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Article 9 永遠の愛 — それは福音なのか、呪文なのか!?  作者: あみれん


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第三十七話 遠景

1.依頼者の呼称


本作に登場する九条斎のビジネスは、

その性質上、外部には決して明かされない複数の“進行ステージ”を持つ。

クライアントは取引の進度に応じて、

九条とミナトの内部で、以下のように呼び分けられている。


サービスの具体的な内容は作中で徐々に明らかになる。

ここでは名称と、その段階が示す“抽象的な意味”のみ記す。


〈λ段階:ラムダ〉— 仲介直後の潜在顧客


仲介組織を通じて紹介された直後の段階。

動機は不明瞭で、価値も未定義。

ラムダ段階の者は、まず“ここに来た理由”そのものが精査の対象となる。

ミナトはこの段階のクライアントを特に厳しく見極める。


〈α段階:アルファ〉— 選別を通過した有資格者


九条のビジネスにおいて“一定の価値を持つ”と判断された段階。

依頼者の動機が純度を保ち、意図が明確であることが条件とされる。

アルファに至ったクライアントのみが、次の段階へ進むことを許される。


〈β段階:ベータ〉— 初期実行工程へ移行した者


具体的な作業に入り始める段階。

ベータへの移行は容易ではなく、アルファの中からさらに選別される。

この段階では、クライアント側にも一定の“覚悟”が求められる。


〈γ段階:ガンマ〉— 最終調整・仕上げに入った者


取引の核心に触れつつある段階。

ガンマに至るクライアントは極めて少なく、

慎重な監視と調整が行われる。

実行プロセスはほぼ最終局面にあるとされる。


〈Ω段階:オメガ〉— 特異案件(九条専権)


九条斎のみが扱う特別な分類。

一般のクライアントとは異なり、

ビジネス上の価値という枠を超えた“特別な意味”を持つ。

その詳細はミナトにも共有されず、

オメガに至った案件が何を意味するのかは作中で徐々に明かされる。


◆【補記】


この階層体系はあくまで九条斎の内的な分類であり、

外部には一切公開されない。


段階は技術的な進度だけでなく、

クライアントの動機・覚悟・倫理的負荷・

そして“取引を成立させるに値するか否か”を示している。


この分類は、

物語の根底に流れる「価値とは何か」「存在とは何か」

というテーマとも密接に結びついている。


2.仲介組織について

《ミトコンドリア》──

それは、九条のビジネスを外側で支える仲介組織である。


ただし、一般に想像される“組織”とは異なる。

上下関係も、拠点も、名簿も存在しない。

構成員同士は匿名化された端点どうしで結ばれ、

必要な時だけ一時的に接続される。


その姿は、階層を持たないアメーバ状のネットワーク。

部分を切り離されても全体は崩れず、

事故が起きれば“その部分だけ”を即座に切断し、痕跡を残さない。


情報はチェーン化された経路を通って流れ、

誰がどこにいるのかさえ、構成員同士ですら知ることがない。

あるのは“つながり”だけ。

誰もが断片であり、全体であり、そして代替可能である。


ミトコンドリアの役割はただ一つ。

九条のもとへ、条件を満たした候補者──ラムダを運ぶこと。


それがどれほど危険で、どれほどの代償を伴うかは、

候補者自身が最終的に知ることになる。

フリーランチャー研究所・一階オープンオフィス。

メイコは、デスクのドロワーから取り出したVRゴーグルを、リサの前にそっと置いた。

続けて、もう一つ――透明な薄膜を、紙のように軽く折りたたんで差し出す。


「これも」


リサは受け取る。

透明だ。フィルム。

光を受けて、縁だけがわずかに虹色に滲む。厚みは名刺より薄いのに、指先に返る感触は紙より硬い。


「……何ですか、これ」


メイコはリサの手元を見ないまま言った。


「フレックス・シート」


リサはシートを広げる。

何も映らない。

ただ透明な膜が、オフィスのグランドキャニオンを映すスクリーンの光を受けて、かすかに揺れているだけだ。


「端末よ」


「……端末?」


メイコは、同じものを自分の前で一度だけ持ち上げた。

そして、透明な面を指で軽く――二回、タップした。

ピン、と音が鳴った気がした。

音源は分からない。

だが次の瞬間、シートの表面に薄い文字列が浮かび上がる。


《FLEX SHEET // AUTH》

《USER: TAMURA_MEIKO》

《MODE: LINK》


発光ではない。

投影でもない。

透明の中に“染み出す”ように、情報が現れている。


「……」


リサが息を呑むと、メイコは言った。


「触り方でモードが変わる。折ると分割。丸めるとスリープ。握るとロック」


リサは半信半疑で、端を少し折り曲げる。

すると、画面が二つに割れ、左側に小さなウィンドウが生まれた。


《GOGGLE》

《NOMADORS》

《LSP》

《SECURE LOG》


右側には、地図のようなもの。

研究所のフロア構成を示す六層のスタックが表示されていた。


1F

2F

3F

B1

B2

B3


それぞれの階層の横に、薄い鍵のアイコンと、緑の点滅。


「凄い……これ、紙みたいに……」


リサが小声で言うと、メイコは頷いた。


「紙みたいに扱える端末。紙だからこそ、誰でも使える。誰でも“端末の存在”を意識しなくて済む。"モバイル"という言葉はもう死語ね」


リサはその言い方に、少しだけひっかかった。


“誰でも”。


この研究所に入る人間に、そんな言葉は似合わない。


「ゴーグル、装着して」


メイコが言う。

リサはゴーグルを手に取った。軽い。硬質な黒。

内側に柔らかい素材が貼られている。


リサがゴーグルを装着すると、視界が一瞬だけ暗転し、

次の瞬間、現実のオフィスが、そのまま拡張された形で立ち上がった。

リサが試しに、ゴーグルの前に手を翳す。

視界の中に、

自分の手と同じ形をした、半透明のモデルが表示された。


「そのまま下を見て」


メイコの声。

視界の下部に、細いタスクバーが浮かび上がる。

アイコンが、いくつか並んでいる。

リサは、空中の“手”で、その一つをタップした。


《Flex Sheet》


その文字と同時に、

視界の中央に、半透明のシートが展開された。

まるで、空中に広げられた、折れるタブレット。

リサが指でなぞると、

シートは、紙のように自然に追従する。


「それがフレックス・シート。

 物理と仮想、どっちからでも同じ操作になる」


「まず、ノマドアーズを見せる」


メイコが言う。

リサは、シートの左端にある《NOMADORS》をタップした。

次の瞬間、

視界の右下に、小さなステータスウィンドウが浮かび上がる。


《NOMADORS // READY》

《LAT: 8ms》

《ROOM: OPEN_OFFICE_1F》


同時に、

現実のオフィス風景の上に、

薄いARのガイドラインが重なった。


床には、通路を示すライン。

椅子やデスクの輪郭が、淡い線でなぞられる。

誰も座っていない席の上には、

半透明のラベルが浮かぶ。


《VACANT》

《HOT DESK》


まるで、

現実の空間そのものが、

“操作可能なマップ”に変換されたようだった。


「ノマドアーズは、完全仮想のVRと、LSP、Live Streaming Projectionと呼ばれる現実同期のライブVRを両方持ってる」


メイコの声が、少しだけ違って聞こえた。

距離感が変わる。

VRゴーグルは骨伝導スピーカーを備えている。


「完全仮想は――あなたが知ってる“メタバース”。自由に作る世界。ゲルも、海底も、宇宙船も」


メイコが続ける。


「でも今から見せるのは、LSP」


リサはシートを見た。


《LSP》の横に、鍵のアイコンが点滅している。


「LSPは“現実”を運ぶ。いま、この研究所で起きていることが、そのまま同期される」


「ストリートビューみたいに?」


「似てる。でも、固定撮影じゃない。歩ける。覗ける。角度を変えられる。……現実と同じように」


メイコが一拍置く。


「ただし、“同じ”に見えるように、膨大な処理をしてる」


リサの指が《LSP》に触れた。

切り替えは、一瞬だった。

視界が二重になる。

現実のオフィスが、ほんのわずか“遅れて”追随する。

椅子と机の輪郭が、微細な粒子になって再構成され、すぐに実体に戻る。


《LSP // CONNECTING》

《EDGE NODE: 1F_CORE》

《STREAM: VOLUMETRIC》

《MAP: SLAM_SYNC》


「……今の、何」

リサが言うと、メイコは淡々と答えた。


「再投影」


「再投影?」


「現実をそのまま送るんじゃない。現実を“点群”にして、骨格を作って、表面を貼り直して、遅延を削ってる」


リサは視界の端に、薄いグリッドが走るのを見た。

床に見えない座標軸。

空間が、計測されている。


リサの視界の中で、メイコの“背中”が出現した。

メイコの背中をしたアバターではない。

現実のメイコが、そのままそこにいる。

衣服の皺の陰影まで、ライブに一致している。


「ついてきて」


メイコが歩き出す。

リサも反射的に、一歩を踏み出した。

だが――身体は動いていない。

座っている。

椅子に腰掛けたままだ。

なのに視界だけが、歩いた分だけ前に滑る。

リサは自分の手を見た。

現実の手は膝の上にあるはずだ。

だが視界の中では、手が“前にある”。

透明な手。

手袋のように薄い輪郭。

指を曲げると、遅れなく曲がる。


「……これ、私の……」


「あなたの動きを読む。ゴーグルのIMUと眼球トラッキング。座ってても歩ける。移動は“視点”でやる」


メイコが説明する。


「現実の研究所には、各階にLSPの撮影ノードがある。天井に見える黒い点――あれ。カメラだけじゃない。深度と距離、熱、音、電波環境も拾う」


「音も?」


「拾う」


リサの視界に、薄い警告が出る。


《LSP ACCESS RULES》

《AUDIO: RESTRICTED》

《TEXT: RESTRICTED》

《BIO: RESTRICTED》


「あなたは今日、見学モード。見えるのは空間と動線。音は拾えない。人の情報は、最小限」


メイコが振り返らずに言う。


「ここでは、情報管理はすべてAIが担っている。

VRゴーグルの操作も、フレックス・シートの制御も、例外じゃない。

あなたが何を見るか、どこまで触れるか。

それを決めているのは、私じゃない。

——AIよ。

今のあなたは、AIにとってただの“見学者”なの」


リサは、メイコの歩く背中を追いながら、この淀みなく密閉された完璧な世界に圧倒されている自分を自覚していた。


(そう、今の立花栞はただの"見学者"。

 見たことのないこの世界に圧倒されているただの"見学者"。

 でも、これまでの自分も最初はいつも見学者だ。

 だから、やる事は変わらない。

 事実を拾い、起きた順に並べ、ノイズを拾い、そのノイズの向こう側にあるモノを発掘する。

 きっと、あの研究所爆破の映像に映り込んでいた"N...T..."の文字列。

 それを覆っているノイズが、この中にどこかに燻っているはず)


リサは、メイコがVRゴーグルをリサに手渡す時に漏らした小さな微笑みを思い出していた。

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