの人望の高さが窺えた。

 髪を掻き上げて書類に目を落としている彼女の顔には、若宮さんとは左右反対の頬に祟りけの隈取くまどりが施されている。

 十字の花のような紋様は、彼女が耳につけている飾り紐のピアスと同じ形をしていた。


総角結あげまきむすびだな。魔除けと護符の効果がある」


 星蓮せいれんの解説に、「へえ、結び方ひとつで魔除けになったりするんだな」と小学生みたいな感想を返す。

 厳重な祟りけは、彼女も神々を相手にするという証拠だろうか。


 息を潜めて見つめていると、長駆の男が妹さんに近付いていった。こちらも丈の長いブラックシルクの中華服を身にまとっている。

 黒髪の間から覗く男の耳にも、妹さんと似たような飾り紐のピアスが揺れていた。控えていた他の人達と違って、へりくだらない態度で妹さんに声を掛けている。

 

「今日はかさねも来るんだろ? 塩でも撒いておこうか」

「およしなさい、塩と時間がもったいないわ」


 ピンポイントで待ち合わせ相手の名前が挙がって、肩が跳ねた。こうも分かりやすく嫌われているといっそ清々しい。

 ここに若宮さんと連れ立って入るのは、もしかしてかなり勇気がいることなのではないだろうか、と不安になってきた僕の横で、星蓮せいれんが瑠璃色の瞳を真剣に細める。


「あいつ人間じゃないな。神獣だ。それも多分、九尾の狐より高位のやつだぞ」

「え、あの黒髪の男の人?」


 星蓮せいれんに言われてその男の人を見ていると、ちらりと男がこちらに目を向けて、僕らと視線がかち合った。


「……っ!」


 こちらに来るかと身構えたが、男は口の端だけで笑うと、何事もなかったかのように妹さんと会話を続ける。やがて彼らはそのまま会場の中へと消えていった。


「び、びっくりした——……」

「気付かれてたけど見逃されたな。取るに足らない存在だと思われたんだろ」

「今の人って、君より強いの?」

「うーん、神獣っていうのは俺と全く種類が違うからなあ。ケーキとパスタ、どっちが旨いか比べるようなものだぞ。……喰うか喰われるかだったら俺は大抵の奴に勝てるけど、あいつがおまえを狙ってきたとするだろ。んで、多分あいつのことは食べちゃダメだって言われるだろ? そうすると俺に出来ることはほとんどない」


 なるほど、具体的でわかりやすい説明だった。

 餓者髑髏がしゃどくろの時もそうだが、全てを丸呑みにしてしまう彼の性質上、食べてはいけないものとの相性がすこぶる悪い。


「この会場で喰っていいやつなんていないだろうし、それはイコール、俺が戦って勝てるやつがいないのと同じだ。おまえのことも守ってやれなくなるから、あんまり目立たないようにしような」


 子供に言い聞かせるように星蓮せいれんに優しくさとされて、「まるでいつも僕が騒動を持ち込んでるみたいじゃないか」と口を尖らせる。

 祓わないでと言って困らせたことは何度かあるけれど、僕が厄介事を持ち込んだことは今までなかったはずだ。多分。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ