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第1話-1 木の上の少女

 朝。

 けたたましい、目覚ましの音。

 手を伸ばして、時計の上部を叩く。

 止まるアラーム。でも、10分後にまた鳴る。

 完全に停止させるには、本体横のスイッチを切らなければいけない。

 手探りでスイッチを切ると、黒菱晴人(くろびしはると)は眠い体を起こした。

 晴人はあまり寝坊はしないタイプだ。ただ、睡眠時間が短くても問題ないタイプというわけではなかった。


「眠……」


 重たい瞼を光にさらしながら、晴人は布団から起き上がった。

 時刻は7時15分。父親はもう出勤しているから、家にいるのは晴人と母親の二人だけだ。

 トースターに食パンを突っ込んでつまみを回すと、毎朝聞き慣れたジジジという音と共に、電熱線がぼんやりと赤くなった。

 しばらくしてこんがり焼けたパンを取り出し、マーガリンとジャムを塗ってかじりつく。食べ終わって食器を洗うと、晴人は鞄の中の荷物を確認し、身支度をして玄関を出た。

 家から晴人の通う高校までは、おおよそ2.2キロメートル。徒歩約30分のその道のりを、晴人はいつも通り歩み出した。

 天候は晴れ。先週に比べると気温もだいぶ暖かくなってきて、春が少しずつ夏へと変わっていくのがわかる、5月の空だった。

 やわらかい風を受けながら、坂を上って少し下り、高校の校門をくぐった。

 晴人の通う高校は、これといった特徴のない地味な学校だ。最寄り駅から徒歩30分、小高い丘の中腹の、住宅街の真ん中にある。

 受験生への売りは広々とした校舎と大きなグランドだったはずだが、校舎は古いし、グランドは広さを求めた余り形が歪だ。

 丘の上という少々悪い立地に加えて、三つの駅の中間にあってバスの沿線上でもないため、周囲の住宅街に住む生徒以外からは場所について不評な高校だった。

 唯一特徴らしかった小さな噴水も、昨年老朽化のために停止。以来苔と水草に占拠され、池を通り越して小さな沼になりつつあった。

 そんな池を横目に、晴人は昇降口に入り下駄箱から上履きを取り出す。

 靴を履き替えて3階の教室に向かうと、友人はまだ登校していなかった。

 始業まで10分強。少し早く着きすぎたかもしれないと思いながら、机の中から教科書を引っ張り出していると、隣の席の女子グループの会話が耳に入った。


「知ってる? 昨日からうちに転校生来てるらしいよ」

「知ってる知ってる。4組でしょ。どんな子だっけ」

「まだ会ってな~い。うちのクラスに来ればよかったのに」

「しょうがないよ。4組、先月で一人減っちゃたし」

「じゃあ代わりってこと?」

「不謹慎だよ。偶然だって」


 なにやら少し気になる話題だったが、新しい女子が合流してきて、話題は昨夜のテレビ番組に切り替わってしまった。

 時計の針が進み、8時30分。ホームルームの時間になる。それもいつもと変わらない担任の話を聞き流しているとやがてホームルームは終わり、10分ほどして1時間目の教科の教師が入って来た。


「席に着け~始めるぞ~」


 チャイムと同時に緩い号令を先生がかけ、授業が始まっていく。

 ノートと教科書を広げながら、晴人は「ふあぁ」と小さなあくびを一つした。




 一時間目、二時間目と大して面白くもない授業を受け、訪れた昼休み。

 弁当を持っていない晴人は、購買へと向かっていた。

 教室から売り場に向かうには、中庭を突っ切った方が早い。

 庭と言っても中央がコンクリートで固められ、バスケットコートとなっている空間を上履きで横切る。

 いつならそのまま屋根の下へと戻るが、この日は違った。

 校舎に入ろうとしたところで、晴人は足を止める。


「何やってんだあれは……」


 校舎とフェンスの間に植えられた、三本の植木の真ん中。

 校舎の外壁へと葉を伸ばした木の上に、一人の女子が立っていた。

 三階の天井と同じくらいの高さの大きな木。女子がいるのはその中腹のあたりで、なおも上に上ろうとしている。

 女子の体格は小柄で、着ているのは紛れもないうちの制服。

 手を伸ばして跳んでもギリギリ届かない高さの枝に、足を置いている。

 傍から見ていると危なっかしくて仕方がない。

 晴人はいつもの通り道を外れ、校舎裏の手入れのされていない草の中へと足を踏み入れる。


「危ないぞ、何してるんだ」


 木の下まで来て呼びかけると、女子はこちらを振り向いた。


「ちょっと用があってな。気にしないでくれ」


 特徴的な口調での返答が返ってくる。


「気にしないったって、そんなところに上ったら危なくて見てられない。何か引っかかってるなら身長が高い僕の方が有利だ。替わるよ」

「……」


 すると女子は追い払うのをやめ、少し考えるそぶりを見せた後、クイクイと手招きをした。

 晴人は木のコブに足をかけ、木を上の方へと上る。

 大樹には程遠いが、上った木は学校にあるにしては太めの幹と枝を持っており、高校生が二人乗っても軋みすらしなかった。

 太めの枝をつたい、すぐに女子と同じ高さまで上り詰める。

 枝葉に遮られて下からは見えにくかったが、隣に立つと女子の容姿がわかった。

 身長はおそらく150センチ強程度、色白なうえに腕と脚は細めで、運動系ではないことが見て取れる。ブレザーのボタンはきちっと全部留めており、自力で木に上ったにしては綺麗だった。

 髪は茶髪、少し長めのおかっぱに見える。多分、何か片仮名の名前が付いた髪型なのだろうが、晴人は女子の髪型に詳しくないため、それが一体どんな名前を持つヘアスタイルなのかはわからなかった。

 顔は高校生にしては少し幼く見えるが、表情が大人びていて、近くで見るとむしろ年上に見えてくる。

 綺麗な長いまつ毛、すっきりと通った鼻筋、落ち着いた色の瞳。十人が見れば、最低九人は美人と言うような美形だった。

 可愛い顔というよりは、どちらかというと美男子寄りの顔立ちである。西洋人形に例えることもできるだろう。


「なんだ。人の顔をじろじろ見て」

「いやべつに。取りたいものはどこに引っかかってるんだ?」


 女子は答えず、晴人の足元の枝を指差す。

 晴人の立つ枝は根元のほうでY字に分かれており、比較的安定する立ち位置だ。


「ちょっとしゃがんでくれたまえ。それで、幹にしがみ付いて姿勢を安定させるんだ」

「こうか?」


 言われた通りに膝をついてしゃがむと、女子はささっと靴を脱いで晴人の肩に足を乗せた。

 肩にぐっと重さが乗る。

 女子はそのまま晴人を足掛かりにし、体の高さを上げた。


「おい、僕は踏み台になるために来たんじゃないぞ。危ないから下りろって」

「今私の安全を握っているのは君だ。しっかり体を固定していないと私が落ちるぞ」


 女子は晴人の肩に両足を乗せた状態で、校舎の方へと体を向ける。

 木に近い校舎の壁には窓があり、どうやら関心があるのはその窓のようだった。


「さてと……」


 何やらぶつぶつ言いながら体の位置を変え、ごそごそと木の上の方で何かをやっている。

 肩の重みが増えたり減ったりしたかと思えば、枝の伸びる方へ身を乗り出したため、晴人が女子の真下になった。スカートの中が視界に入りそうになり、慌てて顔を伏せる。


「まだか」

「もう少し……よし。いいぞ」


 頭上から声が聞こえると、急にふっと肩が軽くなった。


「え?」


 慌てて上を見ると、そこには誰もいない。落ちたのかと思い木の下に視線をめぐらすと、地面に屈んで靴を履いているのが目に入った。


「この高さから飛びおりたのか……しかも靴下で……」


 枝の高さは二階の窓より少し低いくらい。靴も履かずに飛び降りるなど、身軽の一言では説明が付かなかった。


「それにしても、何をやってたんだ」


 好奇心に駆られ、背筋を伸ばしてさっきの女子と同じ高さに目線を持っていく。

 木の側の窓の向こうは、ただの昼休みの教室だ。

 中の女子とばっちり目が合ってしまう。


「やべ」


 すっと身を引っ込めるのとほとんど同時に、木の下から声がかかった。


「あなた、なにをやってるの。すぐに下りてきなさい」


 下に立っていたのは、晴人の学年の学年主任。

 己の悲惨な状況を心の中で嘆きながら、晴人は慎重に木を下りていった。




 午後の授業もいつも通り退屈だった。六時限目が終わると、帰宅部の生徒が下校を始める。晴人もその一人で、荷物をまとめて昇降口へと向かった。

 憂鬱な気分のまま靴を履き替えて校舎を出ると、下校する生徒の波の中から近づいてくる人物がひとり。


「よう。元気か」


 戌倉一。中学からの晴人の親友で、数少ない友人だ。

 170センチの晴人とほぼ変わらない背丈。野球部員を思わせる丸刈りは、半年前まではそれが事実だったことによる。

 怪我で入院して、運動を医者に止められて退部。今は晴人と同じ帰宅部だ。足首の怪我は、全力疾走を繰り返さない限り問題ないらしい。


「いや」

「昼休みまでは元気だったのにな。すくなくとも木にはのぼるくらいに」

「言うな」


 あのあと、教師からは小言で済んだものの、晴人が教室を覗いていたということが地味に広まってしまい、しまいに「覗き」という言葉がひとり歩きをして、同級生からやや不名誉な印象を持たれていた。

 元凶であるあの女子に関しては一切噂にならず、晴人は単独犯扱いだ。


「先に上に女子が居たんだよ。手伝えって言われて僕ものぼったら、いつのまにかその女子はいなくなってた」

「へ~。お転婆な女子もいたもんだな」


 信じているのかいないのか曖昧な返答。だが、晴人が覗き魔でないことは信じてくれているようだった。


「一は知らないか? 長めのおかっぱでブレザーの前を閉じた、小さめの美人なんだけど」

「お前がそう言うってことは中々の美形なんだろうが、あいにく知らないな。背が低くて木登りができる美人」

「そうか」


 一は顔が広い方だ。その一が知らないということは、学年が違うのか、それとも普段から木に上るような人物ではないのか。

 考えながら歩いていると、晴人と一の通学路の分岐点に差し掛かった。


「じゃあな」

「ああ」


 手を振って別れる。ここからは晴人ひとりの下校ルートである。

 家までは一直線の大通り。

 しばらく歩いて、晴人は車道の反対側に見覚えのある人物を見つけた。

 小柄な背丈に、綺麗な黒髪。

 昼休みの木の上の女子だった。

 晴人よりも10メートルほど先を歩いている。


「噂をすれば影が立つ、か……」


 晴人はタイミングよく青になった信号を渡り、速足で女子に追いついた。

 こちらが声をかける前に、女子が振り向く。


「なにかと思えば昼間の君か。昼間は助かった。だが、今は取り込み中だ」

「助かったって、僕は覗き扱いされてるんだぞ」

「客観的事実だな」

「だとしても、単独犯扱いなんだって」

「私はただちょっと仕掛けをしていただけだ」

「仕掛け?」


 彼女は晴人の疑問には答えず、そのまま歩き続ける。


「仕掛けってなんだよ」

「君には関係ないことだ」


 そこで、晴人は彼女が前方の女子と一定の距離をとって歩いていることに気が付いた。

 前を歩く女子には見覚えがある。昼間、窓の向こうに居た女子。

 晴人の横を歩く少女は、どうも女子を尾行しているようだった。


「あの女子、なんかあるのか?」


 率直に疑問をぶつけてみる。


「おおありだ。危ないから君は引き返した方が身のためだぞ」

「危ないって、喧嘩でも吹っ掛ける気か?」

「私がそんな血気盛んな武闘派に見えるのか」


 ごもっともだ。しかしこの場で、それ以外に危険なことというのもあまり思いつかない。


「じゃあ何が危険なんだよ」

「詳しくは言えん」

「僕が危険なら、えっと……」


 そういえば名前を聞いていないのを思い出す。


眞玄(まくろ)だ」

「眞玄さんも危険なんじゃないのか? あ、僕は黒菱。黒菱晴人」


 晴人も人のことは言えないが、変わった名字だ。


「さんは要らん」


 晴人の質問を軽く無視して、眞玄と名乗った少女は歩き続けた。

 気付くと、道は大通りから逸れ、周りはトランクルームのコンテナばかりになっている。

 車の音が遠くなり、人も晴人と眞玄と前の女子の三人だけになる。

 不意に前方の女子が足を止めた。

 それに合わせて眞玄も立ち止まる。

 距離、およそ10メートル。

 そこになにか変な雰囲気を感じ、眞玄に話しかけようとしたとき、異変は起こった。

 前から、重い空気が流れてくる。

 気のせいではない。

 比喩ではなく、本当に動きの鈍くなるような空気。

 源流は眞玄よりももっと前。立ち止まった女子だ。

 空気どころか邪気や妖気とでも言うべきものが、女子からは流れ出ていた。

 重く、黒く、穢れた空気。

 それは晴人を足の方から侵していって、気付けば周囲はその空気で支配されていた。

 まるで水槽の中に閉じ込められたみたいだ。

 足が、動かない。

 眼球が渇いて、視界が傾く。

 息苦しくなり、意識しなければ呼吸が止まってしまいそうだった。


「仰々しいな。威嚇のつもりか?」


 水が入ったみたいに聞こえづらい耳の向こうで、声が聞こえる。

 眞玄の声だと分かるまでに若干の時間がかかった。


「今度こそは消えてもらおう。その身体の持ち主のためにも、周囲の人間のためにも」


 精一杯首を動かして、晴人は邪気の根源に顔を向ける。

 そこにいたのは、人ではなかった。

 黒い影。

 比喩ではない。

 制服を着た真っ黒な人型が、そこには立っていた。

 炎のように揺らめく輪郭。

 火を真っ黒に塗り潰したみたいだ。

 不明瞭な姿とは裏腹に、その影は異様な存在感を放っていた。

 眞玄が足を踏み出す。

 一歩。二歩。距離が着実に縮まっていく。

 重い空気の濃度が増した。

 濃い邪気が波のように押し寄せ、晴人は一瞬気を失いそうになる。。

 対する眞玄は、この空気を全く感じていないかのように平然としていた。


「危ないってのはこのことか……」


 晴人はなんとか気を保ち、対峙する二者を見据える。

 先に動いたのは影だった。

 無駄な動きなどなく、一直線に眞玄に向かって飛びかかる。

 重なる二者。

 晴人が声を発する間もなく、勝負は決していた。

 両手を広げたまま、硬直する影。

 重心を落とした眞玄の拳は、影の胸部を確実に捉えていた。

 そして、数秒間の沈黙の後、影のその容姿は変容した。

 墨の付いた筆を水につけたときみたいに、黒い煙が影から溢れ出る。

 それが霧散して、あとに残ったのはただの女子の身体だった。

 ぐたっと女子の身体から力が抜け、眞玄に覆いかぶさる。

 そこで、晴人ははじめて邪気がなくなったことに気づいた。


「かはっ、げほっげほっ」


 息苦しさから解放され、膝に手を突いて酸素を体に取り込む。手足に実感が戻り、晴人は体の自由を取り戻した。


「まさか立っていられるとはな」


 顔を上げると、眞玄が晴人の方に向き直っている。女子は地面に寝かされていた。


「だから危ないと言ったのだ。命まで取られることはないにせよ、実に無知で無茶で無謀な行動だな」

「眞玄は、なんで平気なんだ」

「君と同じだよ。まあ、君の不完全なものとは違うがな」

「僕と同じ……?」

「対邪の保護術式だ。知っているだろう」

「何のことだ、それ」


 事が掴めないままそう返すと、眞玄の表情が真剣なものになった。


「保護術式を知らないだと? バカな、保護なしであの邪気に耐えられるはずは……」


 眞玄の顔は懐疑に満ちた表情へと変わり、こちらへと歩いてくる。

 そのときだった。

 眞玄の背後に、ゆらり、と焔が立った。

 ぼやけた輪郭。黒い煙。

 制服を着た、黒い影。

 晴人の視覚は、それが数秒前に消えたあの陰だと訴えていた。

 眞玄は気づいていない。

 影が殺気立ち、邪気が広がるよりも早く、その両手が眞玄の首元へと伸びる。


「っ!」


 眞玄が振り向くのと、飛び出した晴人が眞玄を押しのけるのは同時だった。

 ガッ。

 駆け出した姿勢のまま、影の手を左腕で受け止める。振り払うつもりだったが、強い力で腕を摑まれた。

 変な感触だ。掴まれても相手の体温を感じない、でも何かが浸透してきて、腕に悪寒が広がっていく。


「ぐっ」


 考える暇などなく、晴人は直感で、右手で影の顔面を殴りつけた。

 ドカッ。

 思いのほか人間の頭に近い感触。影はよろめき、晴人の腕を離して後退する。

 すかさず、晴人の脇から小さな人影が飛び出す。

 眞玄だと気づいたときには、彼女はすでに掌を影の腹部に押し付け、影はその動きを止めていた。

 ゆっくりと姿が女子に戻っていく。

 それを見て安心していると、眞玄はキッと晴人を睨み付けた。


「君は死ぬ気か! 普通の人間が触れていいものじゃないんだぞ!」

「ご、ごめん」

「見せろ」


 怒りをあらわにする眞玄が、ずかずかと歩いてきて、晴人の手首を掴んで引っ張る。

 しかし、影に掴まれたところを見た眞玄は、次の言葉を紡がず暫し停止した。


「あの黒い影、そんなにヤバいものなのか?」

「……その前にひとつ。君、さっきの影が何か知っているか?」


 眞玄の声色は怒りの消えた、静かなものになっていた。


「全く。あんなの初めて見たし、あれが何なのかも全然知らない」

「そうか」


 そう言うと、眞玄はポケットからメモ帳サイズの紙を取り出し、びっと突きつけた。


「一応貼っておけ。掴まれたところに」


 紙はやや年季が入っていて、毛筆で数行文字が書いてあるが、草書体で読めない。裏面はシールになっていた。言われたままに地肌に貼り付ける。


「さてと」


 眞玄はそう言うと、側のガードレールに腰掛けた。


「まあ、教えておいてやるか」

「何を?」

「さっきの黒い怪物についてだ。あれは魔霊と言って、まあ分かりやすく言えば人に憑りついて宿主を殺す悪霊だ」

「妖怪なんかの類か?」

「違うな。存在が不明確な妖怪と違ってはっきり実在するし、何よりその由来が内因性だ」

「由来?」

「人の悩みだよ。人間が耐えがたい苦悩に苛まれた時、時としてその苦悩は体を乗っ取る。その結果がさっきのあれだ。身体は黒い影に包まれ、人を傷つける邪気を振り撒く」

「眞玄は、それを治せる医者みたいなものなのか?」

「見方によってはな。ただ魔霊というのは医者の診る患者と違って、周囲の正常な人間に危害を加えることも多い」

「それを防ぐのが眞玄の目的ってことか」

「そういうことだ」


 つまりは、眞玄は一般人を魔霊から守っているというわけだ。


「でも、眞玄はそんなのと戦って大丈夫なのか?」

「私はちゃんと防護をしている。ただし、そうでない一般人なら近づかれるだけで気絶、触れられでもしたら大怪我だ」


 晴人は慌てて自分の腕を見る。

 一通り動かしてみたが、痛みも痺れもなく、何の不調もなかった。


「問題ないだろうな。十中八九君は、魔霊への耐性を持っているのだろう。それも恐らくは先天性の」

「そんなことがあるのか」

「私だってにわかには信じられないがな。邪気への打たれ弱さに個人差があるのは確かで、ともすれば打たれ強い人間もたまにはいるのだろう。一種の特異体質だな」

「へえ」


 なかなか心躍る特性を持って生まれたものだ。別に魔霊に用はないが、常人にはない能力を持っているというのはそれだけで心地が良い。


「言っておくが、耐性があるだけで無敵ではないからな。あの魔霊がもっと攻撃的だったら、君は今頃どうなっているかわからん。次に魔霊に遭ったら大人しく逃げるんだな」


 晴人の内心を察知したのか、眞玄はたしなめるように言った。


「対処できるのは眞玄だけなのか?」

「別に私特有の能力ではない。が、この街の管轄は私だ。ここの魔霊は、全て私が対処する」


 そう言う眞玄は、心なしかどこか誇らしそうに見える。


「説明はこれで以上だ。そこの女子を交番にでも届けておいてくれたまえ。それと、もしも万が一何かあればここに」


 眞玄はガードレールからおりると、カードサイズの紙切れを晴人に渡して、すたすたと歩いていく。

 貰った紙を見ると、それはエンボスの入った簡潔な白い名刺で、電話番号が書かれていた。

 中央には名前も印刷されている。

 ──舘石眞玄


「眞玄って、下の名前かよ……」


 晴人がそう呟いた頃には、眞玄はもう立ち去ったあとだった。

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