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Article 9 永遠の愛 — それは福音なのか、呪文なのか!?  作者: あみれん


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第十三話 秘線

1.依頼者の呼称


本作に登場する九条斎のビジネスは、

その性質上、外部には決して明かされない複数の“進行ステージ”を持つ。

クライアントは取引の進度に応じて、

九条とミナトの内部で、以下のように呼び分けられている。


サービスの具体的な内容は作中で徐々に明らかになる。

ここでは名称と、その段階が示す“抽象的な意味”のみ記す。


〈λ段階:ラムダ〉— 仲介直後の潜在顧客


仲介組織を通じて紹介された直後の段階。

動機は不明瞭で、価値も未定義。

ラムダ段階の者は、まず“ここに来た理由”そのものが精査の対象となる。

ミナトはこの段階のクライアントを特に厳しく見極める。


〈α段階:アルファ〉— 選別を通過した有資格者


九条のビジネスにおいて“一定の価値を持つ”と判断された段階。

依頼者の動機が純度を保ち、意図が明確であることが条件とされる。

アルファに至ったクライアントのみが、次の段階へ進むことを許される。


〈β段階:ベータ〉— 初期実行工程へ移行した者


具体的な作業に入り始める段階。

ベータへの移行は容易ではなく、アルファの中からさらに選別される。

この段階では、クライアント側にも一定の“覚悟”が求められる。


〈γ段階:ガンマ〉— 最終調整・仕上げに入った者


取引の核心に触れつつある段階。

ガンマに至るクライアントは極めて少なく、

慎重な監視と調整が行われる。

実行プロセスはほぼ最終局面にあるとされる。


〈Ω段階:オメガ〉— 特異案件(九条専権)


九条斎のみが扱う特別な分類。

一般のクライアントとは異なり、

ビジネス上の価値という枠を超えた“特別な意味”を持つ。

その詳細はミナトにも共有されず、

オメガに至った案件が何を意味するのかは作中で徐々に明かされる。


◆【補記】


この階層体系はあくまで九条斎の内的な分類であり、

外部には一切公開されない。


段階は技術的な進度だけでなく、

クライアントの動機・覚悟・倫理的負荷・

そして“取引を成立させるに値するか否か”を示している。


この分類は、

物語の根底に流れる「価値とは何か」「存在とは何か」

というテーマとも密接に結びついている。


2.仲介組織について

《ミトコンドリア》──

それは、九条のビジネスを外側で支える仲介組織である。


ただし、一般に想像される“組織”とは異なる。

上下関係も、拠点も、名簿も存在しない。

構成員同士は匿名化された端点どうしで結ばれ、

必要な時だけ一時的に接続される。


その姿は、階層を持たないアメーバ状のネットワーク。

部分を切り離されても全体は崩れず、

事故が起きれば“その部分だけ”を即座に切断し、痕跡を残さない。


情報はチェーン化された経路を通って流れ、

誰がどこにいるのかさえ、構成員同士ですら知ることがない。

あるのは“つながり”だけ。

誰もが断片であり、全体であり、そして代替可能である。


ミトコンドリアの役割はただ一つ。

九条のもとへ、条件を満たした候補者──ラムダを運ぶこと。


それがどれほど危険で、どれほどの代償を伴うかは、

候補者自身が最終的に知ることになる。


廃屋のような古いビルの三階。

外壁のタイルは剥がれ、階段の踊り場には、かつて何かが置かれていた痕跡だけが残っている。

入口の横に、小さな看板が掛かっていた。


「古物診断所」


それだけが書かれた、不自然なほど曖昧な文字。

法務省に登記された正式名称は、古物診断所合同会社。

事業目的は、古物営業法に基づく古物商。

盗品の流通防止、被害回復のための身元確認、真贋判定。

制度上は、どこにも問題はない。

だが、実際にそんな事業は一度も行われていない。


この会社は、九条が一年前に設立したペーパーカンパニーだ。

このビルの一室を借りるために、登記簿が必要だった。

それだけの理由で選ばれた業種だった。

客が来そうもない。

目立たない。

問い合わせも起きにくい。

それが条件だった。


事実、この一年間で、

「古物診断」を依頼しに来た人間は一人もいない。

九条は、そのオフィスの奥にある、元々は倉庫として使われていた空間を「社長室」と呼んでいた。

呼び名だけだ。


窓はない。

机が一つ。

椅子が一つ。

壁には何も掛かっていない。

古い暖色の蛍光灯だけが、部屋を照らしている。

影は柔らかいが、逃げ場はない。


九条はデスクに腰を下ろし、ノートPCを開いた。

画面が立ち上がる。

ファンの音はほとんどしない。

彼は、迷いなくキーボードに指を置いた。

P2P VPNクライアントを起動する。

画面の隅に、黒地のコンソールウインドウが立ち上がった。



[INIT] P2P-VPN Core v3.4.12

[INFO] Local node ID generated: 8f2c:9a71:e4d3:xx7b

[INFO] Network mode: Fully decentralized

[INFO] STUN server discovery started...

[INFO] STUN response received: NAT type = Symmetric

[WARN] Direct inbound may be restricted

[INFO] Switching to relay-assisted hole punching

[INFO] DHT bootstrap node connected (latency: 42ms)

[INFO] Peer list updated: 12 active nodes



九条は画面を見ていない。

この流れは、すでに身体が覚えている。



[INFO] Searching target peer...

[INFO] Target hash matched: murakami@ffy-net

[INFO] Exchanging keys...

[INFO] ECDH handshake completed

[INFO] AES-256 session established

[INFO] Verifying fingerprint...

[INFO] Fingerprint OK

[INFO] Secure tunnel established



[STATUS] P2P VPN CONNECTED (END-TO-END ENCRYPTED)



九条は、そこで初めて指を離した。

この部屋は、最初から外界と切断されている。

今は、意図的に「誰か一人」とだけ繋がった。

自作のチャットツールを起動する。

ログイン画面はない。

VPNが通っている時点で、必要な認証は終わっている。

アドレスリストは短い。

増やす気のない名前だけが並んでいる。

九条は、その中の一つをダブルクリックした。

コンソールにログが流れる。



[CHAT] Video channel requested

[CHAT] Negotiating codec...

[CHAT] Codec selected: H.265 (low latency)

[CHAT] Audio: OPUS (mono)

[CHAT] Buffer stabilized



画面が一瞬、黒くなる。

次の瞬間、ビデオウインドウに男の姿が現れた。


金髪のオールバック。

口髭。

耳のピアス。

切れ長の目。

カメラを真正面から見据える視線。

背景は白い。

研究室か、執務室か。


余計な情報を映さない角度で、きっちり固定されている。

男は、わずかに首を傾けた。


「こんにちは、九条さん。

 ビデオチャットなんて珍しいですね。何かあったのですか?」


ハスキーで、抑揚のない声。

感情の起伏を削ぎ落とした音だけが、廃屋のような部屋に響く。

九条は、無表情のまま答えた。


「突然で悪かったな、村上」


画面越しに、二人の視線が重なる。

かつてFFYで、

Friendsを、

同じテーブルで設計していた二人だった。


「実はな――“ある筋”から、フリーランチャーに対するテロ計画の情報が入った」


九条は、前置きもなく切り出した。

画面越しの村上は、眉一つ動かさない。


「ほう」


「実行犯は、武装倫理団体らしい」


「……はい」


返事は即答だった。

だが肯定でも否定でもない。

九条は、わずかに口角を上げる。


「知っていたのか?」


村上は一瞬だけ視線を外し、すぐにカメラへ戻した。


「いえ。ただ、一年前に一度“やられていますからね。

 またいつ起きても、不思議ではないとは思っています」


九条は鼻で短く笑った。


「その“ある筋”がな、用心棒の斡旋までしてきたよ」


「……ほう」


九条の「ほう」と、村上の「ほう」は似ていない。

九条のそれは嘲りで、

村上のそれは情報処理の合図だった。


「まあ、用心棒の件はどうでもいい」


九条は軽く手を振る。


「念のため、口頭で知らせておこうと思ってな。

 なにせお前は、メールの返信をAIチャットボットに任せているから」


村上の唇が、わずかに歪む。


「なるほど。

 ですが今、九条さんが見て話している相手を、本物の私だとお思いですか?」


一瞬、空気が止まる。

九条は、低く息を吐いた。


「ふん……相変わらずだな」


「冗談です」


村上は即座に言った。


「九条さんのビデオコールに、私はそんなことはしません」


「どうだかねぇ」


九条は椅子の背にもたれ、視線を少し落とした。


「まあいい。

 村上のことだ、分かっているとは思うが――

 何が起きても、“アレ”を絶対に守れ。

 存在そのものも含めてだ」


村上の表情が、ほんのわずかに引き締まる。


「承知しています」


短いが、迷いのない返答だった。

九条は続ける。


「それから……その“ある筋”が、とんでもない“ラムダ”を斡旋してきた」


村上の目が、わずかに細くなる。


「ミナトの“選別”にパスして、

 今のステータスは“アルファ”だがな」


一拍。


「……ほう。それは、楽しみです」


村上は、初めて感情らしきものを滲ませた。


「ステージが進めば、いずれそっちのラボに預けることになるだろう」


「お待ちしております」


それ以上の言葉は要らなかった。

この二人にとって、それはすでに合意だった。

九条は、チャットツールを閉じた。


画面が暗転し、直後にP2P VPNの切断ログが流れる。

ノートPCをシャットダウンすると、

九条は椅子から立ち上がり、大きく背伸びをした。


「……ミナト君。悪いが、コーヒーを頼む」


返事はない。

いつも通りだ。


九条は、鼻で笑った。

(武装倫理団体、か……無用な存在だ)


(倫理の本質とは、個人の内面から湧き出る良心と自律性だ。

 それを“団体”という形にした瞬間、倫理は外的強制に堕ちる)


(まして武装だと?

 ……狂っている)


その時、部屋に、かすかな音が満ち始めた。

サイフォンの湯が落ちる音。

ゆっくりと抽出される、コーヒーの香り。

九条は立ち上がり、もう一度、大きく背を伸ばした。

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