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Article 9 永遠の愛 — それは福音なのか、呪文なのか!?  作者: あみれん


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第三十話 起点

1.依頼者の呼称


本作に登場する九条斎のビジネスは、

その性質上、外部には決して明かされない複数の“進行ステージ”を持つ。

クライアントは取引の進度に応じて、

九条とミナトの内部で、以下のように呼び分けられている。


サービスの具体的な内容は作中で徐々に明らかになる。

ここでは名称と、その段階が示す“抽象的な意味”のみ記す。


〈λ段階:ラムダ〉— 仲介直後の潜在顧客


仲介組織を通じて紹介された直後の段階。

動機は不明瞭で、価値も未定義。

ラムダ段階の者は、まず“ここに来た理由”そのものが精査の対象となる。

ミナトはこの段階のクライアントを特に厳しく見極める。


〈α段階:アルファ〉— 選別を通過した有資格者


九条のビジネスにおいて“一定の価値を持つ”と判断された段階。

依頼者の動機が純度を保ち、意図が明確であることが条件とされる。

アルファに至ったクライアントのみが、次の段階へ進むことを許される。


〈β段階:ベータ〉— 初期実行工程へ移行した者


具体的な作業に入り始める段階。

ベータへの移行は容易ではなく、アルファの中からさらに選別される。

この段階では、クライアント側にも一定の“覚悟”が求められる。


〈γ段階:ガンマ〉— 最終調整・仕上げに入った者


取引の核心に触れつつある段階。

ガンマに至るクライアントは極めて少なく、

慎重な監視と調整が行われる。

実行プロセスはほぼ最終局面にあるとされる。


〈Ω段階:オメガ〉— 特異案件(九条専権)


九条斎のみが扱う特別な分類。

一般のクライアントとは異なり、

ビジネス上の価値という枠を超えた“特別な意味”を持つ。

その詳細はミナトにも共有されず、

オメガに至った案件が何を意味するのかは作中で徐々に明かされる。


◆【補記】


この階層体系はあくまで九条斎の内的な分類であり、

外部には一切公開されない。


段階は技術的な進度だけでなく、

クライアントの動機・覚悟・倫理的負荷・

そして“取引を成立させるに値するか否か”を示している。


この分類は、

物語の根底に流れる「価値とは何か」「存在とは何か」

というテーマとも密接に結びついている。


2.仲介組織について

《ミトコンドリア》──

それは、九条のビジネスを外側で支える仲介組織である。


ただし、一般に想像される“組織”とは異なる。

上下関係も、拠点も、名簿も存在しない。

構成員同士は匿名化された端点どうしで結ばれ、

必要な時だけ一時的に接続される。


その姿は、階層を持たないアメーバ状のネットワーク。

部分を切り離されても全体は崩れず、

事故が起きれば“その部分だけ”を即座に切断し、痕跡を残さない。


情報はチェーン化された経路を通って流れ、

誰がどこにいるのかさえ、構成員同士ですら知ることがない。

あるのは“つながり”だけ。

誰もが断片であり、全体であり、そして代替可能である。


ミトコンドリアの役割はただ一つ。

九条のもとへ、条件を満たした候補者──ラムダを運ぶこと。


それがどれほど危険で、どれほどの代償を伴うかは、

候補者自身が最終的に知ることになる。

二年前、デジタル庁。


ランチタイムーー

九条と村上は、庁ビル内の食堂の長テーブルに並んで座っていた。

食堂の入口近く置かれたその長テーブルは騒々しい。

テーブルの横には職員達の長蛇の列があり、様々な声が飛び交っていた。

そのせいで、この長テーブルは人気がなく、座っているのは、九条と村上だけだ。

眺めの良い窓際の長テーブルはほぼ満席だった。


二人の前には日替わりランチのプレートがある。

九条は味噌汁に口をつけると、静かに言葉を発した。


「デュプリカントをやるぞ」


村上は箸を一瞬止めたが、不格好な間が空く前に箸で白米を掬う。


「ほう...」


九条はサラダボウルのカットされたトマトに塩を振る。


「プロトタイプだ。予算はある。非公式だが規程違反ではない」


村上は白米を口に運んだ。

九条がトマトを頬張る。

村上はチキンカツを一切れつまみ、口にいれる。

九条は白米の茶碗を持ち上げると、箸で白米を掻き込んだ。


村上はチキンカツを咀嚼しながら尋ねる。


「名目は?」


「Friendsと同じ、国民生活の質の向上だ」


「ほう。しかし差別化が必要かと...」


「Friendsは判断補助、デュプリカントは叡智の継承、というのはどうだ?」


彼らのすぐ横で、甲高い笑い声が響いた。

九条の眉が僅かに歪む。


「継承するのは叡智だけではないでしょう」


九条はサラダボウルを持ち上げると、白米同様に野菜を口に掻き込む。


「名目など、後でどうにでもなる。プロトタイプが出来てからでも遅くはない」


村上は味噌汁を飲みながら頷いた。


「私と村上の稼働工数と開発ルームのアサインは済んでいる」


「ほう。如何ほどで?」


「私と村上で120人日、開発ルームは500時間。裁量予算枠のギリギリだ」


九条は、最後に残した手付かずのチキンカツに箸を進める。

バランスよく箸を進めている村上は、九条のその偏った食べ方に、気付かれない程度に、フッと静かに笑った。


チキンカツを食べ終えた九条は箸を置くと、紙ナプキンで唇を拭う。


「明日からだ」


そう言うと、九条はランチプレートを持って立ち上がり、食堂出口に向かって歩き出していった。


村上はサラダボウルにトマトを残したまま、九条の後に続いた。


翌日。


開発ルームは、夜でも昼でも同じ色をしていた。

窓はなく、空調の風量だけが時間を告げる。

一定。過不足がない。

壁面いっぱいのワイドモニターが二枚。

片方はログで埋まり、もう片方は白いページが開いたまま静止している。


九条は椅子に深く腰を沈め、背もたれに体重を預けていた。

肩が落ちているわけではない。

ただ、脳の負荷だけがゆっくり解けていくときの姿勢だった。


村上は立ったまま、モニターの前にいる。

スーツの上着は椅子に掛けてある。

ネクタイは緩んでいる。

それでも指先は正確で、マウスを扱う動きに迷いがない。

二人とも、ほとんど喋らなかった。

必要な言葉は、もう議論の中で出尽くしている。


村上がキーボードを叩く。

最後の一行が整形され、文書の余白が揃う。

画面の右上に、短い通知が出た。


保存しました


村上はモニターを見たまま、息だけを吐いた。

仕事が完了したときの呼吸だ。

喜びも、安堵も、どちらでもない。

部屋の天井灯が、二人の顔に影を落とす。

表情は読めない。

だが、目の動きだけは正直だった。


九条は画面を見ている。

村上も画面を見ている。


モニターの白いページ。

カーソルがゆっくりと上へ戻り、タイトル行で止まる。


画面が、寄る。

余白が消え、文字が大きくなる。

タイトルだけが残る。



《次世代知能継承基盤》


フィジビリティスタディ(非公式)

開発計画書 v0.1


その下に、黒い箇条書きが並ぶ。

言い訳も、熱もない。

ただ、構造だけがある。


【目的】

特定個人のニューロン構造を継承したデュプリカント開発


【到達目標】

・同調キーにより、特定個人のニューロン構造が人工ニューロンへ同期すること

・同期後、第三者評価により「本人様反応」の再現性を測定すること


【役割分担】

・九条:神経転写・同調キー設計(同期条件/鍵生成/検証指標)

・村上:バイオAI実装(人工ニューロン/可塑性制御/再生環境)


【デュプリカント定義】

特定個人のニューロン構造を継承したバイオAI。

ただし、その挙動は当該個人の判断履歴に強く依存する。


【構成要素】

・神経同調キー(β)

・人工ニューロン基盤(Murakami Bio-AI)

・判定プロトコル(Turing-like Evaluation)


転写対象プロトタイプ

・九条(本人)


※比較対象:村上(対照群、または第二段階)

【想定リスク】

・人格様反応の発現(意図しない自己同一性)

・判断主体の誤認(責任帰属の崩壊)

・倫理審査未了状態での成果外部流出


【実施形態】

・投資案件として位置づける

・将来の制度化を前提とした可能性検証

・裁量予算枠内で実行


ページが一つ送られる。

そこだけ、文字が少し小さい。

余白が増えている。


【注意】

本検証は人格生成を目的としない。

ただし、人格様反応の発現可能性を否定しない。

判定は、チューリングテストの様な

判定基準の策定、及びその実施結果により判断する。



その一文で、スクロールが止まった。


村上が九条を見る。

九条が頷く。


村上がマウスをクリックした。

計画書のファイル名が、日付とともに確定する。

DUP_FFY_FS_v0.1_YYYYMMDD

保存。

履歴。

証拠。


二人は言葉を交わさない。

交わす必要がなかった。


技術的には、もう可能だ。

問題は残っていない。


九条は無意識に、親指で人差し指を押した。

爪の下の皮膚が白くなる。


——だが。


それを社会に置いた瞬間、何が起きる?


デュプリカント。


それは、現時点では

人間と社会のあいだに横たわる

巨大な“適応ラグ”そのものだった。


技術は完成している。

だが、世界はまだ完成していない。

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