第1話 【夏】色のない朝、青い始まり
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まだ、世界に色はついていなかった。
午前五時。枕元の時計が小さな音を立てる前に、目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む光は、白とも灰色ともつかない曖昧な色で、部屋の隅に溜まった夜の名残をゆっくりと溶かしている。
僕は軽く身支度を整え、散歩に出かける準備をした。
玄関を開けると、そこには濃密な「静寂」が町を包み込んでいた。アスファルトはまだ夜の冷たさを微かに残し、坂道はどこまでも白く、ぼんやりと上の方へと伸びている。
一歩、また一歩と坂を登る。
ふいに、背中の方から射し込んだ日の光が、誰かの家の窓ガラスに反射して弾けた。それを合図にしたかのように、世界がゆっくりと、深く、夜の夢から覚醒していく。
「……ふう」
坂の途中で足を止めると、じわりと肌が汗ばんでいるのが分かった。しかし、そこへ坂の上から吹き抜けてきた風が、首筋の熱をさらっていく。その心地よさに目を細め、僕は再び歩き出した。
いくつもの坂を越え、一番高い見晴らし台に辿り着いたときだった。
淡い朝日の向こう側に、その姿はあった。
雪のない、真っ黒な肌を剥き出しにした富士山だ。冬の華やかさはないが、夏の富士には、そこでじっと息をひそめているような、荒々しくも静かな力強さがある。
その静寂を切り裂いたのは、一匹の蝉の声だった。
ジジッ、と短く鳴いたその声を追いかけるように、駐車場の砂利を踏む車の音、遠くの高速道路を走るタイヤの摩擦音、目の前の道路を通っていく車の音が、層になって重なっていく。
名前も知らない誰かの家の窓のシャッターが大きな音を出して開き、それに続いて、また別の家でも窓のシャッターを開けていく音がする。
風が変わった。
どこかの家の窓から、トーストの焼ける香ばしい匂いと、味噌汁の出汁の香りが混じって運ばれてくる。近くを流れる川のせせらぎが耳に届き、名もなき草花の独特の匂いが、鼻をくすぐる。
「おはよう」
電柱に止まった小鳥たちが、互いに挨拶を交わすように鳴き交わしている。
気づけば、額から一筋の汗が頬を伝って流れ落ちた。
見上げた空は、もう「色のない」場所ではなかった。抜けるような青が広がり、ぎらぎらとした太陽が本格的な夏の始まりを告げている。
少しのどが渇いてきたので、自販機で飲み物でも買うとしよう。
ポケットに入っていた小銭を出した。合わせて165円、目の前にある自販機で一本、スポーツドリンクを買った。
手に持つと、冷たくて気持ちがいい。少し首元にあててから、キャップを開けて喉へ流し込む。
「ぷはー!!」
思わずそんな声が出た。キンキンに冷えて体の芯から冷やしてくれるような感じだった。
僕のポケットには、5円玉が一枚余っていた。
最後に近くの神社にお参りしてから帰ることにした。さらに坂道を上り、橋を渡った先に、森の中にある小さな神社にたどり着いた。そこで賽銭5円を入れて、よい1日、よい夏休みが過ごせるように願った。
僕は深く息を吸い込み、今来た橋を渡り、坂道を下り始めた。
特別なことは何もない。けれど新しい、今日という一日が始まろうとしていた。
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