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羊の檻 ―優しさは、殺すために仕込まれていた。  作者: 妙原奇天


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第2話 笑顔の規律

 四月の二週目に入ると、A組の机上から色が消えた。正確には、色が選択された。国語のノートは罫線の幅が七ミリ、表紙は灰色。提出物は青い薄型ファイルに統一され、理科の付箋は上辺に、英語の付箋は右辺に、社会は下辺に——というように、見取り図が目に見えない糸で引かれたかのように、みな同じ位置に張り付いた。誰かが決めたわけではない。朝の会で間宮が言う。


「より良い方法が共有され、洗練された結果だと思う」


 肯く音が波のように広がる。反対の声は出ない。反対という語を用いなくても済むように、物事は段階的に整えられていた。少し遅れている生徒には、隣席の手が自然に伸びる。プリントの余白に、訂正の矢印が同じ角度で引かれ、ノートの罫線には赤い定規が一度だけ走る。言葉も、似ている。


「この表、先に作っておくと楽だよ」

「タイトル、次からは最初に入れよう」

「できるよ」


 最後の三語は、微笑とセットだった。口角の上げ方、目尻の寄せ方、声の高さ。遥はそれを「笑顔の型」と呼んだ。誰かが意図的に練習したに違いない同質性が、昼休みのざわめきの底で石のように硬く冷たく転がっている。彼女は筆圧を落としてノートの枠線に沿わせ、背筋の内側をそっと伸ばして呼吸を整えた。整える。揃える。笑う。授業の板書の余白に、さっき間宮が書き加えた三つの動詞が、黒板の粉といっしょに薄く肺に入ってくる感覚がした。


 美術室から戻る途中、廊下の角で遥は不意に足を止めた。掲示板の端に、A組の目標が更新されている。紙の白は昨日より白い。印字の黒は昨日より濃い。フォントは変わらない。だが、余白の使い方が変わっている。下段に小さく、細い線で囲まれた短文が足されていた。


 笑顔で、揃えよ。


 指先を伸ばしてなぞると、トナーの粉がわずかに指に付いた。線の細さの割に、抵抗がある。紙が濡れているのではない。紙が紙のふりをしながら、厚みを増している。遥は指先を拭いながら、背筋に降りてくる薄い冷気をその場で解凍するように肩を回した。


 その日の五時間目は国語だった。真帆は、教室の後ろから観察する。授業の主導権はあくまで間宮にあり、彼女はそこに「ゲスト」として招かれているようにも感じた。間宮は、間接話法を巧みに使う。


「昨日、ある人が課題のタイトルを付け忘れた。これは人間の問題ではなく手順の問題。『提出→確認→退出』の三語を、心の中で唱える。そうすれば、どんな人でもミスは減る」


 名指しではない。けれど、教室の重心がごくわずかに右へ寄る。右側の三列目、窓から三番目。そこに座る汐音の机上に、いつの間にか小さな紙片が置かれていた。白い紙に、黒いペンで三語。提出、確認、退出。等間隔。字間も一定。汐音は紙を裏返そうとして指を止める。裏にも同じ三語が書かれているのが見えたからだ。表の筆圧と、裏の筆圧が同じ強さで紙の繊維を割っている。


 終礼後、真帆は周囲に尋ねた。「この紙を置いたの、誰?」返ってくるのは、揃った否定の言い方。


「自分ではないですが、良いことだと思います」


 否定と肯定が同時に立つ。そのバランスを崩さないように、一人ひとりの声は同じ高さにそろっている。真帆はその高さを耳の中で測り、目盛りのない定規をそこへ押し当てる。測れてしまう。測れてしまうこと自体が、奇妙だ。


 放課後の保護者会。間宮は笑顔のまま、紙袋から配布物を取り出した。白い紙が揺れもせずに保護者の手元に収まっていく。書かれているのは「家庭での言葉の統一」のお願い。誉め言葉と注意の文型が、箇条書きで並ぶ。「Aをしてくれて嬉しい」「Bは次からこうしよう」。語尾は丸で終わる。感嘆符はない。「家庭と学校が同じ言語を使えば、子どもは迷わない」と間宮は微笑む。「迷わない」という言い方は、誰の心にも負担を残さない。保護者たちは安堵して拍手する。責められていない。請け負うべきは「言語」であり、「人格」ではないからだ。彼らは、その理解の下で、他のものを次々と引き受ける準備が整う。


 真帆は配布物の端を持ち、紙の四隅を揃えながら、自分の手が僅かに震えているのを自覚した。震えが紙を鳴らす。弱い波の音が、自分の中だけで反響する。深呼吸をして押し殺す。押し殺したものは、形を変えて残る。帰り際、印刷室の壁に貼られた張り紙が目に留まった。「用紙は十部ずつに揃えて裁断機をご利用ください」。その下に、誰かが書き加えた一行があった。灰色の細字。


 笑顔で、揃えよ。


 消すと、跡が濃くなった。真帆は指先についた粉を見つめ、洗面台で手を洗った。水は透明で、匂いはしない。しかし、水面に落ちた粉だけが、光の加減でしつこく残る。洗い流しきれないものが存在する、という事実は、事実だけで恐ろしい。


 夜、A組のグループチャットにメッセージが届いた。送り主の名前は、匿名のまま「A組からのお知らせ」。間宮の口調に似ていたが、彼のアカウントではない。内容は短い。


〈寝る前の三語〉

整える・揃える・笑う


 既読が増えていく。画面の端に青い数字が重なる。遥は既読をつけずに画面を伏せた。伏せたはずの画面から、数分後に振動が消える。既読がついたのだ。誰かがスマホを覗いたわけではない。遥自身が無意識に画面を開いたのだろう。だが、彼女は覚えていない。覚えていないという穴は、小さいが深い。覗き込むほど、底に何かがあるような気がして、目眩がする。


 布団に入り、天井を見上げる。薄暗い部屋の四隅はきちんと四角形だ。壁のクロスの継ぎ目が、規則的に影をつくる。整える。揃える。笑う。彼女は三つの動詞を心で唱えないように努めた。唱えないことは、唱えることより難しい。何かを考えないようにする行為が、何かを考えるための最短距離であるように。目を閉じると、まぶたの裏に、黒板の細い粉が線になって現れた。「笑顔で、揃えよ」。線は水平だ。水平が長くなるほど、不安は細くなる。細くなるほど、切れにくくなる。


 翌朝。ホームルームの前、教室の空気には、薄い緊張が均一に混ざっていた。誰かが緊張しているのではない。空気そのものが緊張している。その緊張が、温度と同じくらいに当たり前のものとして肺に入り、血中に溶け、全身に巡る。遅刻も忘れ物もない。椅子の脚はきちんと机の下に収まり、筆箱は右上に、飲み物は左奥に、配られたプリントは端を揃えて重ねてある。


 チャイムの鳴る三秒前——空気が揃う。誰の合図でもないのに、笑顔が一斉に開く。右から左へ、ではない。前から後ろへ、でもない。水が一枚の板の上で同時に波立つように、笑顔が同時に発生する。遥は、自分の頬骨が一瞬先に上がったのを感じた。筋肉が覚えた型が、感情より早く動く。早さの差が小さいために、違和感はすぐに埋まる。埋まることが、次の違和感の準備になる。


 授業の最中、間宮は黒板の右端に「型」と書いた。すぐ下に矢印を引き、「余裕」と書く。さらに矢印を引いて「優しさ」。板書は簡潔で、見た目が美しい。説明も同じだ。


「型が身につけば余裕が生まれ、余裕は他者への優しさを生む」


 肯く音。ノートの上で同じ太さの線が引かれ、同じ位置に余白が生まれる。佐久間が手を挙げる。「先生、型は自由を狭めることにはなりませんか」。間宮は笑い、「いい質問だ」と言って、チョークの粉を一度払う。


「型は、自由の最低保証だ。最低保証があるから、上にどこまでも広がれる」


 最低、という言葉が、床板に透明な境界線を引く。そこから下には落ちない。落ちないことは安心だ。だが、「最低」の面は、いつの間にか上昇する。「最低」の位置が上がるほど、自由の梯子は段を増やす。段が増えるほど、落ちたときの痛みは大きくなる。


 昼休み、汐音は教室の隅で弁当を広げた。白いご飯に黒い海苔。海苔の角を指で摘んで千切る。千切れ方が均一でない。指先に残る黒の破片を見ていると、斜め前の席から声がした。「海苔、先に切っておくと食べやすいよ」。視線を上げると、彼女の机上に小さな紙片が滑り込んだ。白い紙に、黒いペンで三語。整える・揃える・笑う。汐音は紙を返そうとして、相手の指の動きに先回りされる。指は既に次の紙を持っていて、別の机へ滑っていく。動作の速さは均一だ。誰の指も、同じテンポで紙を運ぶ。


 汐音は、紙片を弁当箱の蓋の上に置いた。そこだけ白が増える。白は白のふりをしながら、重さを持つ。彼女は箸を動かす。動かすたびに、紙の存在が視界の端で光る。光は目を刺さない。刺さないのに、眼球の裏に痒みが生まれる。掻けない痒さ。その痒さを掻く方法は、たぶん笑うことだ。笑えば、目尻の筋肉が動いて痒みを紛らわせる。笑えば——。


 午後、学校全体の風が一瞬止んだ。誰も窓を開け閉めしていないはずなのに、風の通り道がわずかに変わった。真帆は職員室の席でそれを感じた。感じた直後、机の引き出しの中で配布物がふわりと膨らんだように見えた。紙が息を吸う。吸った息は、吐かれない。吐かれない息はどこへ行くのだろう。


 放課後の廊下。遥は水飲み場の蛇口をひねり、喉を湿らせた。蛇口の口には白い跡が輪になって残っている。整える・揃える・笑う。輪は三つ。蛇口の他に、床の角に、掲示板の端に。踏むと音がしない場所と、わずかに鳴る場所。鳴る場所は、決まって「輪」の近くにあった。


 帰宅の電車で、車内広告の端に気づく。たとえば右上の角に切り欠きがあり、紙の重なりがわずかに厚くなっている。広告そのものは駅ビルの催事案内だが、角の厚みに目が行く。厚みは、ただの重なりではない。紙の層の間に、何かが挟まっている。挟まっているのは、たぶん言葉だ。紙と紙の間に言葉が挟まっている。言葉は挟まれると、消えない。上から何を貼っても、下から声が上がってくる。声は、耳より先に皮膚で聞く。


 夜、風呂場で鏡を拭く。曇りがまだらに取れ、残った水滴が規則的に並ぶ。指で横に拭うと、細い線ができる。そこに文字が浮かぶ。笑顔で、揃えよ。遥は目を閉じた。開けると、文字は消えていた。消えているのに、そこにあったことが消えない。見てしまった映像が脳の裏側に張り付き、寝返りのたびにきしむ。


 同じ頃、真帆は校務用のタブレットを開いてメールを確認していた。件名に「情報共有」。本文は短い。「A組の保護者各位、本日の保護者会の補足です」。署名は「学年部」。添付ファイルを開くと、「家庭での言葉の統一」のシートがPDFで添付されている。フォーマットは完璧だ。余白が美しい。ページの最下段に、グレーで薄く、こう記されていた。


 笑顔で、揃えよ。(本校標準)


 本校標準。真帆は画面を閉じた。閉じると、部屋の空気がわずかに濃くなった。濃度は数値化できない。できないものが、数値化されていないことを免罪符にして広がる。彼女は台所に行き、水をコップに注いだ。コップの縁に、わずかな欠けがある。欠けの形は三角形。その角度は、三十、六十、九十。三語の三角。コップを指で回すと、欠けが正面に来る位置で手が自然に止まった。止まるべきところで止まることに、体が慣れている。


 翌朝、チャイムの三秒前、笑顔が揃った。遥は、揃う瞬間に一瞬だけ目を閉じた。閉じたまぶたの裏で、誰かの笑い声がした。笑い声は楽しげだった。楽しげであることが、恐ろしい。笑顔の型は、たぶん誰かを助ける。助けるときの声の高さも、手の置き方も、順番も、同じであればあるほど効果が高い。効果が高いほど、誰も疑わない。疑わないほど、型は深く沈む。


 授業間の休み時間。黒板の端に、新しい短文が現れていた。灰色の字。前と同じ位置。同じ圧。だが、最後に一点だけ違うところがある。文の末尾に小さな点が増えた。「笑顔で、揃えよ。」句点。その丸が、目に見えない深度で黒板に沈んでいる。拭い取ろうとすると、丸だけが残る。丸が二つに増える。増えた二つは、瞳のようにこちらを見ている。遥は息を止めた。丸が三つになった。三つは、口角の上がった顔に見えた。


 彼女は布巾を置いて席に戻る。席に戻ると、ノートの最初のページの裏に薄く透けた文字があった。整える・揃える・笑う。自分が書いたものだろうか。書いていないと断言する自信が、薄い紙の繊維の間で裂ける。裂け目から、細い糸が出る。糸は、笑うと引き込まれる。笑うのをやめると、皮膚の表で擦れて痛む。


 放課後。帰りの会。間宮は「今日の振り返り」を求めた。発表する順番は、座席表の右上から左下へ対角線上に進むことになっている。誰も文句を言わない。合理的だから。右上の生徒が立つ。


「整えて、揃えて、笑いました。明日は、笑ったあとに深呼吸も入れたいです」


 拍手。同じ高さ。同じ長さ。同じ間。次の生徒が立つ。言い回しは違うが、骨格は同じだ。整える・揃える・笑う。深呼吸。目標。善。善は命令より強い。命令は反発の筋肉を鍛えるが、善は筋肉を溶かす。溶けた筋肉は形を変え、型に流し込まれる。型に流し込まれたものは、もう自分ではない。自分ではないものが、自分の声を使って話す。


 遥の番が来る。立ち上がる。声を出す。「整えて、揃えて——」。言葉が舌に絡む。絡んだのは言葉ではない。糸だ。糸が舌の下で結び目をつくる。結び目は笑うと緩む。緩めてしまえば、次はもっと容易に結べる。彼女は笑う。結び目が緩む。声が出る。「笑いました」。拍手。間宮が頷く。頷きは一度。頷きの一度は、今日も足の裏に杭を打つ。


 帰り道、夕焼けが薄い。雲は薄く延び、同じ幅で空を覆う。信号は、赤も青も、一定の時間で入れ替わる。何もかもが一定であることが、こんなにも安らぎを生むのだと遥は思う。安らぎの中で、ふいに怖さが首を出す。安らぎの形をした何かが、喉元まで満たしてきて、呼吸と笑いの区別を曖昧にする。


 家に着くと、玄関に母の字でメモが貼られていた。「靴を揃えてくれてありがとう。嬉しかったよ。次から、帰ったらまず手を洗ってうがい。」文型は保護者会で配られたものと同じだ。遥は靴を揃える。揃えたあと、笑顔をつくる。笑顔は、母のために。母のため、と言いながら、笑顔の型は自分のために勝手に動く。鏡に映る自分の顔は、昨日よりも上手に笑っていた。上手、という形容は、笑顔に必要なのだろうか。考える前に、チャイムの鳴る三秒前の感覚が胸に蘇る。空気が揃う瞬間。揃った空気は、誰のものでもない。誰のものでもない空気の中で笑うとき、人は誰になるのだろう。


 その夜、A組のグループチャットに短い動画がアップされた。映っているのは、黒板。そこに、白いチョークで一行。笑顔で、揃えよ。動画の最初の二秒で、文字は消える。消えると同時に、背後の窓に外の光が反射し、画面が白んだ。白みが引くと、文字は再び現れている。撮影者の息が、僅かにマイクに触れる音。誰の息か、わからない。動画は八秒で終わる。既読の波が走り、スタンプが並ぶ。笑顔の顔。笑い泣きの顔。ハート。遥は、指を動かさない。動かさない指先が、次の瞬間、微かに痒い。


 消えるものが、消えない。現れるものが、透明のまま触れてくる。笑顔は善だ。揃えることは善だ。だからこそ、怖い。善は、疑いの刃を鈍らせる。鈍らせた刃は、こちらに向き直ったとき、皮膚の内側から切る。


 翌朝、チャイムの三秒前、笑顔が同時に開く。音はしない。同時であることは、音を消す。間宮の声が、きれいに教室の空気に乗る。


「今日も、自由にやろう。秩序の中で」


 その「自由」という言葉が、遥の喉の奥で小さく鈴を鳴らした。鈴の音は、合図だった。笑顔の型が、より深く体に沈む合図。彼女は笑いながら、ふと思う。この笑顔は、誰のものだろう。誰のものでもない笑顔を、クラス全員が一度に持つ。その瞬間、教室には、顔だけが無数に浮かんでいるように見えた。体は、背景に退く。輪郭が同じ高さ、同じ角度で並び、黒板の前に見えない鏡が立ち上がる。鏡は光を返す。返された光で、黒板の端の薄い文字がまた浮かび上がる。


 笑顔で、揃えよ。


 句点の丸が、じっとこちらを見る。見られていることは、安心だった。安心が長く続くと、怖さになる。怖さは、善の顔をしてやってくる。善の顔は笑っている。笑顔の規律は、今日も破られない。破られないことが、正しさの証明であるうちは、誰も気づかない。正しさが、刃物の別名であることに。


 チャイムが鳴った。教室が、揃ったまま動き出した。揃っていることの音が、廊下に長く伸びる。伸びた音の最後尾に、遥は自分の足音をそっと紛れ込ませた。紛れることは、生き延びる技術だ。技術は、やがて型になる。型は、優しさの名で配られる。優しさは、笑顔で手渡される。笑顔は——。


 その続きを、彼女は心の中で言わなかった。言わないことを、選んだ。その選択が、どれほどの自由であり、どれほどの秩序であったのかを判断する権利は、まだ彼女にはない。ただ、三秒前の空気の揃い方を、呼吸の隙間に記憶することだけが、彼女に許された反抗だった。三秒。笑顔。風の止まる気配。黒板の薄い線。句点の丸。丸は増える。丸が三つ、五つ、七つ——奇数で増える。そのたびに、教室のどこかの表情が、わずかに引き攣る。引き攣りは、型の綻びだ。綻びは、見なかったことにされる。見なかったことにされることが、また一つの型になる。


 今日も、笑顔で、揃えよ。揃えられないものは、揃えて見えよ。見えないところまで、笑え。笑っているあいだだけ、自由になれる。自由の形は、笑顔に似ている。似ているけれど、同じではない。その差を見分ける目を、誰が持っているのだろう。


 遥は目を伏せた。伏せた目の裏で、笑顔の型が自分の筋肉に沈み、骨に写り、やがて骨そのものになる映像を見た。骨に笑顔が刻まれた人間は、たぶん死んでも笑っている。笑っている骨が、土の中で均一に並ぶ光景を想像した瞬間、背筋の内側で氷の針が一本、すっと立った。いい姿勢だ、と誰かが褒めた気がした。褒め言葉の文型で。丸で終わる優しい声で。

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