プライドを捨てたウソ泣き
「あらあら~これは……」
その日のホームルーム。
ミレイは教壇に立つなり、頬に手を添え、目を丸くしていた。
クラスメイト達も少し気まずそうに視線を逸らし。
ノエルは、この険悪な雰囲気を創り出した二人の最低、最強のパートナーへと苦い視線を向けている。
ミレイは、件の少年を見つめながら。
「綺麗な紅葉柄ですわねぇ~?」
クロトの頬にくっきりと浮かんだ手形を見て、クスクスと笑みを零すのだった。
「……ほっといて下さいよ」
クロトは頬杖をつきながら、視線をあさっての方へと向けていた。
全身から『関わるな』オーラを出しているクロトにずかずかとミレイが踏み込む。
「ですがぁ、このクラスの空気はエルヴェイト君のせいですよね? なら責任をとってわたくしのお人形――こほん。反省の姿勢が欲しいですわ」
「今、人形って言ったよね!? 俺の事どうするつもりなの!?」
「別にどうもしませんわ。た、だぁ……反省してくれないと……」
ミレイはクロトを魅了するような妖艶な瞳を浮かべ、ペロリと唇を舐める。
それは、とてもじゃないが教師のするような視線じゃないぞ……とクロトは半眼で呻く。
淫乱な視線に耐えきれず、クロトが身体を逸らせる。
すると――
「――……ばか」
クロトの隣の席で、険悪な視線をミレイとクロトの二人へと向けるレティシアがポツリと愚痴る。
視線をそっと向ければ、レティシアの背後に禍々しい般若がクロトを睥睨しているように見えた――
(な、なんつぅ殺気だよ……)
幻覚をクロトに見せる程のレティシアの怒りっぷいりに背筋に冷たい汗が浮かぶ。
そもそも、事の発端はレティシアだろう――とクロトはこの現状に鬱屈した感情を抱く。
レティシアが勝手に勘違いして、勝手に爆発しただけだろ……
(なのに、俺が悪い。みたいな空気になってる)
そもそもレティシアが怒った理由を全く察せられないクロトもクロトだ。
とノエルを含めたクラスの大多数の意見だった。
本人の目の前で地雷を華麗に踏み抜き、あまつさえ、ミレイに言い寄られているのだ。
クラスの心が一致団結し、『早く謝れよ!!』とクロトに無言の圧を発している。
そんなクラスメイト達にノエルは「あはは……」と苦笑を浮かべていた。
(助けてくれる……人は、誰もいねぇのかよ)
クロトは観念して、視線をミレイに向ける。
「……わかりましたよ、授業はまじめに受けます」
「……仕方ありませんわね」
ミレイは「はぁ」とため息を零し、教壇へと戻る。
クラスの空気は険悪なままだが、これもいつもの事。
しばらくすれば元に戻るだろうと、クラスメイト達も視線を教壇へと向ける。
ただ、そんな中、ノエルはまだ心配そうにレティシアとクロトを見つめていた。
「一体、どうしたんだろう……二人とも」
いつものケンカじゃないような気がする。
レティシアはしきりに自分の胸に視線を向け、ため息を零し、クロトはそんなレティシアに気づく様子もなく、ノエルの様子を伺うように視線を時折チラリと向けていた。
「私、何かしたのかな……?」
ノエルは言いようない不安を抱きながら、始まったホームルームへと耳を傾けるのだった。
「皆さん、授業を始める前にわたくしから一つ報告がございますわ」
ミレイはそんな言葉を連ねながら、教科書を教卓に置く。
そして、クラスを見渡し――
「今度の修学研修先をご存知かしら?」
「えっと、まだ……」
一人の生徒がそう零した。
修学研修――魔術の研鑽を積む為にこの学院とは別の魔術関連の施設の見学を行う――言ってみれば旅行のような物だ。
だが、行先はまだ決まっていなかったはず。
クラスの成績に合わせ、行く先が変わるのだ。
ミレイはクスリと笑みを零し。
「実は、わたくしの所有する孤島が研修先になりましたの」
弾むように明るく言ったミレイの言葉に誰もが目を点にする。
そんな中、レティシアが待ってました! とばかりに目を輝かせ、身を乗り出していた。
「今の皆さんの成績なら、わたくしの研究所で勉強するほうがいいと思いましたの。そこでなら、今よりも整った教材を用意できますわ」
「……は?」
「あら、どうかされまして?」
クロトは青ざめた顔を浮かべ、ミレイを睨んだ。
「それ、本当ですか?」
「えぇ、本当ですけど?」
「……わかっているんですか?」
「わかっている? とは?」
顎に指を添え、呆けてみせるミレイにクロトは小さな怒りを抱く。
(わかってるはずだろ……アンタになら)
たった一日で、このクラスに本当の魔術を教えた卓越した手腕を持つ彼女なら。
より高度な魔術を知る事で、このクラスがどうなるかくらい……
魔術の負の側面に飲まれかねない。
それに、まだ早すぎる。
ついこの前まで、本当の魔術を知らなかった連中だ。
この国で一気に力をつけるような事になれば……
魔術に呑まれ、クアトロのように暴走しかねない。
もっと慎重に教えるべきだ。
魔術の危険性を。そして負の側面を。
なのに――急すぎる。
わかってはいてもクロトは反論せずにはいられなかった。
「俺は……反対です」
「何故です? このクラスの実力なら――」
「俺がいるからですよ」
クロトは今日この日、初めてEランクである事を感謝した。
「俺の成績知っているでしょ?」
「えぇ、一応」
「なら、この研修が危険だって事もわかりますよね? 最悪、死にますよ。俺が!!」
「……ッ」
ビシリッ! と親指を自身に向け、クロトは声高々に宣言する。
Eランク――魔術が使えないクロトが居ては、一般人には危険な魔術研究所への研修は出来ない。
いくら筆記での成績が良くても魔術の訓練が出来ないのでは魔術師とは呼べない。
クロトはこの立場を最大限に活用し、ミレイを追い込む。
ミレイは反論する口実が浮かばないのか……冷や汗を滲ませた。
ここぞとばかりにクロトは攻めるッ!
「俺、まだ死にたくないよぉぉぉぉぉぉぉぉッ!! 誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇ!! ママァァァァァァァァァァァッ!!」
クロトは机に突っ伏し、得意の泣き真似を披露。
耳まで真っ赤にして(決して恥ずかしかったわけじゃない!)見事なウソ泣きを続ける。
クラスから憐憫の視線を向けられ、プライドがズタズタに引き裂かれる――が、クロトは涙を流して堪えた。
「お、落ち着いて。落ち着いて下さい、エルヴェイト君……?」
ミレイは焦ったように取り乱し、クロトを宥めようとする。
だが、それは浅慮だ。
泣き真似をしたクロトを止めるなど――そんなの物理的な破壊に打って出るエミナくらいしかいない。
(勝ったな、これ)
クロトは内心ほくそ笑み、勝利を確信する。
クラスメイト達もこんなクロトを放って研修に行きたいと喚かないだろう。
何分、クロトよりも常識がある連中だ。
我儘を通そうとはしないはず――
そんな中、そんな常識を持ち合わせていない少女の一人が声を荒げた。
「クロト、大丈夫」
「……へ?」
クロトの前で胸を張り、ふんッと鼻息を立てる一人の少女。
クロトの従者であるアイリだ。
「私がクロトを守ればいい」
「……お前、何言ってんの? 状況わかってる?」
「わかってる。クロトが弱いから、みんなが困ってるんでしょ? なら、私がクロトを守る。それが私の役目だから!」
「ちッげぇよ!! このバカああああああ!」
クロトはこうべを上げ、アイリを小突く。
お前が守っちゃ意味ねぇだろ!!
クロトの計画に立ち塞がった最大の障害にクロトは我を忘れ、憤慨する。
だが、アイリの一言でクラスの空気が変わった。
「そうだよ……」
「アイリちゃんがいれば大丈夫じゃん」
アイリの実力は誰もが知っている。
それに、アイリの一言を支えるように、クロトの隣から可愛らしい声がクラスに伝播した。
「大丈夫よ。私もクロトを守るから!!」
「お前まで何言ってんの!?」
英雄の再来と称される実力を持っている――と思われているレティシアまでそんな事を言えば――
クロトの我儘など吹き飛んでしまう。
その結果――クロトの抵抗も虚しく、このクラスの修学研修の行先が決定するのだった――
そして、運命の日が訪れる。