キセキ
安田記念はいよいよ最後の直線での攻防が始まった。
ライスフィールドは先頭のアブソルートゼロとインノケンティウスのすぐ後ろにつけており、サージングクラウドは4番手の位置からいつ前の3頭を交わそうかと、機会を狙っている状況だった。
中段にいたホタルブクロ、シルバーリリー、トランクロケットも先頭との距離をじりじりと詰めてきていた。
さらにシルバーサイレンスとパーマフロストは馬場の良い大外に持ち出して一気にスパートを開始し、ゴボウ抜きに打って出ていた。
このまま行けばゴール前は多くの馬達が横一線に並びそうな状況だっただけに、目が離せない展開になった。
「ライスフィールドは馬場の荒れた内側を走っていますね。」
「そうなると外を走る馬と比べてちょっと不利かもしれないな。」
「とはいえ、今さら外には出せないし、このまま走るしかないですね。」
葉月、太郎、蓉子は何とか粘り切ってほしいと願いながら会話をしていた。
残り400m。先頭はライスフィールド、アブソルートゼロに加えてインノケンティウスの3頭が並んだ。
(ゴールはまだ先だ。もう少しだけ我慢してくれ。本当のスパートは坂を上り切ってからだ。最後で前の一気にゴボウ抜きにするぞ!)
トランクロケット騎乗の坂江騎手は、ライスフィールド、アブソルートゼロ、インノケンティウスのすぐ後ろからじっと機会を狙っていた。
(Go now, Silver Lily! You’re top favorite. Show your ability to everyone!)←(訳:今だ、行けシルバーリリー!お前は一番人気なんだ。みんなにお前の能力を見せてやれ!)
ベニー騎手は確かな手応えを感じながら坂を上り続けた。
残り300m。ここでライスフィールドがアブソルートゼロとインノケンティウスを交わして先頭に立った。
(あともう少しだ。このレース、絶対勝つぞ!そして秋にはリベラとまた直接対決だ!)
久矢君は先のことまで見越しながら懸命に手綱をしごき続けた。
しかし後ろを走る馬達との差は徐々に縮まってきていた。
「粘り切れるかなあ、ライスフィールド。」
「それは久矢君を信じるしかないです。」
善郎、道脇君は次第に小さくなる差を見ながら、ハラハラしていた。
残り200m。ここで先頭のライスフィールドは2番手で並んでいるアブソルートゼロとインノケンティウス、そして上がってきたサージングクラウドの3頭と4分の3馬身程度のリードを取った。
「頼む、あと200だ!頑張ってくれ!」
「あと少し踏ん張り抜いて!久矢君!」
紅君とアキは大声で叫んだ。
しかしその差をピークに、2番手との差は段々縮まり出した。
外からはシルバーリリー、トランクロケット、ホタルブクロが一斉に迫ってきており、シルバーサイレンスも大外から伸びていた。
残り150m。先頭はまだライスフィールド。しかし後続との差はもうほとんど残されておらず、いつ先頭を明け渡してもおかしくない状況だった。
(くっ…。こうなったらこの馬の勝負根性に賭けるしかない。頑張ってくれ!)
久矢君は歯を食いしばるような表情をしていたが、その思いもむなしく、残り100mの手前で先頭を明け渡してしまった。
残り100m。ここで先頭がシルバーリリーに変わった。インノケンティウスとサージングクラウドも死に物狂いで粘り続けていた。
アブソルートゼロはすでに先頭争いから脱落し、ズルズルと後退していた。
先頭争いの3頭の後ろにはライスフィールド。そのすぐ後ろにはトランクロケットとホタルブクロが迫っており、7番手のシルバーサイレンスもまだ十分に先頭を狙える状況だった。
先頭から7番手まで約1馬身半という大混戦の中、ライスフィールドとサージングクラウドは少しずつ順位を下げており、優勝争いはシルバーリリー、トランクロケット、ホタルブクロ、インノケンティウスなど、段々限られてきた。
『シルバーリリー!シルバーリリーが先頭!しかしここでホタルブクロが来た!交わすか!?交わした!ホタルブクロだ!ホタルブクロ、奇跡の復活ーーーっ!!』
アナウンサーの絶叫の中、弥富さん騎乗のホタルブクロはゴール手前でシルバーリリーを交わして先頭に立ち、クビ差で1600mの闘いに決着をつけた。
『勝ったのは何とホタルブクロ!こんなことが起きるんでしょうか!?去年の宝塚記念で競走中止!あの悪夢のような出来事から11ヵ月!ホタルブクロが奇跡を起こしました!鞍上もあの時と同じ弥富伊予子ーーーっ!!』
アナウンサーが絶叫しながらそう叫ぶ中、ゴール板を通過した馬達はスピードを落としながらクールダウンをしていった。
するとホタルブクロは2コーナー手前で立ち止まり、弥富さんはたてがみにうずくまったまま、なかなか引き返そうとはしなかった。
(馬に何かあったのか?)
(もしかしてまた故障発生?)
ファンの人達が一瞬そう思い、固唾を飲んで見つめる中、アナウンサーは
『弥富騎手、泣いています!泣いています!無理もないでしょう。去年の宝塚記念、自身が乗っていたホタルブクロが競争中止となり、ショックのあまりに泣いていた弥富騎手、今度は勝って泣いています!実に感動的な光景です!』
と言いながら、彼女をたたえていた。
しかし弥富さんはうずくまったまま引き返そうとしなかったため、坂江騎手や久矢君、ベニー騎手にせかされるようになった。
そして2着に敗れたシルバーリリー騎乗のベニー騎手と手をつなぎながら、ようやく引き上げ場に向かって馬をゆっくりと動かし始めた。
ベニー騎手はすぐに手を離したが、弥富さんは涙で前が見えないのか、よれるようにジグザグに引き返す形になってしまった。
「弥富!」、「弥富!」、「弥富!」
会場からは奇跡を目の当たりにしたファンの人達による弥富コールがこだまし、東京競馬場は感動の渦に包まれている状況だった。
安田記念はホタルブクロが1分33秒1のタイムで優勝し、クビ差でシルバーリリー、アタマ差の3着はインノケンティウス、さらにアタマ差でトランクロケット、2分の1馬身差でサージングクラウドと続いた。
一方、シルバーサイレンスは3歳の若さが出たのか最後の最後で脚が止まり、サージングクラウドとハナ差の6着、ライスフィールドは2分の1馬身差の7着、追い上げ不発に終わったパーマフロストは10着、アブソルートゼロは13着という結果に終わった。
引き上げ場の手前でようやく泣きやんだ弥富さんは、馬主さん達や厩舎の人達にもみくちゃにされていた。それは彼らの喜びがいかにすごいものかを表していた。
彼女は一旦は冷静な表情になりながらも、勝利ジョッキーインタビューになると、再び涙があふれ出してきた。
「ホタルブクロ、奇跡の復活です。やりましたね、弥富さん!」
インタビュアーのその発言に対し、彼女は震えるような声で返した。
「ありがとう…、ございます…。去年、私がこの馬を競争中止にしてしまって…、あれから泣いてばかりの時期もありました…。関係者の人達やファンの人達には…、そしてホタルブクロには本当に申し訳なかったです…。」
「でもそのホタルブクロ、奇跡の復活ですよ!あなたが奇跡を起こしたんですよ!」
「私じゃありません。ホタルブクロが奇跡を起こしてくれたんです…。私は…、あの日以来、1年間ずっとこの馬に対して罪の意識がありました。今日乗っていた時も、また故障させたらどうしようという恐怖があって、正直手が震えました。でもホタルブクロはその恐怖に打ち勝ってくれました。そのおかげで私はやっとホタルブクロに許してもらうことができました…。そして私に再びチャンスをくれた関係者の人達には、感謝しかないです…。」
その後も彼女はハンカチで何度も目の辺りをぬぐいながら、どうにかインタビューに答えている状況だった。
インタビューが終わり、画面が切り替わってスタジオの映像になった時には、ゲストの人までもらい泣きしている状態だった。
感動的な結果になった裏で、ライスフィールドの陣営の表情は硬かった。
「村重先生、皆さん、すみませんでした。」
久矢君はそれ以外にかける言葉が見つからず、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「結果は結果。仕方ないです。でもレース中に何か気付いたことがあれば遠慮なく伝えてください。」
「分かりました。では最終レースが済んだら村重先生のところに向かいます。」
久矢君はそう答えると、足早に次のレースの準備に向かっていった。
場内では感動的な雰囲気に包まれたまま表彰式が始まっていた。
ホタルブクロに乗っている弥富さんが顔をくしゃくしゃにしたまま関係者の人達とともに記念撮影をしている中、ライスフィールドの陣営はその光景を悔しそうに眺めていた。
5歳6月の時点におけるライスフィールドの成績
18戦6勝
本賞金:2億950万円
総賞金:5憶870万円
ホタルブクロの成し遂げた前走競争中止から復帰戦でGⅠ制覇は、ゲームで実際に起きたことです。
この時は泣いて喜びましたし、これを基にした今回のエピソードを書いているときにも、僕自身が泣きました。




