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第五章 真相吐露⑨

永井は、ゆっくりと廊下を歩いてくる。辛そうに顔を歪めて、心配そうに、もともと垂れ下がっている眉をさらに下げて、胸に手を当てて――まるで何かに祈っているようにも、見えた。

「誠太くん。もうやめて……。そんなこと、してほしいわけじゃないの」

 永井は、確かに「誠太くん」と言っていた。僕と永井が付き合うようになって、永井は僕に「遥花って呼んでほしい」と言って、僕は「遥花」と呼んで、永井も僕のことを「誠太くん」と呼んで笑った、春のあの日――。

「永井、どうして、ここに……?」

「誠太くんが、北棟に行くの、見えたの。ものすごく辛そうな顔して、泣き出しそうな顔して、だから、私、心配になって誠太くんのあとを追ったの。そしたら――」

 辛そうで、泣きそうな顔、か。そうか、時田を殺しに行こうとしたとき、僕はそういう表情をしていたのか。

「階段を上ってったら、誠太くん、時田くんと話してて、手には、包丁を握りしめてて……。そんなに追い詰められていたなんて、私、全然気づかなかった。なのに、私はただ、私のことばっかりで……。ごめんなさい、誠太くん」

「永井……?」

「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」

 僕は立ち上がって永井の目を見つめた。綺麗な目だ。まるで湖のように、澄んだ水をたっぷり含んだ瞳――その瞳から、今、一滴、ぽろりと流れ出した。

「本当は、私がもっと早く誠太くんに話すべきだったのかもしれない。のに、私、私、言えなかった。本当に、自分のことばかりで、誠太くんに今まで通り接してもらいたくて、笑いながらそばにいたくて、だから、言えなかった。でも、誠太くんは、私のそばで笑ってはくれなかった。私から離れようとしていた。今なら、誠太くんがどうしてそうしようとしたのか、分かる。でも、私はずっと、ただ誠太くんといっしょにいられなくて、どうしたらいいのか分からなくなっちゃって。私、嫌な子なんだ。自分のことしか見えてないの」

 窓の外では、ひらひらと雪が舞い始めていた。今年の初雪だった。今はまだ十二月の上旬だ。早い、早い初雪だ。水をたっぷりと含んだぼたん雪だった。降り積もるほどの大きさではないが、小さな白い結晶は、僕の心に降り積もった涙を溶かしてくれているようだった。

「私もね、タイムループしてきたの」

雪は、綺麗だった。悲しくなるくらい、胸が締めつけられるくらい綺麗だった。雪が舞い落ちる姿は、涙が頬を伝う動きに似ているのだと、永井の涙と揺れながら落ちる雪を見て、思った。

「だから、私は、自分が死んじゃうことも、知っているの」

 永井は、にこりと微笑む。寂しそうな微笑みではあったが、決して悲しい色ではなかった。事実を全て受け入れて、それでも笑うことのできる、強い強い笑顔であった。だから、微笑みながら頬を伝う永井の涙も、きっと、強い涙なのだと思う。

「誠太くんは、常盤くんから、タイムループの話、聞いたよね?」

 僕は黙ってうつむいたまま、首を小さく縦に動かした。

「誠太くん、覚えてる? 誠太くんが初めてタイムループしてきた日のこと」

 覚えている。六月だった。夏の光が教室に差し込んで――その中に、桜色に光る永井を見つけた。

「私、誠太くんと話してるとき、泣いちゃったでしょ。……悲しかったの。誠太くんも死んじゃったんだなって思ったら、悲しくて。そして、誠太くんも、私と同じようにタイムループという辛い日々を送ることになるのかなって思ったら、余計に悲しくなっちゃって……」

 永井の涙を思い出す。涙の理由を推し量ることのできなかったあのときとは違う。今はもう、永井の涙の理由が、僕にはちゃんと分かる。

 そして、自分の気持ちも、ちゃんと分かる。確かに、ここにある。

「永井、僕は、永井のことが……」

「待って! お願い。今は、言わないで」

 永井が手を前に伸ばして僕の声をせき止めた。

「どうして?」

「それは、春休みに、桜が咲くころに、言ってほしいの。だって、それが誠太くんと付き合えた季節だったんだから。大丈夫、気持ちは伝わってるから。私の気持ちも、伝わってるよね……?」

 僕は黙って頷いた。窓の外は、雪が降り続いている。この雪が桜に変わったら、想いを伝えよう。言葉にして、伝えよう。

「だから、僕のことを、『誠太くん』って呼ぶの?」

 永井は静かに頷いて、続けた。

「だから、もういいの。誠太くんが、私を守ろうとしてくれた気持ちは、分かってるから、伝わってるから、もういいの。誠太くんも、そんなに辛い思いしなくて、いいの。今の誠太くんと、四月までいっしょにいられたら、私はそれでいいの。だって、もう誠太くんは、私のそばにいてくれるでしょ? こんな私のそばに、いてくれようとするでしょ? 守りたいって思ってくれるでしょ? だから、いいの」

「……よくないよ」

「誠太くん?」

「何が、もういいの、だよ。諦めないでよ。生きようよ、生きていてよ。お願いだから、例え、僕が死んじゃうとしても、僕が永井といられないとしても、生きていてよ……。死んじゃ、嫌だよ……」

 永井といっしょにいるのは僕でいたい。僕が永井を守りたい。そう思うのに、僕が永井のそばにいられなくても、永井には生きていてほしい。そして、僕じゃなくてもいい、ほかの誰でもいいから永井を幸せにしてあげてほしい。矛盾するかのような思いが矛盾せずにいっしょにある、誰かを想う気持ち。

「誠太くんは、『質量保存の法則』って知ってるよね」

一学期の終業式の日に、文芸部のみんなで話した。亮祐が『質量保存の法則』の意味が分からなくて、美紀が、僕に笑って話しかけた。そして永井が「『化学反応の前後で質量の総和は変わらない』。それが『質量保存の法則』だよね」と首を突っ込んで答えたのだった。

「人の生死は、『質量保存の法則』で決まってるの。人の誕生と死滅の前後で、世界の質量の総和は変わらない。全ての人の生死は、世界の質量を保存するために、あらかじめ決まっているの。だって、この世界に存在している物質の量は、もともとこの世界にある分しかないんだから。どこかで誰かが生まれたら、どこかで誰かが死ななくちゃいけない。どこかで物質が生み出されたら、どこかで代わりの物質がその埋め合わせをしなくちゃいけない。それが、この世界なの。世界は、生成し、経過しはするけど、けっして生成し終えたこともなければ、けっして経過し終わったこともない――世界はおのれを保存する。だから、たまに現れる私や誠太くんのような記憶を持ってしまった人を神様は許さない。神様の予定に抗おうとする人を、許さない。だから、神様は予定調和を行うの。だから、誠太くんは時田くんを殺すことはできないし、だから、」

「だから、永井が死ぬことは決まっている、って言いたいの? だから、永井が死ぬことも受け入れろって、言いたいの? そんなの、納得できるわけ……ないじゃないか」

 僕は歯を食いしばった。拳を握りしめた。そして、顔を上げて永井を見た。僕は驚いて口を開けた。永井は、そんな僕を嬉しそうに見つめて微笑んでいたのだ。

「ありがとう。私のこと、そんなに想ってくれて。私、やっぱり、誠太くんでよかった。誠太くんのこと、好きになってよかった。私のこと、こんなに想ってくれる、優しい誠太くんで、よかった」

「違うんだ、僕が言いたいのは、そういうことじゃなくて……」


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