第一話:Hello, World.
Dungeon_Layer_77/Boss_Area
Party_Member: Syu_Kashiwagi
Status: Critical_Damage, Bleeding, Stun
System_Message: You are defeated.
ごぽり、と鉄の味がする液体が喉の奥からせり上がってくる。
軋む全身を無理やり動かし、柏木修は仰向けに倒れた。視界には、赤黒い瘴気を放つ、ダンジョンの天井が映っている。
四十年の冒険者人生。その終焉の地だった。
「修さん、今までご苦労様でした」
聞き慣れた声。パーティのリーダーであり、弟のように可愛がってきたはずの男が、修の顔を冷たく見下ろしていた。その手にした聖剣は、つい今しがた、修の腹を貫いた赤で濡れている。
「な……ぜ……」
「あんたの解析データは、もう全部貰ったんで。それに、いつまでも古参ぶられると、俺たちもやりにくくて」
他の仲間たちも、遠巻きに彼を見ているだけだった。その目は、まるでゴミを見るかのように冷え切っている。
二十年間、このギルド『アーク・セイバー』のために全てを捧げてきた。サポート系のスキルしか持たない自分が、前線に立つ彼らの役に立つために、寝る間も惜しんでダンジョンを解析し、戦術を練り、アイテムを開発した。
その全てが、この瞬間のために利用されていただけだったのだ。
「……ああ、クソ……」
薄れゆく意識の中、最後に聞こえたのは、仲間だったはずの連中の嘲笑だった。
最悪の、人生だった。
◆
「――おい、修!いつまで寝てんだ!」
階下から響く、懐かしい母の声。
意識が、ゆっくりと浮上していく。
(……なんだ……?)
死んだはずだ。あの絶望の最深部で、信じていた全てに裏切られ、孤独に。
それなのに、この柔らかな布団の感触も、窓から差し込む光の暖かさも、記憶の中にある実家の子供部屋のものと寸分違わない。
弾かれたようにベッドから降り、姿見の前に立つ。
鏡に映っていたのは、歴戦の風格も、深い絶望を刻んだ眉間の皺もない、青臭い顔。
まだ何者でもなく、そして何者にでもなれた、十八歳の柏木修がそこにいた。
「……逆行……したのか……?」
スマートフォンの日付は『2025年 4月12日』。
四十歳の彼が死んだ年から、実に二十二年もの時を遡っている。彼が冒険者としての一歩を踏み出す、運命の日の朝だった。
その、瞬間だった。
《――特異点を確認。世界の理に対する特異介入権限を承認》
《スキル『プログラマー』を付与します》
頭の中に、直接、無機質な《世界システム》の音声が響く。
「……プログラマー?」
聞き慣れないスキル名だった。
慌てて自分のステータスを確認する。
[オブジェクト名: 柏木 修 (Kashiwagi Syu)]
[クラス: 人間/未覚醒]
[レベル: 1]
[スキルリスト]
> プログラマー (Programmer) - Rank EX (測定不能)
「……は?」
戦闘系のスキルじゃない。それどころか、魔法系でも、サポート系ですらない。おそらくは、アイテム作成などに関わる「生産系」。冒険者としては、最も軽んじられる「ハズレ」の部類だ。
四十年の知識と経験を持ってしても、このスキルが一体何の役に立つのか、見当もつかない。
「……また、ハズレかよ……」
前世と同じ、サポート系の人生の繰り返し。
絶望が胸をよぎった、その時だった。
目の前の景色が、まるでディスプレイに映る映像のように変質した。
部屋の壁、机、ベッド、その全てに、緑色の半透明な文字列が滝のように流れ始める。
[オブジェクト名: 木製デスク]
[クラス: 家具]
[状態: 中古]
[耐久値: 15/30]
[編集権限: User_Syu_Kashiwagi のみ]
「なんだ……これは……」
訳が分からず、試しに目の前の机に意識を集中する。
[耐久値: 15/30]という部分を、[耐久値: 30/30]に書き換えるイメージを思い描く。
[コマンド実行: Durability_Value_Set(30/30)]
Access... Granted.
Update successful.
次の瞬間、机の表面にあった細かな傷や歪みが消え、新品同様の輝きを取り戻した。
「……嘘だろ……」
修は、自分のスキルがただの生産系ではないことを悟った。
世界のあらゆる事象を「データ」として認識し、そのソースコードに介入し、自在に「編集」する力。
それは、もはやスキルというよりも、神の領域に踏み込むに等しい、禁断の権能だった。
四十年の冒険者としての知識と経験。
十八歳の、まだ何者でもない肉体。
そして、世界の理すら書き換える、唯一無二の力。
「……ふっ」
修の口から、乾いた笑いが漏れた。
「ふ、ふはは……ははははははははは!」
ハズレスキル?とんでもない。
これは、この世界のルールそのものを、俺の意のままに書き換えることができる、最高のスキルだ。
四十年間、世界の理不尽に、仲間の裏切りに、ただ耐え忍んできた。
だが、もう終わりだ。
「今度は、俺がデバッグする番だ」
復讐の炎を目に宿し、修は静かに呟いた。
◆
冒険者登録センター。
前世の記憶と同じ、熱気に満ちたその場所で、修は一人の少女を見かけた。
ブレザーの制服を着た、儚げな雰囲気の少女。カウンターで職員に何かを言われ、俯いて踵を返す。
その姿を、修のスキルが解析する。
[オブジェクト名: 白石 雪音 (Shiraishi Yukine)]
[スキル: 聖域守護 (Sanctuary) - Rank S]
[※バグ情報: Code-404 "Retaliation Not Found"]
[詳細: 防御機能へのリソース集中のため、攻撃に関するパラメータが強制的に "0" に固定される]
(……白石雪音)
前世、そのあまりに不遇なスキル故に、若くして命を落とした悲劇の聖女。
最高の才能と、最悪の欠陥。
まさに、神々が作り出した理不尽の象徴だった。
以前の修なら、ただ「運の悪い奴」と見過ごしていただろう。
だが、今の彼には、その「運の悪さ」が、修正可能なシステム上のエラーにしか見えない。
少女が、俯いたまま修の横を通り過ぎる。
その震える肩に、かつて全てを失った自分の姿が重なった。
(……面白い素材だ。最高の変数になる)
だが、今の修には彼女に声をかける資格も、力もない。まずは、自分自身の基盤を固めるのが先決だ。
修は少女の姿から目を逸らし、その場を後にした。今はまだ、その時ではない。
「まずは……ウォーミングアップといくか」
向かう先は一つ。
前世の自分が、初めて挑み、そして惨めに敗れ去った、最低ランクのF級ダンジョン。
これは、ただの逆行ではない。
神々の作った理不尽な世界への、柏木修による壮絶な「デバッグ」の始まりだった。
一度死んだ男の、世界を書き換える物語が、今、静かに起動する。