第46話 差し押さえられた倉庫
「何度来ても同じだと言うなら、俺たちはどうすりゃいいんだ!」
怒鳴り声は、まだ続いていた。
奥の部屋の扉が半ば開いていて、そこから日に焼けた男たちの背中が見える。三人ほどだろうか。袖をまくった腕は太く、指の節が目立つ。どう見ても職人の手だ。
その向こうで困り果てた顔をしていた役人が、こちらに気づいて慌てて出てくる。
「お見苦しいところをお見せしまして、申し訳ありません」
「いえ……何があったんですか」
役人が答えるより先に、職人たちの中から、赤い髪の男が振り返った。
「あんたは?」
「白鹿の蹄鉄商会の、サイラスといいます」
「……ゲルトだ。大工の頭をしている」
男はそう名乗ると、ひとつ息を吐いた。
「ある商人に頼まれて、アルサス村の村はずれに倉庫を建てていた。着手金は払ってくれたが、屋根組みが済んで中間金をもらう日になっても来やしない。ゼオニカの店を訪ねたら、もぬけの殻だ」
後ろの職人の一人が、吐き捨てるように言った。
「あちこちから金を借りてたらしい。借りるだけ借りて、逃げやがったんだ」
ゲルトが、低い声で続けた。
「建てかけの倉庫は役所に差し押さえられた。売れるまでは、俺たちの工賃も出ねえんだとよ」
……倉庫?
隣を見ると、テオも同じ顔をしていた。
役人が、申し訳なさそうに口を開く。
「差し押さえたのが、つい先日のことでして。売る手はずも、貸し手の方々の取り分の整理も、これからなのです。売れさえすれば、工賃は真っ先にお支払いするのですが……」
役人は言葉を濁した。
ゲルトも、それ以上は言わなかった。
「アルサス村というのは、ジャルミナへ向かう街道の?」
テオが聞いた。
「ああ。街道が川を渡るところにある村だ。ゼオニカからなら、荷馬車で二日だな」
二日。
今の拠点のように、市場で売る荷を置いておく使い方はできそうにない。もし手に入れるなら、別の使い方を考えなければならないだろう。
「その倉庫、どのくらいの広さなんですか」
俺が尋ねると、ゲルトは怪訝そうに眉を寄せた。
「荷馬車を十台入れても、まだ余る」
かなりの広さだ。
「売るとしたら、いくらになるんですか」
役人は、手元の書類をめくってから答えた。
「評価では、今のままで金貨二百三十枚ほどになります。ですが、仕上げにもまだかかりますし、雨ざらしのままでは傷んでいく一方です。早く買い手を見つけたいので、金貨百八十枚でお譲りしたいと考えております」
金貨百八十枚に、残りの工事の分。
今の蓄えで足りるかどうかは、分からない。
テオは黙ったまま、何か考えている。
「一度、見せていただくことはできますか」
「もちろんです。物件の様子も確かめておきたいので、私もご一緒いたします」
「案内なら、俺がする」
ゲルトが言った。
その声からは、さっきまでの荒々しさが消えていた。
役所を出ると、通りはもう薄暗くなっていた。
買うかどうかは、見てから決めればいい。
***
役所の支度が整うのを待って、俺とテオ、役人、それに案内役のゲルトを荷馬車に乗せ、ゼオニカを出た。
荷馬車に揺られること二日。
アルサス村に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。
村のそばには川が流れていて、少し先に橋が架かっていた。
橋を渡っていく荷馬車の姿が、ちらほらと見える。
小さな村の割に、倉庫らしい建物がいくつか目についた。
テオは、荷馬車の上からその様子を眺めていた。
「……ゼオニカに置くことばかり考えていたが、そうとも限らないな」
「どういうことだ?」
「ここなら、ゼオニカからも、ロテアからも、ジャルミナからも荷を集められる。集めた荷を、それぞれ高く売れる街へ回せばいい」
テオの視線が、村の倉庫の方へ向いた。
「ジャルミナの鉄はロテアとゼオニカへ。ロテアの革はジャルミナとゼオニカへ。ゼオニカに入ってくる香辛料やリネンは、ロテアとジャルミナへ。荷馬車は、それぞれの街とここを行き来するだけで済む」
俺は、頭の中で荷馬車の流れを思い浮かべてみた。
今は、どこで仕入れた荷も、一度ゼオニカの拠点に運び込んでいる。
ここに荷を集めてしまえば、拠点に置くのは市場で売る分だけで済む。手狭な悩みも、これで片づく。
「逃げた商人も、同じ話をして金を借りたんだろうな」
テオが、橋の方を見たまま苦笑した。
「計画そのものは、まっとうだったのかもな」
倉庫は、村を抜けた北のはずれにあった。
雨ざらしの骨組みが、西日を受けて立っていた。
壁も屋根もなく、柱と屋根の骨だけが組まれている。
骨組みの間を抜けて、中に入る。
そこで、思わず足が止まった。
真ん中に、柱が一本もない。
「……広いな」
荷馬車をそのまま乗り入れて、中で荷を降ろせそうだ。
「柱を立てなくても、屋根を支えられる組み方だ」
ゲルトが、頭上の梁を見上げて言った。
三角に組まれた木の、ちょうど真ん中から、一本の柱が吊り下がるように伸びている。それが何のためにあるのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「あの商人が、ナジームの港の倉庫ではこう組むと言って、図面を持ってきた。寸法も組み方も細かく描いてあったが、俺たちも初めて組む形でな。分からんところは、何度も組み直した」
「大丈夫なんですか」
「正直、組む前は俺たちも半信半疑だった。だが、組み上げて上に乗ってみたら、びくともしなかった」
そう言うゲルトの声は、どこか誇らしげだった。
その間に、テオは倉庫の中を歩き回っていた。
基礎の石を確かめ、柱の根元にしゃがみ込み、指で木肌を押している。
「いい木を使っている。組みも、しっかりしているな」
テオの言葉に、ゲルトがそばの柱に手を当てた。
「差し押さえられてから、ずっと手を止めたままだ。このまま放っておけば、雨で傷んでいく」
ゲルトは、屋根のない骨組みに目をやった。
「工賃はもらえない。資材も届かない。それでも、自分たちで組んだものを途中で放り出すのは、どうにも落ち着かなくてな」
「残りを仕上げるのに、何がどれだけ要りますか」
テオが尋ねると、ゲルトは懐から図面を取り出し、指でなぞりながら答えた。
「残りは俺たちの手間賃と、まだ届いていない資材だ。屋根と壁の板が丸ごと要る。それを打ちつける釘と金具、壁を塗る石灰もだ」
テオは図面をのぞき込み、指を折りながら呟いた。
「……仕上げには、まだそれなりにかかるな」
テオがちらりとこちらを見た。俺が頷くと、テオは役人の方に向き直った。
「資材はこちらで揃えなければなりませんし、二日も離れた村はずれの建てかけです。金貨百四十枚でいかがでしょう」
テオは淡々と言った。
役人は少し考えてから、静かに口を開いた。
「貸し手の方々にも、せめて一割はお返ししなければなりません。金貨百五十枚が精一杯でございます」
テオが、俺にだけ聞こえるように言った。
「うちで仕入れて運べばいい。釘や金具はジャルミナで直に買えるし、荷馬車も自前だ。仕上げは、金貨九十枚ほどに抑えられる」
合わせて、金貨二百四十枚。それで、これだけの広さの倉庫が手に入る。
遠さを差し引いても、街外れの土地に一から建てるより、ずっと安い。
「金貨百五十枚で、お願いします」
俺が言うと、テオも小さく頷いた。
役人は鞄から紙を取り出し、その場で仮の証文を書いてくれた。代金を払って正式に引き渡しを受けるのは、ゼオニカの役所でということになった。
証文を懐にしまうと、ゲルトが一歩前に出た。
「続きは、俺たちにやらせてもらえるのか」
「もちろんです。この組み方が分かるのは、ゲルトさんたちだけですから」
「ありがたい。だが、資材がなけりゃ手の出しようがない。あてはあるのか」
「それは、うちで用意します。仕入れと荷運びなら、俺たちの本業ですから」
ゲルトは、しばらく俺の顔を見ていた。
それから、深く頭を下げた。
「……俺たちのために、ここまでしてくれるとはな。この恩は忘れねえ。どこに出しても恥ずかしくない倉庫にしてみせる」
別に、ゲルトたちのために買ったわけではないのだが。
とはいえ、頭を下げたままのゲルトに、それを言い出せる空気ではなかった。
ゲルトが顔を上げると、骨組みの向こうに夕日が沈みかけていた。




