死角なし
ライスフィールドが馬運車に乗って温泉施設に向かっていくのと時を同じくして、アキは旦那のサポートと彼の父親の介護のために厩舎から離脱することを検討するようになった。
旦那の家では、以前から父親が認知症で介護が必要だったことに加え、その彼が勝手に外出しては道に迷ったり、旦那の部屋に勝手に入ってはタンスや本棚にある物を取り出したり、自分の物が見つからない時には「お前、隠しただろ?」と攻撃的な口調で旦那に詰め寄ったりした。
結局それは自分の引き出しの中にしまってあったので、どうにか一件落着したものの、旦那の精神状態はかなり追いつめられていた。
その状況を聞いていたアキは何とか介護のサポートをしたいと考えていたが、旦那からは
「こちらは何とかするから、君はライスフィールドを勝たせるために厩舎での仕事に専念してくれ。」
という返事が来るばかりだった。
それを受けて、アキははやる気持ちを抑えて厩舎にとどまり続けたが、不安は消えていたわけではなかった。
(今、家ではどうなっているんだろう。下手に確認を取れば彼に余計な気を使わせるだけだし…。)
そう思いながら仕事をしていた影響か、彼女はいまいち集中力を書いたような仕事ぶりになってしまった。
アキは知る由もないことではあったが、旦那は去年、父親の反対を押し切る形で免許証を返上させ、さらに今年は銀行の口座も凍結させるなどの手続きをしていた。
結果、次々と自分の大切なものを失う形となった父親は、まるで生き絶える日が来るまでただ生きているだけの、いわば生ける屍に近いような状況に陥っていった。
話を厩舎に戻すと、その頃、厩舎に所属している主な馬達の成績は次の通りだった。
5歳馬
・ライスフィールド … 18戦6勝(オープン、重賞5勝)
・ライスパディー … 20戦3勝(1000万下)
4歳馬
・クノイチ … 15戦2勝(今夏から500万下に降級)
3歳馬
・クリスタルコンパス … 6戦0勝(未勝利)
・レインフォレスト … 9戦2勝(今夏から1000万下に降級)
・チェンジザワールド … 8戦1勝(500万下)
2歳馬
・アヴェレジーナ … 間もなく北海道でデビュー予定。
・トランククイーン … 早ければ8月の新潟でデビューする可能性あり。
・ヒストン … まだまだ育成段階。デビューは年末になりそうな状況。。
先月までオープンクラスにいたレインフォレストは1000万クラスに降級したため、現在厩舎でオープンクラスにいるのはライスフィールドだけだった。
ライスパディーはすでにレースで好走することが難しくなっており、このまま馬の将来が危ういという危機感があった。
そこで道脇君が障害の調教をして障害レースを狙おうかというプランを打ち出した。
障害の経験があるのは道脇君だけなので、そうなれば彼の仕事量が増えてしまうが、馬のためにもやらせてほしいと名乗り出た。
「分かった、ミチ。障害はオーバーアゲイン以来となるから久しぶりだが、頑張ってくれ。」
「はい、ヨシさん。任せてください。」
善郎からの許可が下りると、道脇君は喜んで引き受けた。
そして彼はオーバーアゲインの引退以来お蔵入りとなっていた障害調教用の道具を取り出しに行き、久しぶりの障害調教に向けて準備を開始した。
6月下旬、阪神競馬場では宝塚記念が行われた。
レースには14頭が出走し、主な出走馬と人気は次の通りだった。
ソングオブリベラ 2枠2番 1番人気
パースピレーション 7枠11番 2番人気
フォークテイオー 8枠14番 3番人気
トランクロケット 4枠5番 4番人気
シドニーメルボルン 6枠10番 6番人気
グリーンレジェンド(Green Legend、3歳、オス、関東馬) 4枠6番 7番人気
クリスタルロード 1枠1番 8番人気
ソルジャーズレスト 3枠3番 11番人気(これが引退レース)
(※ホタルブクロは調子を落としたため、回避。トランクゼウスは脚の具合がいまいちだったため、回避。トランクミラクルは札幌記念に向かっていった。)
グリーンレジェンドは今年の皐月賞を逃げ切りで制した馬で、ダービーに出走(15着)した後、陣営は何と宝塚記念に出走を表明してきた。
レースはグリーンレジェンドが大方の予想通り、逃げに打って出る展開になった。
ところが同馬は最初の直線で大逃げをしていき、向こう正面では2番手に最大15馬身程度の大差をつけていた。
予想だにしない展開に会場がどよめく中、大本命のソングオブリベラは中段でじっくりと待機して脚をためていた。
クリスタルロードは2番手、パースピレーションとフォークテイオーは4、5番手、トランクロケットはほとんど最後方につけており、ソルジャーズレストは後ろから3頭目を走っていた。
先頭のグリーンレジェンドが4コーナーに差し掛かると、リードは段々縮んでいき、最後の直線に入った時点でペースは明らかに落ちてきた。
グリーンレジェンドは残り300mの時点でリードを明け渡し、代わりにパースピレーションとフォークテイオーが並びながら先頭に立った。
そこからソングオブリベラとトランクロケットが猛然と追い込み、会場からの歓声はより一層大きくなった。
レースは直線一気の末脚を発揮したソングオブリベラがパースピレーションとフォークテイオーを交わしていった。
そして追いかけてきたトランクロケットを振り切り、横綱相撲でレースを制覇した。
レース結果は次の通りだった。
1着 ソングオブリベラ (2分12秒2)
2着 トランクロケット (1馬身1/2差)
3着 パースピレーション (クビ差)
4着 シドニーメルボルン (1/2差)
5着 フォークテイオー(アタマ差)
クリスタルロードは8着、ソルジャーズレストは12着、グリーンレジェンドは大差のシンガリ負け(14着)に終わった。
レース後のインタビューでは、ソングオブリベラ鞍上の久矢君が堂々とした表情で次のように答えていた。
(GⅠ4連勝、おめでとうございますというコメントに対して)
「ありがとうございます。とてもうれしいです。これも支えてくれた皆様やソングオブリベラのおかげです。」
(ソングオブリベラは本当に強いですねというコメントに対して)
「今のリベラは能力のピークを迎えています。正直、負ける気がしませんでした。だから他馬がどのような作戦を立ててきたとしても、自分のレースをすれば勝てると思っていました。」
(天皇賞(秋)を勝てば前年のファントムブレインに続いてグランドスラムを達成するというコメントに対して)
「絶対に達成してみせます。今のリベラならどんな馬の挑戦にも負けない自信はあります。ぜひ応援してください。」
という、力強い言葉を残した。
今のソングオブリベラに死角はない。
長らく低迷してきた関東勢にとって、それはとても喜ばしいことで、翌日の新聞には「関東の救世主」という言葉がおどっていた。
だが、村重厩舎の陣営は、ファントムブレインに続いて、2年も続けてグランドスラムを達成されてたまるかという思いでいっぱいだった。
しかしそのためにはライスフィールドを天皇賞(秋)出走にこぎつけなければならない。
果たして、「関東の星」と呼ばれた同馬は、そのレースに間に合わせることができるのか?




